2026年1月7日 (水)

ジムに来たのは五郎のみ。

 

練習生募集中

我がジム(奥武山ボクシング会館)は沖縄県ボクシング連盟のジムである。入会金・会費は無料。小・中・高校生の選手育成強化を目的としている。不良少年・いじめられっ子・劣等生 大歓迎。トレーナーも揃っている (8名の拳友会員)。入会希望者はTELください。090-8292-1442 (ワタナベ)

 

奥武山ボクシング会館  『ウィキペディア』 より

奥武山ボクシング会館(おおのやまボシングかいかん)は沖縄県那覇市奥武山町51-2、沖縄県営奥武山公園内に所在する。 1983年(昭和58年)4月、総工費3,250万円の内、県からの補助2,050万円を受け完成した。沖縄県ボクシング連盟が管理している。 鉄筋コンクリート平屋建てで広さは297平方メートル。中央にはリングやサンドバッグがあり、壁には全身用のミラーがはりめぐらされている。採光、通風もよく、明るい雰囲気がただよっている。奥には18畳の広い和室があって、トイレ・シャワールームも完備しており、宿泊練習ができる充実した施設である。

2026年1月6日 (火)

ジムに来たのは五郎のみ。

 

練習生募集中

我がジム(奥武山ボクシング会館)は沖縄県ボクシング連盟のジムである。入会金・会費は無料。小・中・高校生の選手育成強化を目的としている。不良少年・いじめられっ子・劣等生 大歓迎。トレーナーも揃っている (8名の拳友会員)。入会希望者はTELください。090-8292-1442 (ワタナベ)

 

奥武山ボクシング会館  『ウィキペディア』 より

奥武山ボクシング会館(おおのやまボシングかいかん)は沖縄県那覇市奥武山町51-2、沖縄県営奥武山公園内に所在する。 1983年(昭和58年)4月、総工費3,250万円の内、県からの補助2,050万円を受け完成した。沖縄県ボクシング連盟が管理している。 鉄筋コンクリート平屋建てで広さは297平方メートル。中央にはリングやサンドバッグがあり、壁には全身用のミラーがはりめぐらされている。採光、通風もよく、明るい雰囲気がただよっている。奥には18畳の広い和室があって、トイレ・シャワールームも完備しており、宿泊練習ができる充実した施設である。

2026年1月5日 (月)

ジムに来たのは五郎のみ。

 

練習生募集中

我がジム(奥武山ボクシング会館)は沖縄県ボクシング連盟のジムである。入会金・会費は無料。小・中・高校生の選手育成強化を目的としている。不良少年・いじめられっ子・劣等生 大歓迎。トレーナーも揃っている (8名の拳友会員)。入会希望者はTELください。090-8292-1442 (ワタナベ)

 

奥武山ボクシング会館  『ウィキペディア』 より

奥武山ボクシング会館(おおのやまボシングかいかん)は沖縄県那覇市奥武山町51-2、沖縄県営奥武山公園内に所在する。 1983年(昭和58年)4月、総工費3,250万円の内、県からの補助2,050万円を受け完成した。沖縄県ボクシング連盟が管理している。 鉄筋コンクリート平屋建てで広さは297平方メートル。中央にはリングやサンドバッグがあり、壁には全身用のミラーがはりめぐらされている。採光、通風もよく、明るい雰囲気がただよっている。奥には18畳の広い和室があって、トイレ・シャワールームも完備しており、宿泊練習ができる充実した施設である。

2026年1月4日(日)

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」今日の掲載は

 

    (31)  断食修行

 

 五郎が最初に断食を行なったのは、21歳の時だった。雑誌の広告に「ノイローゼが治る」と書かれていたからだ。

   五郎は若い頃、ノイローゼに悩んでいた。治りたい一心で静岡県焼津市にあった断食道場に入った。三日間の予備断食の後、二週間の本断食、一週間かけて復食を行なった。予備断食は普通食から三日かけて徐々に食事の量を減らしていき、本断食は水以外を一切取らず、復食は重湯から始まり1週間かけて普通食に戻るのである。

