床屋さんや定食屋さんで待ち時間にスポーツ新聞を見ると、サッカーに関しては日本代表のほとんどが海外で活躍される選手たちで構成されていることに気づきます。強豪にはまだまだかなわないものの、世界レベルで考えてもある一定の評価をされるようになったんだなと感じます。
そのときに自分の頭を過るのは、ワールドカップで負けていた頃・選手が下を向いていた頃を思い出します。現状の一歩手前にいつも意識が向きます。
2006年の日本のサッカーは、黄金世代と呼ばれるメンバーが代表の中心にいました。今と比較しても、遜色のないメンバーたちだったと思います。
中村俊輔・・・目がくぎ付けになるようなプレー。世界レベルの左足。
小野伸二・・・呼吸をするのを忘れてしまうかのような柔らかいパス
中田英寿・・・局面を一撃で打開するプレー。
すごい選手たちが大勢いましたが、この中でも「ディフェンダー」の役割を担っている選手がいました。
中澤佑二・・・
脚光を浴びるでのはなく、耐えしのぐ役割。失点の時のみ目立つ。
ドイツのワールドカップでオーストラリアと対戦した時に、中盤をつぶされ、ゲームメイクがなされることなく空中を長く見上げるようなロングボールが多用されるサッカーで、為す術なく自軍のゴールが破れるのを目の当たりにしていました。
努力で補うことができないフィジカルで負けた試合。日本はどうがんばっても惨めに負ける。報われることのない努力が目の前に突きつけられる。
そのころのセリエAの有識者たちは、日本のサッカーを
「極めて貧弱なサッカー」
と評価していました。
中田英寿選手は2006年で引退。小野伸二選手は精神にトラウマを残しました。
中澤祐二選手は、日本代表のユニフォームをドイツで最期にする決意をしました。
当時の中澤選手のインタビューを見ると、悔しい・悲しいの前に表情がない。満身創痍となった身体だけでなく、心が折れてしまっている。
もはや、戦える状態ではない。
当時日本の監督となった名将オシムでも、中澤を呼び戻すことができませんでした。
その一方で、体格やテクニックで圧倒するオーストラリアやブラジルの選手を相手に、日本のゴール前に立ちはだかった中澤祐二に最大の評価を与えた人間がいます。
FIFAの役員ではありません。
海外の一流選手ではありません。
各地の少年サッカークラブから、たくさんの声があがりました。
「僕、大きくなったらディフェンダーになりたいんだ」
(中澤祐二みたいな男になりたいんだ。
耐えて耐えて耐えきるというところを、自分の役割・ポジションに選んだ中澤みたいになりたい。あの人、かっこいいなあ。)
試合で結果を出すことができませんでしたが、中澤選手のプレーを評価した人間がいる。このころ、クラブチームの子どもたちの多くが地味なはずのディフェンダーをやりたがりました。
日本代表に中澤はカムバックします。
そして2010のワールドカップ予選は、2006の時と同じような局面を迎えます。
試合終盤での空中を見上げるサッカー。フィジカルで圧倒されるサッカー・・・・・・。
この時に、中澤選手は相手の攻撃をことごとく跳ね返します。日本のベストイレブンにも選出されました。(日本は予選でオランダ以外に負けることはありませんでした。)その理由は、戦術やテクニックを超えたところにあるような気がします。
スポーツは見ている人間に、多くのものを教えてくれる、そう感じます。
チューリップの花がどんどん咲いて、ユリも大きくなって来ました(=⌒▽⌒=)