武蔵は1980年代初頭は都内トップ高であった。筑駒は抽選が当たらないと学力試験が受けれないので偏差値の序列外。開成は偏差値的には武蔵と同程度であった。年によっては武蔵が上、年によっては開成が上と言った感じだった。この時期は麻布のレベルがかなり落ちており、私の周囲で麻生を受ける者はいなかった。

そして、みなさんご存知のように、その後武蔵は凋落した。その原因は学内者から見れば明らかだった。武蔵の授業の大半は大学受験との関連性が薄く、教師は自分の興味がおもむくままの学問もどきのような話しかしない。その時点で、生徒は受験勉強は自宅で独習するしかないと気付く。さらに中3から高二まで3年間、大学受験とは全然関係ない第二外国語(ドイツ語、フランス語、中国語から選択)を中3から高2まで三年間学ばせる。そして高3になっても大学進路指導は一切しない。どのクラスの担任も受け持ちの生徒がどこの大学を受けるのかすら知らない状態のまま生徒たちが卒業していくのを傍観していた。私が武蔵に入った1980年台初頭は、そのような教育理念がまかり通っているという情報はまったく入ってきていなかったし、制服がない自由な校風がいいかなあ、くらいの思いで武蔵を選択したが、情報化社会になり、武蔵という学校が生徒の面倒などまったく見てくれてなくて、すべて生徒任せにしてしまっている学校だという情報が一般に流れたら、受験生の子を持つ保護者は愛する我が子をそんな学校に入れたいと思うであろうか?今や東大合格者数を増やすことをスローガンにする聖光学院(神奈川)、栄東(埼玉)、渋幕(.千葉)などが大人気になっているという嘆かわしい状態にある。何の情報もなかったときに、私が武蔵に入学して、そこで自由意志に基づいて本当に広く自然あふれるキャンパスで過ごした中高6年間は私の一生の宝物である。保護者は東大合格者数をもとに我が子の受験校を決めていく傾向があるので、武蔵を選ぶ保護者は減り、武蔵の偏差値の低さは、東大合格者数の減少と悪循環をなして、止まるところを知らない。僕は、自分の息子たちをレベルの低い同級生とともに受けさせるわけにはいかないと考えて、長男も次男も開成を受けさせてしまった。あと、東京のなかでも神奈川寄りの地域に住んでいたので、武蔵への通勤は大変そうだという理由もあった。しかし、1980年代初頭には凋落していた麻布は見事な復活を果たしているではないか。武蔵も麻布の後を追い、昔みたいに東京男子御三家は、どれも、伝統に基づく立派な学校であると呼ばれるようになってほしい。

僕が中学受験した1980年代初頭の中学受験には一生忘れられない凄まじい経験をさせてもらった(僕が通っていた塾だけかも)。僕は小学校で成績がとても良かった。ある日登校すると、漢字テストの結果発表の前で人だかりができてるので、何事かと思ったら、「お前、満点ではないぞ」と友だちに言われた。みんなそれで驚いていたのであった。何しろ僕はそれまで50回くらい連続で満点だったから。

