日本鹿児島のベルナルドは、ポルトガルポルトガル人ザビエルの手配、客人。

日本人として初めてヨーロッパに留学し法王とあった人物。


しかし、日本天正遣欧少年使節団は、イタリアイタリア人ヴァリアーノの手配で、客人。

おまけに大友、有馬、大村の書状を手に法王に会い、いわば日本の公人。

彼らは、ローマ市民権も与えられている。


なので彼らについていろいろ調べることにした。


そしたら・・・・・

帰国後、伊東マンショは、

小倉を拠点に布教活動をしていたことが判明。


小倉のどこ~~~!!!



しかし、細川忠興(ガラシャの旦那様)1611年に追放し中津さらに追われ→長崎へ

長崎のコレジオで1612年に病死



中浦ジュリアンは、博多で活動

1613年黒田長政が、キリシタン弾圧に乗り出したので、追われ長崎へ。

殉職覚悟で九州を回りながら地下活動を行うが、

1633年小倉で捕縛され、長崎に送られ穴吊りの刑で殉職。


小倉のどこで~~~捕まったん?????


仮説

小倉に隠れキリシタンの基地があったのでは。


早速捜索を開始した。

日本史オタクの母の友達に、中原ジュリアンに詳しい人がいるとのことで聞いてもらった。


文献が残ってないので分からない。とのこと。しょぼん


いいぞ、そんなに簡単にわかっては、楽しみがない!!!!


調べてみよ!と闘志にメラメラ火がついた。


長崎に行けばわかるかも・・・・

捜索の旅も悪くない。


なんで、ITA中の私が闘志をみなぎらせてるかというと・・・・・


それは


きっとイタリア人が来て、滞在していれば、そうゆう施設を利用したはず。

その手がかりを見つけるため、第1段階



北九州に1番に来たイタリア人が知りたい~~~!


1番に来たオルガンティーノさんも2番目のヴァリアーノさんも、長崎から上京しています。

北九州を通過した可能性は、高い。


じゃ・・・・どこに泊めてもらう??


推測


やっぱ、信者かお金持ちの家。

いってみれば彼らは、貿易商みたいなものもしてたみたい。


武器、西洋文化が欲しけりゃ入会を!

(ちょっと言い過ぎかな?)


なんで、まずは、その当時小倉で1番大きな問屋、教会を探してみるか。