思い出した
それは
なぜ?
社交的で
日本人社会で
平均的な一般的な
と
言われる
と
されてる
人たちに
偏見をもったのか?
先ずは
人として
疑って
信用出来ないのか?
それは
僕が初めて
社会人として働きだした頃
その頃に知り合った
友人の実家に行った時の事
僕は
こんな家
家族
有るんだ〜って
家族仲良しで
父親と友人のように喋ってて
一家団欒、
サザエさん家族のような
昔の
ホームドラマで出てくるような
その家は、実家は、
そんな家族だった。
その彼は
それまでは
いいやつ
と思ってた
疑いもなく、
それが
その家に
久しぶりに友人と
何年かぶりにいって
そしたら
その彼は
久しぶりに会った僕に対して
話の流れで
説教的なことを言ってきた
それは
その内容は
ややこしいので
書かないけど、
完全に誤解で
僕に対しての偏見で
うたがいもなく説教を
説明もするきにならなかった
それをすると
逆に
彼がただただ
悪者になるだけで
久しぶりの再会が
もう終わり、のようになるだけで
一緒に行った友人の事もあったから
その場の雰囲気や
空気を悪くしない為にも
僕が
ただただ
空気の読めない
ダメなヤツになれば
その場がとりあえず
収まる、
そう思ったから
僕は
説教、されるがまま
それは
相手の言い分や
察する心さえ持ってれば
そんな事にはならないこと
ただただ
偏見で決めつけ
そこは疑う事なく
自分の人を見る目が正しい
そうゆうヤツなんだ〜
でも
世間一般的には
彼は
彼らの家族は
良い人
すごく平均的な日本人
そう思われてるような
周りの人たちは
そう思ってる人たちは
多いような
僕も
その事がなければ
気がつかなかったこと
その彼に
偏見を持たれてる
一部の人が
その事に気がつくこと
と
ゆう事は〜
日本人の
平均的な
多くの人たちは
このタイプが
そこそこ居るのかも?
とも言えることになる
と
そう思ってしまった僕は、
普通に見える人にたいして
いや
もしかしたら
この普通にみえる
この人
信用できるのだろうか?
まず
疑ってしまうタイプに
僕はなってしまった
僕は
サバンナ高橋タイプ、じゃないから
自分を正当化する為に
その場の空気が悪くなることなら
もう自分がダメに思われたり
損することでも
仕方ない、と
本当にわかってくれる人、
その状況を
そこを含めて理解できる人
だけでいいかな〜って
だから
浅く広く知り合いが多い
でも
ほとんど信用出来ない
そうなってしまう
本当に信頼できる人は
僕が信頼してるだけで
親友でもなんでもない
勝手に信頼してるだけ、
そうゆうふうにしてる。
自分の判断を疑わない人、
自信満々な人
自信満々は良いけど
判断基準を臨機応変に
コントロール出来るひと
じゃないと
ただ単に
わがままな
自己中なひとになってしまう
そんな人ほど
自分が自己中な事を
わかってない。
人に意見を押し付けるんじゃなくて
受け入れる人
そうでないと
人と人との社会生活は
出来ない
自分はよくても
誰かが迷惑をしてる
その事に気がついてるか?
自分が気がついてないだけで
そうしてる事があるかも?
そうゆう気持ちが
少しでもなければ
ダメなんじゃないかと
人は見かけや肩書きや
そんな事で
判断すると
痛い目にあう
そうゆうこと
新社会人たち
あるよ〜〜 ( ^ω^ )
警察官も、人。
学校の先生も、人。
面接官も、人。
だから
犯罪するような人じゃない、
???
いやいや〜
普通に見えて
犯罪者の方が
よっぽど怖いよ〜 ( ^ω^ )
いかにも〜って人は
見た目でわかりやすいから
逆に周りの人が気をつけやすいし
そうゆう人は
誤解されやすいから〜とか
以外と良い人だったりするし
ま〜
悪い人が
見た目通りの方が
普通の良い人そうに見えて
犯罪者の方が
よく考えてみて、
怖いから。
間違いない!
考えすぎだよ!
もっと気軽に楽しく!
そう言ってる人は
もっと考えろ〜!
って。
そうゆう能天気に生きて
自分が周りの人に十分気をつけてる
事が出来てる。
それは
間違ってないのか?
うたがいを持ってるかどうか?
そこがポイント。
そんな事も頭に浮かばない、
そう思って勘違いして
自分の考え方を押し付けてる人に
気をつけろ!
って話、でした。( ^ω^ )