テリィがキャンディと別れてから1夜が明けた。テリィはあの後スザナと少し話した後、帰っていった。その瞳に涙が浮かんでいた事にはあえて気が付かない振りをして、彼を送り出した。スザナは彼女の事を考えていた。彼女は無事に汽車に乗れただろうか…。朝日がさしこむ病室の中、ぼんやりとまだ開ききっていないカーテンを見つめているとマーロウ婦人が入ってきた。
『スザナ、起きていたのね。おはよう。』
『おはよう、ママ。今日はいい天気なのね。』
それ以上会話が続かなかった。スザナには母が昨日の事を知りたがっているのが分かっていたが、何から話せば良いのか分からなかった。
又、彼女も娘になんと言葉をかけていいかわからなかった。とりあえず彼女はいつも通りに仕事を進めていった。窓を開いて空気を入れかえて、軽く掃除をする。それから果物を持って来たのを思い出してスザナの横に椅子を持ってきて座った。
『いちごが見つからなかったから林檎を買ってきましたよ。やっぱり冬にいちごはどこのお店にも置いていなかったわ。さぁ、林檎をむきましょうね。』
スザナは彼女の気遣いに感謝していた。昨日の事を話しにくいと思っていた所に、あえて追及せずに話し始めてくれた事を心から有り難く思っていた。
『ありがとう。ごめんなさい、ママ。』
彼女はスザナが昨日の事を話し始めようとしている事に気がついた。ゆっくりとスザナに視線を送る。
『いいのよスザナ、あなたが無事だったのだから。あなたが生きていてくれただけで私はいいのです。とにかくもうあんな事はしては駄目ですよ。』
『もうあんな真似はしないと必ず誓うわ。ねぇママ、テリィを責めないでね。テリィを苦しめていたのは私なの。私…私…嫌な女になっていたのよ。テリィには私と出会う前からキャンディという素敵な恋人がいたのよ。ママは知っていると思うけど私、テリィが入団テストに来た時に彼に一目惚れしたの。それからは私、とても幸せだった。ハムレットにリア王…、色んな舞台で彼の相手役に抜擢されて…。彼と旅をして…。でも、シカゴでリア王の舞台が終わった後、市長開催のパーティーでテリィが私を置いて出ていってしまって…。彼のファンが彼女の名前を口にして悔しそうにしているのを聞いてしまったの。彼は私にいつもそっけなかった。みんなに対してもそっけなかったからそれが彼だと思ってたのよ。でも彼女を探しに行く彼の瞳には見た事がない光が宿っていた。彼は輝いていた。彼女にすごく嫉妬したわ。ホテルに彼を訪ねてきた彼女を追い返した。私には彼を振り向かせる自身があったのよ。でもあっさりと振られてしまったの。その後も彼らの文通を邪魔したり悪い事をたくさんしてしまったのよ。テリィと彼女が心底愛しあっているのは知っていた。でも彼らの愛に負けないくらい私も彼を愛してしまったの。だから今回の舞台に彼がキャンディを招待しようとしていたのも知ってるし、彼が彼女を離さないつもりで片道切符を送った事も知っていたのよ。悲しくて苦しくて死んでしまうかと思った。そんな時にテリィの上に照明が落ちてくるのが見えて…。とっさに彼を突き飛ばしたの。自分の意思でしたのよ。だから彼は何も悪くないの。でもね、それで彼が振り向いてくれる訳じゃなかった。それに気がついて…。虚しくなっちゃって。ママが彼にプレッシャーかけたのも知ってた。彼が自らの意志で通ってくれていた訳じゃない事も…。彼らが愛しあっていることも変わらないわ。だから昨日ママに売ってるはずのないいちごを頼んで…。松葉杖で屋上の階段を上がっていったのよ。そしてまさに飛び降りようとした時よ、キャンディが飛びこんできて…。私を手すりから引き剥がして止めてくれたのよ。後はママが知っている通りよ。』
『そうだったのね…。じゃああの女性は…。』
彼女は娘を救ってくれたのはテリィだと思っていた。彼女がスザナの病室に入った時はキャンディしかいなくてパニックになってしまったから記憶があやふやだった。彼女はスザナを病室に戻した後、テリィと二人きりにさせてあげる為に部屋を出ていた。だからキャンディとスザナの会話も知らなかった。
『キャンディよ。あの人が私を救ってくれた。私を止めたら自分達の邪魔になるのに…。自分の幸福を犠牲にしてまで私を助けてくれた。彼女はとても綺麗だったわ、ママ。私じゃとても敵わない。テリィと少し話した後、彼女とも話したのよ。彼女はグリーンの瞳に溜った涙を見せない様に明るく振る舞ってたわ。彼女には感謝しかないわ。生きる希望を残してくれたんですもの。彼女は無事に汽車に乗れたかしら。あんな思いをさせたまま帰してしまって申しわけないわ。』
『そうね。彼女に感謝するのよ。スザナ、彼女の分もテリィを愛して幸せになるんですよ。それが彼女に対するせめてもの恩返しなんですからね。さぁ、たくさん話して疲れたでしょう?もうしばらく寝なさいな。お客様が来たら起こしてあげるわ。』
彼女はスザナをゆっくりと寝かせた。娘の顔を見つめながら編み物をしていた。いつのまにこの子はこんなに大きくなったんだろう。いつのまにこの子は人を愛する年になったんだろう。キャンディの事も考えていた。我が子を救ってくれたグリーンの瞳の彼女。彼女は帰りつけたのだろうか。我が子の為に身をひいてくれ
て、生きる希望を与えてくれた人。感謝しなければいけない。でもテリィには忘れてもらわなければ。テリィにはスザナを愛して貰わなければいけないのだ。スザナの足の責任はとって貰う。
気がつけば日は傾いて、夕日が沈みかけていた。スザナも目を覚ました。
『そろそろテリュースが来る時間ね。買い物に出ようかしら。スザナ、なんか欲しいものはあるかしら。いちご以外なら買ってきますよ。』
『ママ、ありがとう。また林檎が食べたいわ。それと便箋と封筒お願いできるかしら?』
『えぇ、もちろんよ、スザナ。すぐに戻ってきますからね。』
スザナはまた一人になった。テリィの今日の公演はうまくいっているかしら?もう今頃は第3幕が終わる頃ね。スザナはゆっくりと目を閉じた。ジュリエット、やりたかった…。でもテリィがもうすぐ来るのね。今までの中で1番苦しくて待ち遠しい時間だった。しばらくするとノックが聞こえた。
『どうぞ。』
『やぁ、スザナ。体調はどうだい?』
花束を持ってスザナの横の椅子に座るテリィはやつれていた。たった1日でこんなにも人はやつれてしまうのかと思う程、彼はぐったりとしていた。彼になんて声をかければいいか分からなかったので、スザナはぎこちなく微笑んだ。
『今日は少し調子がいいのよ、テリィ。今日は2日目ね。あなたのロミオ見たかったわ。』
スザナが話しかけてもテリィは魂が抜けた様に
『あぁ』
『うん。』
としか返事をしない。上の空の返事ばかりだったがスザナは幸せだった。一瞬寂しくなったがすぐに頭を振った。どんな彼でも愛している。どんな彼でも隣にいてくれるだけでいい。足を失うことなんて、彼を失うことを考えればなんでもないのよ。彼の魂が彼女を追いかけているのは始めから承知の上だ。今はそれでもいい。いつかは振り向いてくれるに違いないもの。振り向かせて見せるわ。スザナは暗くなった窓の外を見ながら静かに微笑んだ。