2026年7月2日(木)

電子書籍で出版した「網走五郎・神社物語」、今日の掲載は

 

     (14)  富士山本宮浅間大社

 

    神主の誘いを受けてから半年が過ぎた昭和58129日、五郎は神職研修を受けるため、金城事務局長同行で、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社へと出発した。

    富士山本宮浅間大社の宮司は、長年靖国神社で権宮司を勤めていた池田良八で金城とは懇意の仲であった。金城は五郎の神職教育を池田良八にお願いしていたのである。

    富士山本宮浅間大社は富士山信仰の中心に位置し、全国に1,300社ある浅間神社の総本社で、富士山信仰の対象と芸術の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている由緒ある神社である。境内は広大で、本宮社地で17,000mになるほか、富士山の8合目以上の約385mも社地として所有している。

    富士山本宮浅間大社へ到着した五郎は、前面に富士山を仰ぎ見る荘厳な光景を目のあたりにし『俺はこの雄大な富士山に見守られて神職に生まれ変わるのだ!と心が踊った。

    ところが思わぬ事態が待っていた。夕方、五郎と金城は宴席に案内された。池田宮司と佐藤権宮司がすでに席に着いていた。池田宮司は靖国神社から転勤したばかりのせいか宮司であるにもかかわらず遠慮がちであった。古株の佐藤権宮司が口火を切って話し始めた。

「神主というのは、そう簡単になれるものではない。神主になるには国学院大学か皇学館大学を出なければなれない」

   金城が返答した。

「大学を出なくても、1ヵ月の講習で資格を取る道があると聞いています」 

1ヵ月の講習で資格を取るには、神社庁長の推薦が必要です。神社庁長は推薦しないでしょう」

「何故ですか?」

「それは……」

    佐藤は答づらそうに声をつまらせた。北方領土へ泳いだ五郎の評価は二極であった。国士として高く評価する者と、犯罪者として切り捨てる者である。佐藤権宮司は後者であった。

「実習生として、この神社に置けないということですか」

「その通りです」

金城は絶句した。

    しばらく沈黙が続いた後、五郎が言った。

「局長、帰りましょう」

    この時、池田が口を開いた。

「ちょっと、待ちなさい」

    池田は席を立ち電話口へ向かい20分ほどで戻ってきた。

「東京大神宮が受け入れてくれた」

    池田が電話をしていた相手は東京大神宮宮司松山能夫であった。松山能夫は東京都の神社庁長で、神社本庁専務理事も兼ねる神社界の超大物人物だったのである。

2026年7月1日水曜日

ジムに来たのは15人。

KC さん指揮のもと練習は行われた。

パンチングマシーン。先日内野賢一郎がジムにプレゼント。打撃するのが面白い。認知症予防トレーニングの俺には最適(笑)。子供たちにも大好評だ🥳






























2026年6月30日(火)

「網走五郎・神社物語」出版の目的は『誰も排除するな!』である。今日の掲載は

 

(13) 靖国神社

 

    靖国神社と護国神社は密接な関係を持つ。共に戦争で国のため亡くなった人を神として祀ってある。 

   靖国神社は全国の英霊を、護国神社はその県出身の英霊を合祀している。

    特に沖縄県護国神社は戦後再建されてから、五郎が勤務する昭和5841日まで、神主は靖国神社から交代で派遣されていた。靖国神社と沖縄県護国神社は親子の関係にあるので靖国神社も簡単に説明しておこう。

    靖国神社は明治2年(1869年)明治天皇の意向によって創建された。創建当初、東京招魂社と呼ばれていたが、明治12年、靖国神社と改称された。靖国とは「国安かれ」「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」の意味が込められている。

    靖国神社は徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時、天皇側に付いて戦って亡くなった人達を神として祀ったのが最初である。この内戦は戊辰戦争といわれている。後に嘉永6年(1853年)アメリカのペリー提督が黒船4隻を引き連れ浦賀に来航以降、国内の戦乱で政府側に付いて亡くなった人達を合わせて祀り、西南の役、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争など国難に際して国を守るため生命を捧げた二百四十六万六千余柱の御霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて尊い神として祀られている。

2026年6月29日 月曜日
沖縄県梅雨明け。五郎の大好きな真夏の季節がやって来た🥰
 

2026年6月29日(月)

「網走五郎・神社物語」出版の目的は『誰も排除するな!』である。今日の掲載は

 

 (12)  沖縄県護国神社

 

    沖縄県護国神社を簡単に説明しよう。

    沖縄県護国神社は、昭和11年招魂社として建立され、昭和1571日、内務省令を以て沖縄県護国神社と改称された。しかし昭和204月の米軍上陸により本殿・拝殿等ほぼ全てを焼失した。

    昭和34年、仮社殿が再建されたが、再建に当たっては、1セント募金といって小・中学生までが学校単位で協力した。
 同年423日、戦後第一回の春季例大祭が斎行、同年秋には靖国神社 池田良八権宮司他4名の神職のもと、靖国神社から御霊代が移され秋季例大祭が斎行された。

    昭和40年、現在の御社殿が竣工し、同年1119日遷座祭、2021日には天皇陛下から幣帛が奉納され、靖国神社筑波宮司参列のもと、池田良八権宮司他8名の神職により奉祝祭が斎行された。

