2023年12月31日日曜日

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」

今日の掲載は (37) 初めての親孝行。

神主になって五年目が過ぎた時、五郎は両親を一週間の沖縄旅行に招待した。生まれて初めての親孝行であった。

15年前、北海道の実家を出たのも、父親を殴り4針を縫う怪我をさせたからである。

あの日、実家に従兄(いとこ)が遊びに来た。父は五郎に挨拶するよう促した。しかし五郎は断った。態度の大きい従兄のことを日頃からよく思っていなかったからだ。従兄は二時間ほど父と飲食を共にし帰宅したが、その後父は五郎の部屋に来て説教を始めた。

「従兄が遊びに来たというのに、なぜ顔を出さないのか」

「好きでない奴に挨拶する気はない」

「馬鹿なことを言うのも、いい加減にしろ！」

父親は血の繋がりを大切にする人間だった。一方五郎は血の繋がりには全く興味がなかった。最初から考え方が違っていたのである。言い合えば言い合うほど、溝は深まっていった。父は居丈高に五郎を怒りつけた。

五郎の導火線に火が点いた。父の顔面にパンチを浴びせた。頬が切れ鮮血で畳が真っ赤に染まった。さらに攻撃を加えようとした時、母が「やめなさい！」と絶叫しながら間に割って入った。もし母が止めてなければ大変な事態になっていたことだろう。

こうして五郎は北海道の実家を後にしたのである。

那覇空港へ迎えに出た五郎の顔を見た母は染々と眺めて言った。

「顔つきが柔和になっている」

母が言うのだから、本当に柔和になっていたのだろう。神主という職業が五郎を変えたのである。

初日の夜は老舗料亭「料亭那覇」で、神社職員全員が両親の歓迎会を開いてくれた。次々出てくる珍しい琉球料理、南国情緒たっぷりの琉球舞踊、そして神社職員の暖かいもてなしに両親の顔はほころびっ放しだった。

母がつぶやいた。

「これが15年前、父親を叩いた同じ息子か！」

その夜、両親は神社の五郎の部屋に泊まった。川の字に三組の布団を敷き、親子は夜が更けるのも忘れ語り合った。

二日目は、五郎が車を運転し、北海道出身の沖縄戦で亡くなった1万柱が祀られている北霊碑を参拝、その後、摩文仁が丘の南部戦跡、海軍壕、首里城を案内し、夜は沖縄本島中部の恩納村にある「ホテルみゆき」に宿泊した。

「ホテルみゆき」は沖縄初のリゾートホテルで、社長は仲本盛次だった。仲本は沖縄県アマチュアボクシング連盟理事長(のち副会長)で、五郎がボクシング連盟に加入したのも仲本の推薦であった。

仲本は五郎と両親を前天皇皇后が皇太子の時宿泊した最高級の部屋を提供した。広々とした間取りと豪華な内装、ベランダからの眺望はバスクリンを撒いたような紺碧の海が広がっていた。両親はあまりの美しさに驚嘆した。

三日目は沖縄国際海洋博覧会開会式当日、皇太子夫妻が宿泊した「ロイヤルビューホテル」に宿泊した。当時、五郎は沖縄海洋博直轄警備隊とし勤務していた。直轄警備隊とは沖縄国際海洋博覧会協会が直接雇った三十名からなる精鋭部隊で、開会式に臨席した皇太子夫妻の間近で警備にあたった。特に五郎は直轄警備隊の総代を務めていたため皇太子夫妻に寄り添うように警護を勤めた。

前日、ひめゆりの塔で過激派左翼が皇太子御夫妻に火炎瓶を投げ付けていたため警護は、殊の外大変であった。皇太子御夫妻が歩く園路には、観客が近付けないよう厳重にロープが張られたが、御夫妻は前日の事件などなかったかのように観客に握手を求めて歩み寄った。特に観客は美智子妃殿下との握手を求めて殺到した。五郎は美智子妃殿下と観客の間に割って入り、サンドイッチ状態で警護したことを「ロイヤルビューホテル」に宿泊しながら両親に誇らしげに語って聞かせた。

四日目は石垣島へ渡り、「移民館」という一泊千円の民宿に泊まった。この民宿は五郎が尖閣列島へ手漕ぎボートで渡るための訓練をしていた時、泊まっていた宿で、やはり五郎にとって思い出の宿だった。「ホテルみゆき」や「ロイヤルビューホテル」のような高級ホテルと違い、部屋にはクーラーもない、トイレも洗面所も風呂もない、煎餅布団に枕・毛布一枚のみ。しかし両親は嫌がることなく、逆に若者の生き方に興味を示してくれた。

五郎はこの宿をねぐらにして、三ヵ月間、尖閣諸島へ手漕ぎボートで渡るため猛特訓を続けていたのである。練習は苦しみばかりでなく、楽しい思い出も沢山あった。

「移民館」は、宿泊料金が安いため、お金のない若い旅人が占めていた。長期滞在者が多くギャルも多く泊っていた。昼間はギャルをボートに乗せて石垣島・竹富島間を往復し、夜になると皆が五郎の部屋に集まり、昼間海で取ったシャコ貝やウニやアワビ・タカセ貝をツマミに酒盛りをした。毎夜、盛り上がり、時間の経過とともに親しくなった男女は各部屋へと散っていった。フリーセックスの演劇実験室・天井桟敷と酷似していた。

「移民館」での思い出を、五郎は両親に事細かに話して聞かせた。両親は「小説の世界だ」と呆れ顔で笑って聞いてくれた。

五日目は竹富島の民宿「仲盛荘」に泊まった。竹富島にも五郎は多くの思い出があった。竹富島で働いていたこともあったからだ。竹富島は人口が約三百人、集落全体が木造赤瓦の民家と白砂を敷き詰めた道で出来ており、昔ながらの沖縄の姿を保っていた。

この島で五郎はマイクロバスの運転手をしていた。船着場に着いた客をマイクロバスに乗せ、島を一周して再び船着場に戻ってくる。客は地元の住人及び観光客であった。五郎は当時の記憶を生かし、両親に観光スポットを丁寧に説明して歩いた。

竹富島には、五郎のことを息子のように可愛がってくれた「竹富島のお父さん」が居た。

事務局長金城勝一のお父さんである。五郎はお父さんの所へも両親を連れていった。五郎が知合った時は、八十六歳、二年後の米寿の祝いは盛大に行なわれ五郎も招待された。

竹富島のお父さんは既に九十五歳になっていたが、八十三歳の父より元気だった。近くに住む百歳と百二歳のお婆ちゃんも駈け付けて、暫らく長寿の秘訣で花が咲いた。

「なぜ沖縄には長寿者が多いのだろう？」

両親は元気な古老を目の当たりにし驚いていた。

六日目は、再び那覇に戻り、神社の五郎の部屋に泊った。親子水入らずの最後の夜は、神社境内に出て、月明かりの下、南国の夜空の星を眺めつつ語り合った。親子がこのように、長時間和やかに会話を交わしたのは、生まれて初めてのことであった。