夏の刈和野とはたまらなくノスタルジックな場所である。
なぜなら私が小さい頃から、ほとんどその姿を変えていないから。
夏になって鬱蒼と繁っている緑も、タチアオイも凌霄花も、幼い私が見てたものとなんの変わりもない。
だから私は夏になると近所をよく散歩する。
私をトランス状態にさせるものの代表に、音楽と本があるが、刈和野を音楽聞きながら散歩とかノスタルジーすぎてトランスしまくりである。
そのあと長野まゆみの初期作品なんて読んじゃったらもう大変だね。
トランス状態の私はもはや別世界の住人で、この世の人の声はあまり届かないところへ行ってしまっているのだが、それがまたたまらない。
トランス状態を誘発しやすい曲に、スピッツと新居昭乃がある。
スピッツの水色の街が出た当時、それを購入した私はなんでこんな訳のわからない曲をシングルにしてしまったのかと思っていたが、この歳になって水色の街をいい曲だと思うようになった。
あのふわふわした感じがまさにノスタルジック。
人にはいたずらに共感して欲しくないものがあると思う。
あ~あれいいよねほんと!などと軽々しく言って欲しくないもの。
私にもある。例えば草加雅人。彼の魅力だけは知ったような事を言って欲しくない。
好きすぎてあまり人に共感して欲しくない。
特別とはそういうものなのだ。
最近昔の同級生が結婚したり子供出来たりして、なんだか大人になってしまったなぁ…とか思うけど、ノスタルジーに浸りながら刈和野を歩いている時は、どうしても童心に返らざるをえない。
現実逃避する女、赤川(24歳)