 五郎は神主になってから再び断食修行を開始した。

 断食は免疫力を高めるため、万病に効くと言われている。ノイローゼ・アトピー性皮膚炎・腎臓病・肝臓病・高血圧・糖尿病・リューマチ・神経痛さらには癌まで治ったという報告例もある。

   石原慎太郎は「老いてこそ人生」の中で「人間にとって、いやすべての動物にとって最大最高の医者は二人います。一人は熱。もう一人は断食です」と、断食の治癒効果を述べている。瀬戸内寂聴は黒柳徹子とのテレビ対談で「断食すれば全ての病気が治る」とまで言っていた。

 しかし五郎が断食を重要視したのは、病気が治るからではなかった。人格の強化だった。断食は人格強化には特効薬的効果がある。ノイローゼに悩んでいた五郎は最初の断食で、このことを実感した。

 断食によって、人格は強化される。断食ほど簡単に人格強化をはかれるトレーニングメニューは他にない。ただ食べなければ良いのである。お金は一切かからない。

 五郎は神主になって最初の年は一週間、次の年は八日間、次の年は十日間、次の年は二週間と徐々に断食日数を延ばしていき、十年後には一ヵ月間の断食をおこなうようになっていた。

 断食期間中で最も苦しいのは最初の三日間である。四日目以降、苦しさはピークを過ぎ、一週間も過ぎると体が断食に慣らされて楽になってくる。一週間断食に耐えれる者は、二週間でも三週間でも断食に耐えることが出来る。普通頭で考えると、断食は日を重ねるごとに苦しさが増すと思われがちである。ところが実際は違う。

 人間の体には適応力というものがあり補償作用が備わっている。気温が高くなると発汗し気温が低くなると毛穴を閉めて体温の変動を防いでいる。目が不自由になると聴力が発達し、音を頼りに歩けるようになるし、点字をなぞって指先で文字が読めるようにもなる。断食も日を追うごとに苦しみが軽減し、普通に近い生活が出来るようになる。

 五郎が31日間の断食を行なった時も、普通どおり神社勤務をこなしながらであった。20日目頃までは毎日3㌔のジョギングも行なっていた。

 とはいえ断食の苦しみは想像を絶するものがある。最初は空腹感から始まり、疲労感・脱力感・動悸・息切れ・心臓の痛み・腰痛・関節の痛み・幻聴幻覚等、この世にこんな苦しいことがあったのかと思える苦しみがドッと押し寄せてくる。

 ノイローゼの原因は失恋・受験の失敗・事業の失敗・失業・借金・対人恐怖症・スピーチ恐怖症等、人それぞれ違うが、そこに共通しているのは、その原因に捕らわれて藻掻き苦しんでいるということである。

 断食の苦しみは、これらの苦しみが無くなってしまうほど苦しいのである。食物さえ手に入れば後は何もいらないと思ってしまうから不思議である。

 断食期間中、確かにノイローゼは治っていた。しかし復食が始まり空腹が満たされてくると、再びノイローゼ症状が現われてきた。断食の苦しみが薄らぐことにより、再び元の苦悩が頭をもたげたのである。断食でノイローゼは治らない。しかし実際断食で多数のノイローゼ患者は治っている。それは断食が触媒になって人生観が変ったからである。

 断食の地獄の苦しみを通して、失恋・受験の失敗・事業の失敗・失業・借金・対人恐怖症・スピーチ恐怖症等の悩みが、悩むに値しない小さなことであると気付き、ノイローゼが治るのである。

 五郎は子供の頃「克己」という言葉を耳にした。辞書をひくと「おのれに克つこと」 「自分の欲望や邪念に打ち克つこと」と書かれている。「おのれに克つ」とは、どういう意味だろう? 当時意味が分からなかった。

   しかし神主になって「克己」の意味が分かった。おのれの欲望に忠実に生きては、神主は勤まらない。神主は神様と人との仲取り持ちである。神主を続けるには、おのれの欲望に打ち克たなければならない。五郎が神主になって断食修行を再開したのは人格の強化、すなわち「克己」にあった。

 決められた期間の断食を完遂するには、名誉や地位や財産がいくらあっても、何の役にも立たない。己に克つ者のみが完遂出来るのである。

 毎年の断食修行は、脆弱だった五郎の人格を直截に強化していった。

 

 

2026年1月3日(土)

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」今日の掲載は

 

(30) 断酒

 

   五郎が酒を飲み始めたのは高校 1年からだった。文芸春秋(昭和33年3月号)に載っていた石原裕次郎の手記「明日は明日の風が吹く」を読んだのが切っ掛けだった。

   裕次郎は、その中で「酒で死ぬなら仕方なし」と題して、次のように述べている。

 

『……ところで、ボクにインタビューにくる先生方は、きまり文句のように、こうたずねる。

「キミは、酒が大変強いというが、どのくらい飲むんだね?

