先月WOWOWで放送されたドラマ
「なぜ君は絶望と闘えたのか」をやっと見た。


これは1999年に山口県光市で起きた
母子殺害事件のドラマ。
まだ裁判中なのでフィクションで作られたようです。


少年法に守られる加害者
司法の壁にぶつかり、
行き場のない怒りや絶望と闘う被害者家族


この事件に限らず、いつも思うのは・・・


加害者の恵まれない家庭環境や
悲惨な生い立ちを持ち出し
「だから情状酌量の余地が・・・」という弁護・・・


これはナシじゃないですか?


カレル・チャペック著の
「ひとつのポケットから出た話」の中にこんな話がある。


生きている間に9人の殺人をおかしたクグレルが
天上で最後の審判にかけられる。

その裁判では全知の神が証人として
クグレルの殺人を証言する。

裁判長と判事が協議のため
しばらく席を外した時のクグレルと神の会話。


ク 「どうして神様のあなたが
   自分で裁判をなさらないのですか?」


神 「それはね、わしが何もかも知っているからだよ。
   裁判官が何もかも知っていたら、
   裁判なんてできやしないよ。
   

なまじっか何もかも分かるようになると
   心が痛んでしょうがないのだよ。

   このわしにどうしておまえの裁判ができよう。
   裁判官たちはおまえの犯した罪のことしか知らないが、
   わしはおまえのことは何もかも知っているのだからね。

   クグレル、何もかもなのだよ。
   それでわしはおまえを裁くことができないのだ」


ということだと思う。


育った家庭環境や生い立ちなんて
考慮に入れてたらきりがない。


それでは被害者や遺族は救われない。


だからこそ、犯した罪のみで
加害者を裁かなくてはいけないと思う。


誰のための裁判なのか・・・

私は被害者や遺族のためのものであってほしいと思う。