義母が病院に救急搬送され、明日をも知れない重篤な状態だとわかったときオラは、
「もうしんどい、っていうなら仕方ないけど、でも、春までは生きていてよねだって、いまお通夜やら葬式やらってなったら、寒いしさぁ。とにかく、いますぐってナシでしょ。せめて春までは生きていてよね」
などと、現金なお願いをしたのだったが、叶わず…
と、「耳鳴り(つづき1)」で書いていたが、じつは、やんわり叶っていたことに後日気づいた。
というのも、通夜が2月3日の立春で、葬儀が翌日だったからだ。
こじつけと言われるかもしれないが、なんか驚きである。
さらに・・・
3月には義母の母親と妹の法事が予定されていた。
義母から「その日は法事をするから予定を開けておいて」と言われていたのだ。
一方、3月には義母の四九日もあるわけで、法事ラッシュとなる。
葬儀担当者の方と義父と夫と四九日の話をしていたとき、そこに居合わせたオラ、そういえば義母は、「わりかし寂しがり屋で、おひとり様より気心の知れた人と一緒に行動したい」人だったよなぁ、ということを唐突に思い出した。
で、これまた唐突に、法事を親子合同でやるってのはどうでしょうか?と、大変差し出がましい意見をしてしまったのである。
そう言った後にすぐ、そういえば義母は生前、母親や妹と旅行とか食事とか一緒に行って楽しかった話をしていたよなぁ、ということも思い出した。
で、
義母は親子で一緒にあちこち出かけたりするのが好きだったから、法事も一緒にやって欲しいと思っているのではないかと…と、付け加えた。
すると、夫が大賛同。
最初ちょっと怪訝な表情だった義父も、「そうだなぁ」と、賛成。
とはいえ、いきなりスケジュールを変えるとなると、お寺の都合やみなさんの都合もあるわけで…
という心配は(結果)稀有だった。
お彼岸期間であったにもかかわらず、お寺もOK。皆さんのスケジュールもOK。翌日には合同法事開催が決定したのだった。
合同法事…ひそかにオラは「あの世の女子会ルンルン極楽ツアー」と名づけたのだった。
ちなみに、オラの願いが届いたのか、これもまた春分の翌日開催となった。
ところで・・・
コロナ禍ということもあり、通夜は略式で、葬儀・告別式、火葬は身内のみで行った。
いざ出棺のとき、花束とともに送り出された義母。数時間後には、もうこの世の姿かたちではなくなっていた。
火葬場からの帰り、「なんだか気持ちがスッキリした」と、運転席で夫が言った。
それまではあれこれ胸に去来するものあったようだが、何となくこれでふっきれたというのだ。
もちろん、そう簡単にふっきれるものではないと思うが、何かひとつ自分の中で区切りがついたようである。
車窓からのぞく富士山がとてもきれいだった。こんなに晴れやかで清々しい富士山を見たのは初めてかもしれないと思ったほどだ。
同じ屋根の下でご遺体と二人きり。という状況のときも感じたが、やはりサッチーは成仏したのだと思った。
エンジェルとなる人の最期というのはかくも清々しいものかと思えた。
夫が「なんだか気持ちがスッキリした」のも、サッチーが成仏したからだろう。それが感知できたから、そのような気持ちになれたんだと思うよと、そう夫にも伝えたのだった。
ということで、エンジェルサッチーの指令、無事キャッチ&クリア!
そして、耳鳴りはあれ以来 聞こえなくなった。