活動報告18日〜22日・・・・・・・・・・・・・の巻
活動報告。
18日
視察初日の移動日。
視察議員
小田部善治(委員長) 高橋政行(副委員長)
飯田敏勝 山田庫司郎 井戸達也
金兵智則 古都宣裕 ※敬称略
家が近い 井戸議員 に一緒に乗せていただき女満別空港へ。
移動中、後援会の方が亡くなったとの一報を受ける。
10時30分発で羽田へ。
12時25分着で次の便まで約2時間待ち。昼食を取る。
14時35分発で大分空港へ。
16時20分着。ジャンボタクシーにて別府に移動しホテルへ。
移動中に車窓から家の作りや植物を見て、やはり全然違うなと思った。
17時半にホテルに到着し18時に外出し全員で夕食。
海辺のホテルでしたが、残念ながら街向きの部屋。
19日
7時起床して大浴場~朝食。
8時40分 ホテル出発。 ジャンボタクシーにて大分市役所へ。
9時ちょっと前に到着。
委員会室に通される。
円卓を囲むようになっており、何か格好いい。プロジェクター完備。
①公用車の効率的な管理運用 ②子供基本条例の策定
について学ぶ。
①については、近距離を自転車、タクシーなどに代替えすることで抱える公用車の削減を計る事によりコスト減。
集中管理や課付きの公用車の効率的な運用。
僕は運用開始前の平成21年度と平成22年度の予算の削減効果の実態について実数字を質問したところ、用意が無いので後日送付して下さるとの事でした。
②については、大分市はkの政策で2年連続となるマニュフェスト大賞を受賞したとのこと。
簡単に言うと地域の子育て力=昔の様な地域の中での連携を再生するというもの。
僕は現状での効果や反応などを質問しましたが、導入からまだ半年ほどしか経っていなくまだ現在ではあがってきて居ないとの事。しかし、この政策は現在の希薄な近所関係などの改善を図る手段の1つになり得ると思った。
この政策の成功しだいでは国がマニュアルを作る可能性もあると感じた。
2時間時間を頂いていたけど、①、②、各30分ちょっとの説明があり。
各議員が質問したらあっという間に時間が過ぎていった。
最後に大分市の議場を見せて頂く。
まさに小さな国会さながらの立派な議場でした。各議員席にマイクもあるし、速記者も居る。
発言するときに押すボタンも有りましたが・・・・・そこは押しても手を上げるとの事です。
もちろんネット中継完備。
帰りに見せて頂いた議員控え室。(最大会派の部屋)
応接室から会議室まで会派用にあった。
最初の委員会室とは別に、他に3つの委員会室があり流石に議会の規模が違った。
お礼を言って大分市役所を後にする。
別府に戻り昼食。
ドライバーさんオススメの所にて頂く。
その後ドライバーさんがお土産屋さんに連れて行かれる。
まぁ・・・・・観光業に居たからドライバーさんが連れていったらバックマージンあるんだろうなとか考えてた。
建物の2階スペースで竹未来館というのが無料開放だったので僕はそっちを見てました。
おじゃる丸乗ってそうとか思ってパチリ。
今思えば・・・・・ゆず胡椒くらい購入しておけばよかった。
別府の地獄めぐりをほぼ車窓で終わらせ。
間欠泉は正直見たかったなとか思いながら佐賀県伊万里市へ向かう。
移動中に弔電を作り送信。
伊万里市に入り、窯匠を見学してからホテルへ。
街のいたるところに焼き物があった。
伊万里焼。そして有田焼。
有田焼の窯匠が来て伊万里焼が出来たそうです。
17時半 ホテル着。
みんなで夕食。
20日
7時起き。朝食~シャワー。
8時50分 伊万里市役所へ向け出発。今日からジャンボタクシーが変わった。
9時 伊万里市役所に付き委員会室へ。
定住自立圏進捗状況について 学ぶ。
定住自立圈とは、合併まではしないけど1市が中心となり周辺の町村と協力出来るところは協力してやろう。
というもので、締結したら国から補助金が出ます。
伊万里市は有田町と 網走市は大空町と
どちらも以前合併の話があったけど失敗し街の規模もあんまり変わらない。
そして伊万里市は網走市より1年先に始めた分進んでます。
僕は両方の公立病院が合併して新しく街の間に病院を作るとの事で、もし定住自立圈以外の町村が来た場合に医師不足となる可能性が出た場合の対応について質問。