「強くないですよ。ビールをそうですね、まあ、12本ぐらい……」

先生は「へエッ」と感嘆する。そして

「12本ね、1ダース飲むんですか?

「ええ、毎日、朝から晩までに12本平均です」

すると、今度は「へエッ」が出ない。その代わり「よくもあきずに、毎日朝から晩までビールを飲めるもんだ」と呆れ顔をする。……ボクは、酒で死ぬならしようがないと、思っている。……酒を断ち申そう、なんて気は毛頭ない。惚れ抜いてきた女をいまさらになって捨てられるかい、という気持ちだ。それでクタばったらクタばったまでのこと。自業自得だから誰も恨む筋合いもない。アルコール嬢との心中は、天城山心中みたいにロマンチックじゃないが、ボクにすりゃもって瞑すべしといいたいところだ。』

 

   五郎はこの手記を読み、裕次郎の真似をして酒を飲み始めたのである。当時、裕次郎は太陽族(不良青少年の群れ)といわれ、女性たちの憧れの的であった。

   五郎も裕次郎のように、もてたかったのである。クラスメートに酒屋の息子がいたことも幸いした。土曜日の夜になると、悪友4人が酒屋の息子の家に集まり酒盛りをはじめた。彼の部屋は離れになっていたので、両親たちに見つかることも無く、酒盛りを続けることができた。

   高校2年の春休みには、定山渓温泉の旅館に泊まり、温泉に浸かりながら、1日中悪友達と飲み明かしたこともあった。

   高校を卒業する頃には一端の酒飲みになっていた。社会人になってからは、収入の全てを飲み代に使った。天井桟敷に入団していた頃は、キャバレーやクラブに入り浸った。五郎の子分に番外地豪というのがいてトルコ嬢のヒモをしていた。彼女は毎月百五十万円稼いできた。その金で飲み歩いたのである。

   沖縄に来てからも歓楽街通いは続いた。

 酒を断ったのは沖縄県護国神社に採用された一ヵ月後だった。飲酒運転で逮捕され4日間、留置された。留置所から出てきた五郎に事務局長 金城勝一が言った。

「酒を止める気はないか」

   勝一は五郎に酒を止めるか神社を辞めるかを迫ったのである。五郎は神社を解雇されたくなかった。

「はい、酒は止めます」

「今回は勤めて間もないことであり、これからに期待する」

「ありがとうございます」

 五郎は深々と頭を下げた。

   その後、五郎は酒を断った。

 

2026年1月2日(金)

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」今日の掲載は

 

 (29)  女遊びの卒業

 

   演劇実験室・天井桟敷はフリーセックスの集団だった。天井桟敷を離れてからも五郎の女遊びは続き、神社に勤めるまでに、その数、ゆうに千人を越えていた。

   沖縄に移住したのは復帰の翌年で、日本の法律がまだ行き渡っておらず、県内の至る所に売春宿が点在していた。コザ吉原、宜野湾真栄原、那覇市栄町・・・・。

   売春が違法行為だとは誰も思っていなかった。たとえ違法だと気付いても、法律のほうが間違っていると思っていた。

   五郎の売春宿通いは神主になってからも続いていた。

『独身男が女を買うのは当たり前だ』

  五郎がよく通っていたのは那覇市栄町だった。栄町はバーと旅館が軒を連ね、バーで酒を飲んだ後、旅館へとしけ込むのである。各旅館には何名もの女性が待機していて、その中から、より取り見取り、気に入った女性を選ぶのだ。天国のような毎日だった。