しかし、僕が異常に勉強がよくできると父親が気付くのが遅すぎた(母は教育にまったく関心がなかった)。僕は4年生まで野球ばかりやってて、5年生になって初めて塾に入ろうとした。御三家なんて大それたことは考えずに、当時それらに次ぐ難易度であった桐朋中と駒場東邦中のうち家から比較的近い桐朋中に狙いをさだめて、塾に事情を話した。そうしたら、どこの塾からも、桐朋に入るには5年生から勉強してももう遅い、と言われて入塾を断られた。しかし、ある塾の算数の先生に拾ってもらってその塾に入った。その先生には感謝しかない。その塾は小規模だったので、大きな塾の模試をよく受けに行くのだが、その帰りには必ず生徒全員をシェーキーズというピザ屋に連れていってくれた。僕はなぜかそういった模試で必ず10位以内に入るので、志望校を桐朋中から武蔵中に変更した。しかし、その塾での授業は凄まじいものがあった。先生は常に竹刀を持っていて、問題が解けないと竹刀で殴られた。これは精神的にキツいのはもちろんだが、本当の話身体的な痛みがもっとひどかった。塾の帰りに本屋で立ち読みしてるのがバレた生徒は次の日みんなの前で土下座させられた。テストが終わって採点された解答用紙が戻ってきたときに、ふと前の生徒のそれを見ると、点数は書いていなくて、赤字で大きく「カンニング!」と書いてあった。そういう僕も受験本番の1週間くらい前に試験で少しミスをしたら、「お前、絶対武蔵落ちる」とみんなの前で罵声を浴びせられた。このような厳しい授業が土日祝を含め1日も休むことなく毎日夜23時過ぎまで行われた。(遠くから通ってきてた生徒は終電がなくなるので早く帰されたが。)さすがにここまで来るとやり過ぎである。しかも、授業のほとんどは算数で、国語、理科、社会に時間はほとんど割かれなかった。これは、理科、社会の配点が極端に少ない武蔵(記憶によると配点は、算数100、国語100、理科40、社会40だったと思う)を受験した僕には都合良かったのだろうが、開成受験者にはそうは言えないだろう(麻布受験者はいなかった)。しかし授業が終わる23時過ぎには先生は生徒たちを塾のすぐそばのゲームセンターに連れて行って(当時はゼビウスが流行っていた)、慰労してくれたのでなんとか生徒たちも受験当日まで持ち堪えられた(もちろん途中で落伍して突然来なくなった生徒も少なくなかったが)。

私は武蔵の他には筑駒と、塾サイド(先生でなく経営者サイド)から依頼されて慶應中等部と慶應普通部を受験し、抽選で落ちた筑駒以外は全部合格した。武蔵を合格したら鹿児島ラサールを受けに連れて行ってもらうことになっていたが、面倒くさくなって結局行かなかった)。慶應は中等部も普通部も事前に倍率40倍くらいだと聞いていたので受かる確信はなかったが、休み時間に僕の隣の席の受験生のところにどこからか別の友人らしい受験生がやって来て「2月1日の攻玉社どうだった?」とか言って話し込んでいたので、要するにどんなレベルの生徒でもとりあえず慶應は受けるのだな、と思い、合格を確信した。(ちなみに、武蔵の倍率は2.7倍程度だったと思う。真の難関校は普通そうだということは後から知った。)

今ではこんな体罰をする塾なんて論外だし、ここまで先生が熱心に時間を割いてくれる塾なんてないだろう。まったく家庭での学習の必要性がなかった。教育にまったく関心のない母親を持つ僕は、あのような塾なしでは御三家合格なんてとても無理だったと思う。

なお、僕の息子たちが受験した頃はすでにサピックス一色になっていた(ちょっと変わっている次男は途中でサピックスを辞めて別の塾に移ったが)。家での母親のもとでの家庭学習が必須であった。ずいぶん時代は変わったものだと思った。

なぜか、最初に書いたプロフィールの文章が見つからなくなったので、再掲します。ブログを書くの初めてですので、お許しください。


中学受験終わりましたねー。

御三家中でも異色を放つ武蔵
武蔵中学はサピックス等の塾の接待をしないから、サピックスにいるハイレベルな小学生が受験しなくなったとか。サピックスの嫌がらせだったのか。まったく武蔵らしい話です。武蔵は広い緑溢れる素晴らしい中学高校。私が入学した1980年代初頭はそういうサピックスみたいな塾はなく、開成と武蔵は両巨頭だった。私の年は武蔵の方が少し上だったかな。当時麻布はちょっとレベルが低いと聞いていたので、現実的にはこの二者択一だった。

https://president.jp/articles/-/27009?page=2

筑駒はくじがあるので当てにするなと塾の先生に言われてたが、たしかに私はくじで落ちた。最近は中学入学後も武蔵は鉄緑会の指定校から外されたそうだ。武蔵生が塾に行くなんてアホらしい。あくまでも武蔵の三代理想の一つである「みずから調べみずから考える」のみである。中学受験にあたって保護者は東大入学者数を見て受験校を決めてるのではなかろうか。アホらしい。東大なんて世界大学ランキングで100位にも入らない大学なのに。アメリカの大学を目指そうぜ!