【13日】
この日は、別の支援物資をお届けする都合上、ボランティアをする時間がどうしても取れない状況になったため、ボランティアは同行のMくんにお任せして、私は支援物資を仮設住宅にお届けすることにしました。
★ ボランティア ★
ボランティアの状況は、案件は6件。内容は家周辺の片づけや、田んぼのがれき撤去、海岸のがれき撤去。当日60~70人くらいのボランティアが集まっていました。Mくんの行ってきたボランティアは、前浜地区お宅でした。
以下Mくんのリポートを引用します。
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あの日ボランティアで行った場所は、本吉町前浜という地区の漁師さんのお宅でした。
そこは海に近い場所で、少し高台になっているのですが、津波が非常に高かったため被害をうけてしまったようです・・・
今は住める状態ではないので仮設住宅に入っているそうです。
ただ、今の家の片づけはやるが、新しい家は別の場所に建て直すとおっしゃってました。
三浦さんは家や船に関することで、きっちり保険に入ってらしたそうなので、まだ生活の再建を考えられるようです。
ただ海のがれきの問題もあり、漁に出れるのはかなり先になりそうなので、それまでの生活が不安そうでした。
だけど、そういう感情は表に出してなくて、笑顔で接してくれるんですよね・・・
笑顔のポーカーフェイスができる人って最強に強い人だと思いますね。
さて、ボランティアのメンバーですが、人数は自分を含めて8人で、リーダーは地元の(元?)漁師の方で、70歳なのにすごく元気な人でしたよ。
ざっと他のメンバー紹介をしますと・・・
東京から来た、品川ナンバーのベンツの人
北海道から来た美術教師のBさん
東京、栃木から来た女の子二人組
面倒見のいい、かぁちゃん、って感じの女性
島根から三日かけて来た若者・・・疲れ切ってましたが、頑張ってました
と、いった個性的な人達でした。
作業内容は、漁網の片づけでやっぱりすっごい大変です!
重いし、大きいし、しかも暑いし・・・
休憩多めにとりながら少しずつ片づけていって、何とか目標に近いとこまでいけました。
うーん、やっぱ行ってよかった!
ちゃくちゃくと復活していく被災地を見るとうれしくなりますね。
ただ、進んでない場所もありましたし、まだまだ終わりは見えませんね・・・
少しづつでも前に進まねばですね。
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ちなみに、この家のご主人が凄まじい体験をしたことから、海上の救助に関してシステムの整備を望んでいるとおっしゃっていたそうです。
311の当日、津波の引き波によって大量のがれきが海に引き戻され、その波間やがれきの上にたくさんの方が浮かんで助けを求めていたのを見たそうです。ご自身は助けに行きたくても助けに行けず、おそらくそうやってとり残された方たちはみな亡くなったと残念そうにつぶやいていたそうです。
今になっても、そういう生々しい体験が地元の方たちの心の傷になって残っているのだと、改めて思います。この話を聞いたときは胸が張り裂けそうになりました。
★ 仮設住宅 ★
一方、私の方はある方(Tさん)から紹介されたお二人の地元のリーダー的存在の方(Sさん、Yさん)に、お盆の忙しい中お時間を作っていただき、ある仮設住宅へ支援物資の配給に行ってまいりました。
Sさんは、津波の後に無事だった自宅を開放し、家を流された方たちを受け入れる「民泊」という方式を始めて、新聞などにも載っていた方でした。お二人ともとにかく、地元の困っている方たちのために一生懸命動いていらっしゃいました。
いきなり仮設住宅に外部の者が支援物資を届けても、うまくいかないということは聞いておりましたので、お二人にはとても現地でおせわになりました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
仮設住宅は非常に隣との距離が近く、平等に配給するということがとても大事になってきます。余るのならまだしも、数が足りないと配ることができない状況にもなります。今回は、用意した数と世帯数がちょうどあう仮設住宅に行ってまいりました。
そのうちの1区画にお邪魔して、物資の仕分けの場所の提供と仕分け作業に協力いただきました。
Sさんはこのやりかたが一番いいんですとおっしゃって、それぞれの世帯向けに仕分けした袋に、我々の名称、どこから来たのか、誰の紹介で来たのか、というメモをコピーして貼って下さっていました。これを持って今回の支援のきっかけの映画の上映会のお話をしながら、1軒ずつご挨拶をしてお渡しすることができました。
「こころを届けてくださって、ほんとうにありがとうございます」
そういって深々と頭を下げていらっしゃった方の言葉でした。こういうのは苦手なのですが、そうか、こころを運んできたんだ。そう思って少し嬉しくなりました。
「かかわって下さったすべての方にありがとうとお伝えください。」
そういった温かい言葉も頂き励みになりました。
その後は、仕分けでお邪魔したお宅で少しお話をする時間が合ったので、短い間でしたがいろいろ聞いてまいりました。いくつか挙げますと
・仮設住宅は2年(延長の話が出ているもそれでも3年)で更地になってしまう。仮設に住めなくなるとしても、倉庫に使うとか、有効利用の仕方があるはずでは!
=>同感です。国家の一大事と言える状況で、杓子定規の法をきちんと守る必要はあるのでしょうか。
・海の仕事に戻りたくても、時間がかかる。海も津波でだいぶ様子が変わってしまったし、1年2年はかかるのでは。
=>ホヤは種から4年かかるそうです。海に従事していらっしゃった方々の仕事が無くなり、職さがしもままならない状況が続いています。
・仮設住宅の区画の大きさでは、収納の余裕がない。
=>やはり、広くはない仮設住宅です。家族の数ごとに、区画の広さを調整してありましたが、非常に不便な状況が続いています。
・冬物の衣料品が不足している。
=>311のあと冬から春になるまでの衣料は手に入ったものの、家を流されてしまった方たちです。冬物も流されて無くなってしまい、そこも不安の種になっているようでした。
仮設住宅には、いくつかのボランティア団体から支援物資が届くようでした。こういった支援がなくなると、かなり厳しい状況に追い込まれてしまうのは想像に難くないです。
一言で言うなら、計画性の乏しい支援計画にも関わらず、避難所を閉めてみんな仮設住宅に移していくという場あたり的な対応に見えて仕方がなかったです。被災地が究極に必要としているのは、地元の人たちが自分たちの手で稼いで食べていくことだと思います。その為の離陸をするのには長い滑走路が必要なのに、とても短くてしかも道路を使って無理やり離陸しようとしている飛行機に思えてなりませんでした。非常に難しい問題なのはわかっているのですが。。
仮設住宅でお別れをするとき、お邪魔させていただいた区画のお母さんが、運転席に来て手を差し伸べて握手をしてくださいました。「がんばろうね!お互いに!」そう言って仮設住宅の前に立って手を振る姿を、バックミラー越しに見ながらこちらも手を振りましたが、小さくなる手を振るその姿を見ながら、はからずも涙が止まりませんでした。
( 3 へつづく )