横に唐津市という市もあり、どうやらそういう状況にはなりそうもなかった。ミスった質問だった。
もう一つ、同じ焼き物が観光資源になっているけれども観光面での協力体制はどうだろうかと質問。
流石に同じような物で、有田焼の方が有名だし同時にという事は無いようで難しいとの事。
ここは1時間半時間をもらって説明と質疑応答。
帰りに議場を見せて頂く。
ここも速記者が居るし、マイクも各席に付いていた。
そして、何より凄いと思ったのがネット中継が無くてケーブルテレビ中継。
何と加入率が90%だそうで、広報としては物凄い武器だなと思った。
いろんな自治体が広報活動について頭を悩ませることが多いのに。
お礼を言って移動。
ものすごく昔話に出てきそうな雰囲気にパチリ。
そのまま今度は一気に長崎県島原市役所に向け出発。
トイレ休憩で寄った千々石展望台。キレイでした。
雲仙 ・ 普賢岳 を見学。
下の写真の点線部分が噴火で吹っ飛んだそうです。
今でもチョット煙が上がってます。
土石流の被害を保全されてる所を見学。
そして島原市役所へ。
委員会室へ通されてここでは。
防災対策について 学ぶ。
いわずもがな、ここ島原市は噴火による火砕流。そして噴火の影響で何度となく土石流に襲われています。
網走には正直言って火山は遠いので、火砕流とか土石流ではなく聞くのは防災対策です。
僕は避難経路は作成されているか、そしてどのように作ったのかあれば教えていただきたい。と質問。
すごく資料が充実していたけど、説明では避難経路は無いとの事。
あっさり回答されたけど、資料では各町内会とかの連携がすごく充実していて多分意見集約すれば簡単に出来そうなくらい地域連携がなされていた。
網走は消防団が6分団しか無いのに、島原は24分団で平均年齢も約31才と若い。
それに227地区で自主防災組織があるとの事。
子供のときからもそういった意識を高めるようにしているとの事。
やはり地域の意識の違いが大きいと思う。
各コミュニティーセンターにも発電機があるとなってたし。
網走がそこまで辿り付くにはもっと時間がかかりそうだ。
各地域がそれぞれ意識を高めなきゃならないと思う。
恒例化した議場を見せてもらう。
やはりマイクは各席にあった。ここは速記じゃなくて録音だった。
全員委員会用の委員会室。
ここから雲仙岳災害記念館へ見学に。
災害で亡くなった方43名中、マスコミが20名に次いで避難指示に従わない人を助けに行った消防団員や警官の方が14名と多かった。
日頃の災害に対する意識というものの大切さを噛み締めた。
ここで17時。長崎市に移動開始。
19時 長崎市のホテル着。荷物を置いてすぐに夕食へ。
食後に街を歩くと、何となく大きなアーケードが鹿児島を思い出し懐かしかった。
21日
不覚にも8時に起きた為、朝食ヌキ。
8時45分 出発。
オランダ坂を見たり、平和公園の平和記念像を見て長崎空港へ。
11時40分空港着。
出発が13時なのでブランチを取って待つ。
14時35分羽田空港着。
17時55分羽田空港発の3時間待ちで、さらに機材変更の為と遅れてしまった。
20時30分に女満別空港着 解散。
行きと同じく 井戸議員 に家まで送っていただく。
21時家に着。そのまま弟子屈へ向けて出発。
詩吟の仲間が慰労会で行っていて、泊まるホテルがお世話になっている方の関係なので出席と伝えてたので、栄養ドリンクのんで出発。
22時過ぎ到着。
みんなすっかり出来上がってました。
1時間ちょっと皆さんと談笑してから部屋へ。
部屋が一緒の方とそのまま遅くまで飲んでました。
流石に途中でバタンキュー。
22日
7時半朝食。
詩吟の仲間は10時に出発し、僕はそのままお世話になっている方に挨拶に。
久方振りでしたので、色々とお話。
11時にその場を後にする。
帰りながら挨拶回りしながら戻る。 今思うと昼食食べてない。
15時過ぎに街中へ。
一旦帰宅し、身支度を整えて弔問。
入院している方が居るとの事で、お見舞いに行ったら前日退院したとの事。
陳情が入ってたので連絡すると明日会うことに。
なんだかんだしてたら、結局帰ったの18時過ぎ。
なんだか酷く疲れた。
ブログ更新にかかった時間。多分最長の3時間でした。