「蓮は泥の中に生まれ落ちた身。されど、一生に一度その鮮やかな華を咲かせ申す(前田慶次)」
昨年は、みつわ台総合病院に行く機会があった。
重い症状の患者さんがたくさんいた。
身体が悪くない人間でも、そこでは死を意識することになる。
すべての人間は死が避けられない。
自分の存在がなくなるという死は、イメージとしては暗闇であり究極の恐怖。
そのため日常生活では、そこから意識をそらす。
一方で、死を意識した時、その対極にある「生」が明確になる。
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日常生活において、人間の内側には本能的な攻撃性がある。
子供はストレスのない恵まれた環境で育った時でも、攻撃性は自然と芽生え、そこを仮に周囲が無理に抑えようとすれば、攻撃行動の引き金を簡単に引くようになるらしい。
(諸説あるようですhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BB%E6%92%83%E8%A1%8C%E5%8B%95 )
いわゆる「すぐキレる」という状態である。
もちろん、発散することはできる。
スポーツは、攻撃性を発散する代償行為の側面がある。
その事を前提としても、スポーツから教わることは多い。
年末にボクシングの世界タイトルマッチの試合がたくさん行われた。
強いチャンピオンは、過酷な環境で育った人間が多い。
その環境とは相反するように本当に強いチャンピオンほど、内側の信念が零れ落ちるような眼差しをしている。
戦う人間の瞳ではなく、守ろうとする人間の瞳をしている。
本当に大切な物事は、過酷な環境の中でこそ探すことができるのではないかと感じている。
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/sports/pee85cf3f474d6d124eb12abe615bc585