   しかし、天国は長くは続かなかった。飲酒運転で捕まった時、同乗していた国吉次郎とは、何度か栄町のバーへも飲みに行った。五郎はバーで飲んだ後、旅館へと移ったが、彼はいつも、そのままバーで飲み続けていた。インポか彼女でもいるのだろうと、国吉がバーにとどまって居ることを五郎は気にも留めなかった。

   そんな折、東京の神社本庁から小野迪夫が来沖した。小野迪夫は神社界の重鎮で、沖縄が復帰するにあたって、沖縄の神主を全国レベルの神主にするため指導した人である。沖縄神社界の大恩人であった。

   小野が来沖した夜、沖縄県内の全神主が集まって、歓迎会が催された。小野迪夫を囲み、酒宴は和気靄々と盛り上がっていた。

   この席で国吉が、五郎が女を買っていることを暴露したのである。

「渡辺(網走五郎の本名)は栄町で女を買っている」

皆、シーンと静まり返った。

「そうですか、それはよくない」

小野迪夫は国吉の言葉をジョークと捉え笑い飛ばした。

   小野の温情ある一言で、その場は再び笑いに包まれ事なきを得たが、五郎のその時受けた衝撃は大きかった。

『神主は女を買ってはいけないのだ』

   酒宴の間中、この考えがグルグルと頭を駆け巡っていた。

   この日を最後に、五郎は女遊びを卒業した。

 

謹賀新年

 

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」今日の掲載は

 

 (28)  宮司とも揉める

 

   五郎は下地純一宮司とも揉めていた。宮司は高齢ではあったが容赦しなかった。勤め始めて暫く過ぎたある日、下地宮司が言った。

「君は飲み屋で自分のことを、宮司と言っているそうだな」

五郎は身に覚えがないので否定した。しかし下地は

「証人がいる、嘘をつくのもいい加減にしろ!」と、怒鳴った。

   五郎の闘争心に火がついた。五郎は自席から立ち上がって言った。

「誰が言ったのか証人を連れてこい!」

すると下地が叫んだ。

「殴るんなら殴れ!」

「よし、殴ってやる」

   五郎は右手で下地の襟首を掴み、暫らく引きずり廻した後、左腕を振り上げた。

   この時、傍で見ていた金城勝一の奥さんハルが「やめなさい!」と叫び、二人の間に割って入った。寸でのところで殴らずに済んだ。

「俺が宮司と言っているとは誰から聞いたのですか」

「国吉次郎から聞いた」

  国吉とは、五郎が飲酒運転で捕まった時、五郎の車に同乗していた神主である。国吉と五郎は飲酒運転で捕まるまでは、よく二人で飲み歩いていた。

   ある日、国吉行きつけのバーでママから職業を聞かれた五郎は「神主」と答えた。これを国吉は故意に「宮司」にすり替え、下地に伝えていたのである。無資格で神主をしている五郎への嫌がらせであった。

   下地は五郎の説明で国吉から再度確認することを確約し、その後国吉の嘘が分かり解決した。

   それにしてもハルが間に割って入っていなければ、本当に殴っていたところだった。

   ハルの目には涙が光っていた。

『この神社には俺に辞めて欲しくないと思っている人がいる』

   五郎の喧嘩癖は、この日を境に徐々に 治っていった 。

 

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」、この本には人類を救う力がある。 キリスト教の聖書 ・イスラム教のコーラン・仏教の経典 のように 一人でも多くの人に読んで貰いたい。奥武山ボクシング会館が休みの日、最初から順次連載します。今日の掲載は「(27)  賽銭ドロ」

 

 (27)  賽銭ドロ

 

   五郎が神社に勤務しはじめた当初、賽銭ドロが頻発していた。五郎は、それが許せなかった。

   ある日『今日こそは必ず捕まえてやる』との強い決意で、御社殿にサマーベッドとバットを持ち込み、横になりながら不眠で監視を始めた。

   配置に就いて5時間が過ぎた午前三時十四分、ついに泥棒が現われた。賽銭箱を手慣れた様子で開け始めた。そこを見計らって五郎は御社殿から飛び出した。

「オイ!」

   賽銭を漁っていた男に声を掛け、襟首を掴んで立たせ巫女室へ連れていった。椅子に座らせ、バットを顔面に差し向け「逃げたら、叩き殺すからな」と言いながら110番通報した。