    御祭神は郷土関係靖国の英霊をはじめ、先の大戦で亡くなった郷土出身軍人軍属並びに沖縄戦で犠牲になった一般住民、さらに本土出身の軍人軍属が合祀されている。合祀者数は約20万柱。

    沖縄戦で亡くなった全国の英霊が合祀されているため、日本全国から参拝者が訪れている。

    初詣参拝者は正月三が日で25万人、沖縄県内最大の神社である。

 

 

2026年6月28日 日曜日

「網走五郎•神社物語」執筆の目的は、「誰も排除をするな!」である。今日の掲載は

 

   (11)  神社

 

    五郎は神社に勤めるまで、神社が神道だというこは全く知らなかった。五郎に限らず戦後教育を受けた日本人は、神社に関する知識は皆無に等しいだろう。

    戦後、アメリカの占領政策によって神社は国家管理から切り離されてしまった。その結果、日本人から神社に対する知識が無くなったのである。

    それでも五郎は北方領土へ泳ぐ時、神社に神様が住んでいることだけは知っていた。神社とは神様の住居のことである。神社には神様が住んでいる。

    全国には八万社以上の神社が点在しており、日本国中に神々が満ち溢れている。海の神・山の神・川の神・風の神のような自然現象を司る神、衣食住や生業を司る神、国土開拓の神、国家や郷土のため尽くした偉人の神など無数の神々が神社には祀られている。

    日本人は森羅万象を神から生まれた神の子と捉え、森羅万象全ての奥に生みの親「神」を見ていたのである。

 神社の宗教は神道である。神道は日本で生まれた日本古来の宗教である。仏教・キリスト教・イスラム教その他の宗教が日本に伝わる以前から日本にあった日本固有の宗教である。

 しかし占領軍は「戦争を起こした元凶は神道にあり」「神風特攻隊の ような人命を軽んじる特攻精神は神道にあり」とし、神道を日本国家の宗教から外してしまった。

    日本弱体化政策である。学校での神道教育は禁止され、いつしか日本国民から神道が消え去り、神社という建物だけが残ったのである。

 

 

 (10)  神職への誘い


2026年6月27日土曜日

ジムに来たのは父兄も含めて30人。
ケーシーさん指揮のもと練習は行われた。



























2026年6月26日金曜日

台風7号沖縄接近中。那覇市内だんだん風が強くなってきている。今日は朝からバス モノレール 飛行機は運休、学校も休校か決定。

2026年6月24日木曜日

チャットGPTに次の質問をしてみた。

「神道の神は誰も排除しないって本当か?」

   すると次の答えが返ってきた。素晴らしい!

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はい、神道には「誰も排除しない」という考え方が比較的強くあります。
神道にはキリスト教やイスラム教のような「この神だけを信じなければならない」という考えは基本的にありません。神道の神(神々)は自然や祖先、土地、山、川などあらゆるものに宿ると考えられ、「八百万の神(やおよろずのかみ)」という言葉で表現されます。そのため、他の宗教の神を否定しない。異なる信仰を持つ人を排除しない。
善人だけでなく、さまざまな人が神社に参拝できるという特徴があります。例えば、神社には信者でなくても参拝できますし、仏教徒やキリスト教徒が神社にお参りしても問題ありません。日本では昔から神道と仏教が共存してきました。
    ただし、「何をしても許される」という意味ではありません。神道では「穢れ(けがれ)」を避け、感謝や調和を大切にする考えがあります。他人や共同体に大きな害を与える行為は好ましくないとされます。
簡単に言えば、
「神道の神は特定の人だけを選んで救う神ではなく、自然や人々を広く包み込む存在として考えられている」
というのが神道の特徴です。だから「神道の神は誰も排除しない」という表現は、かなり神道の精神をよく表していると言えるでしょう。

2026年6月25日木曜日

「網走五郎•神社物語」執筆の目的は、「誰も排除をするな!」である。今日の掲載は

 (10)  神職への誘い

 

   北方領土から戻った後、五郎は沖縄での生活が多くなった。北海道出身の五郎にとって南国沖縄はパラダイスだった。沖縄県護国神社に宿泊させてもらい境内の清掃・木の伐採・例大祭の受付・正月のお守り授与・事務局長の運転手など雑用をお手伝いしていた。

    天井桟敷へ戻ることを断られ失意に暮れていたある日、事務局長 金城勝一が五郎に声をかけてきた。

「神主にならないか。今勤めている神主・大野康孝が5ヵ年の契約期限が切れて本土に帰省する。代わって地元の神主 下地純一(64歳)が就任するが高齢のため、若い元気な神主が必要だ」

   沖縄県護国神社は本土の神社のような宗教法人と違い、戦後、財団法人としてスタートした。そのため神社代表は会長と呼ばれ、その下に事務局長がいた。しかし会長は無報酬の名誉職で神社に顔を出すことは年に数回しかなく、実際の実権は事務局長が握っていた。専属神主もおらず、神主は本土から期間限定の雇われ神主であった。

   金城は続けた。

「神主資格は私がとらせる。私は君の本を読み、君の生き方に涙がでるほど感動した」

  五郎はソ連から帰国後、その体験を書き綴った「北方領土まで泳いだ男」を出版していた。金城はその本を読み、五郎を高く評価していたのである。

「捨てる神あれば拾う神あり」

    天井桟敷に戻ることを断られた五郎にとって有り難い話であった。