10分後、八名の警察官が駆けつけた。

   五郎も豊見城署に同行し供述調書に立ち会った。

「犯人は抵抗しませんでしたか?」

「逃げたらバットで叩き殺すと言ったので、全く抵抗しませんでした」

「神に仕える人の調書に、バットで叩き殺すはまずいな」

   警官の呟きが聞こえた。

   清書された供述調書を確認するよう渡されたが「バットで叩き殺す」の言葉はカットされていた。

 

2025年12月30日(火)

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」今日の掲載は

 

         (26)  五郎の喧嘩癖

 

   神主になってから人は叩かなくなったが、喧嘩癖は中々改まらなかった。飲酒運転で捕まった時も、最初の時点で素直に謝っていれば、4日間も留置所に入れられずに済んだのである。

   沖縄の若い神主のグループ「沖縄神道青年会」の集まりに参加した時も、些細なことで場を白けさせてしまった。皆が楽しく会話を交わしている中、先輩神主が、軽い気持ちで五郎を君呼びにした。しかし五郎はそれを許さなかった。

「お前さんから君呼びされる筋合いはない」

  先輩神主は顔面蒼白になり「すみませんでした」と謝罪した。談笑は途絶え、まもなく会は解散した。羊の群れに狼が一匹紛れ込んだ感じだった。

   恩人金城勝一とも揉めた。五郎にとって恩人であることと正義は関係なかったのである。

   勤め始めて数ヵ月過ぎた秋、神社境内で観月会が行なわれた。観月会とは日本本土の月見のことだが、沖縄では何十名、多いところでは郷友会単位で何百名も集まり、酒を飲み御馳走を食べ、色々の芸能娯楽を催して楽しむのである。

   この日も三百名ほどが集まり、琉球舞踊・エイサー・カラオケ大会が催された。そして最後に西東に分かれて、綱引き大会が始まった。この時、大雨が降りだし綱引きは途中で中止になった。

   雨でズブ濡れになった綱は、持ち帰れなくなり、御社殿の中に乾くまで収納することになった。金城は五郎に収納を手伝うよう指示した。

「お断わりします」

「なに?」

「神聖な御社殿を倉庫代わりにするわけにはいきません」

   東京大神宮で受けた神職教育の結果だった。 

「お前は私の部下だ、私の指示に従いなさい」

「今日かぎり、局長の部下は降ろさせてもらいます」

「それなら神社は辞めてもらう」

「わかりました」

五郎は帰りかけた。

「待ちなさい。ついカッとなって言ってしまった。本意ではない」

金城は謝罪した。

   別のことでも揉めた。天井桟敷当時、五郎はプロボクサーを目指し、神主になってからは神社境内にサンドバッグやパンチングボールを吊し、近所の高校生を集めてボクシング指導をしていた。五郎の部屋は参集殿の一室で、部屋の壁にはボクシングのポスターが何枚も貼られていた。

   ある日の夜、ボクシング指導を終え部屋に戻るとポスターが破られて、ごみ箱に捨てられていた。五郎はピーンときた。

『こんなことをするのは、事務局長以外にいない』

   五郎は早速、金城勝一の自宅に電話を入れた。

「ボクシングのポスターを破り捨てたのは局長ですね」

「そうだ」

「何故、破り捨てたのですか?」

「神社はボクシングジムではない」

「そんな理由が通ると思っているのですか」

「……」

「明日、神社で待ってます」

   五郎は受話器を叩きつけるようにして電話を切った。

   翌日、出勤してきた金城に言った。

「謝ったら、赦してあげます」

   語気は穏やかだったが、五郎の拳はしっかり握られていた。謝らなければパンチを浴びせ神社を辞めるつもりでいた。謝られたところで、破られたポスターが元に戻るわけでもないが、そうでもしない限り、五郎の気持ちは治まらなかったのである。

「ごめんなさい」

   金城は深々と頭を下げ謝罪した。夕方自宅に戻った金城は奥さんに言った。

「大変な男を雇ってしまった。ヤクザより恐ろしい」

 

2025年12月29日(月)

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」今日の掲載は

 

 (25)  人を叩かなくなった

 

   天井桟敷時代、喧嘩と酒と女に明け暮れた網走五郎も、神主になってからは素行が徐々に改まっていった。一番変わったところは人を叩かなくなったことである。以前の五郎はよく人を叩いた。

   天井棧敷では公演が近付くとポスター貼りやチラシ配りを行なったが、ポスターやチラシにケチをつけた者は即殴りつけた。

   行き付けのバーで客にチラシを配った時、客の一人がチラシを破ってごみ箱に捨てた。配られたチラシに興味が無ければ誰でも捨てる。まして酒の席である。しかし五郎はそれを赦さなかった。

「おい、表へでろ」

客は柔道の有段者で格闘に自信があったのか、素直に呼び出しに応じて外へ出た。外へ出た途端、五郎は顔面に左ストレートをたたき込んだ。五郎の喧嘩は殆ど左ストレート一発で倒している。相手は倒れた時、路面のコンクリートに頭を打ちつけ気絶した。サイレンが聞こえたのでパトカーだと思い五郎は逃走した。暫らくして、なに食わぬ顔をして店に戻ると、パトカーではなく救急車であった。店のママが、死ぬかと思い呼んでいたのだ。そのまま放置していたら本当に死んでいたかも知れなかった。

   天井棧敷を離れてからも、よく人を叩いた。

北方領土から戻った後、札幌でタクシーの運転手をしていたが、その時は客を殴りつけた。二十歳過ぎの若い女性と四十歳前後の中年男性のアベックをラブホテルまで乗せた。若い女性が、空室確認のため車から降りてホテル玄関に向かった。小雪がパラツク寒い日だったので五郎は車の後部ドアを閉めた。

「なぜ閉める」

車内に残った男性客が五郎に文句を言った。

「寒いからです」

「なに!」

   喧嘩越しの客の言葉にカチンときた五郎は運転席を離れて外に出た。客を車が引きずり降ろして帰ろうと思ったのである。ところが客も一緒に車外に出てきた。五郎は即刻、客の顔面にパンチを叩き込んだ。客は三㍍ぐらい吹っ飛んで倒れ込んだ。

騒ぎに気付いた女性が慌てて引き返してきて、五郎に抱きついた。

「やめてください!」

女体の柔らかい感触が五郎に伝わってきた。

「帰ってください」

女性はタクシー代を握らせ、泣きながら懇願した。五郎は女性の懇願を受け入れ、その場を引き上げた。幸い会社への訴えはなかった。

   ヤクザを殴ったこともあった。札幌の歓楽街薄野で車一台が通れる路地を通行中、ヤクザの運転する対向車とかち合った。車から降り、どっちの車が譲るかで口論となった。どちらも譲らなかった。相手は二人だった。

「北斗会の者だ、事務所に行こう」

断ると、その内の一人が近くにあったブロックを両手で持ち上げ、頭上にかかげ五郎に殴りかかった。五郎はブロックをかかげた男の顔面に力一杯パンチを送り込んだ。五郎のパンチがタッチの差で先に届き、相手はブロックを抱いたまま 昏倒した。残りの一人は倒れた相棒を残し、仲間を呼びに近くの組事務所へ掛けていった。その間に五郎は車を運転して現場から立ち去った。これも会社への訴えはなかった。

   東京池袋で線路工夫をしていた時期があった。仕事を終えると毎夜同僚とバーへと繰り出した。些細なことで同僚と口論となった。怒った同僚はビールビンを叩き割って五郎の顔面にちらつかせた。

『先手必勝』

これが五郎の喧嘩の鉄則だ。即座に同僚の顔面にパンチを浴びせた。同僚は顔面血だらけになって倒れた。この時は店のママが110番通報し、警察の厄介になったが、お互い同僚どうしということで、留置されることなく始末書のみで帰された。しかし殴った衝撃で、五郎は右親指を骨折し仕事は辞めざるをえなかった。

   親父も叩いて4針縫う怪我をさせている。

   数え上げれば切りがない。でも神主になってからは、人を叩かなくなった。人格が向上して叩かなくなったのではなく、神社を辞めたくなかったのである。