今日は、悲情城市の映画のあらすじの前に、少し台湾について書いてみます。この映画の面白さ?(‐^▽^‐)を分かりやすくなると思います。
第二次世界大戦終戦後、当時中国大陸の与党国民党の蒋介石(台湾では台湾語でラオジューで呼ばれています。)は、陳儀(ダンギー)という男を台湾の行政長官兼警備総司令として台北(ダイバッ)に送りこみ、蒋介石の台湾支配がはじまる。もちろん、戦争に負けた以上日本は51年にわたる台湾支配を放棄し、日本に引き揚げなければならない。戦後まもなくの状態を描いているので、日本の言葉や建物、畳、障子など日本的なものがたくさん出てくるのです。
1947年2月28日、台北でヤミタバコ売りの台湾人の女の人が、外省人(グワァーシェンラン)(中国大陸から来た中国人のこと)の官憲に殺され、そのことを非難をした周囲にいた人たちも殺され、いわゆる二・二八事件(リリバッスギャアー)(2月28日に発生したことから)が発生しました、それ以後外省人に歯向かうとみなされた本省人(もともと台湾に住んでいる台湾人のこと)は迫害の対象になり、逮捕されたり殺されたりする人たちが続出することになる。以後数年間台湾人の死者は二万人以上といわれている。
台湾人にとって、中国の清の時代の敗戦から、馬関条約により(日本では下関条約と言う)日本へ割譲、それから中国の内戦に敗れた蒋介石の逃げ場とし支配され、
タバコ売り殺しはあくまでもきっかけで、日本政府が引き揚げたあとに入りこんだ外省人の官憲による汚職や賄賂、権利と職を奪われた台湾人の失業者は増え、物価は高騰する、治安も悪化し、台湾の本省人たちにとって台湾はきわめて不安定な国になってしまったことが、この映画の気になる所です。では・・・
四男の文清は、幼なじみの教師の寛榮(グアンイエン)の妹で、看護婦として病院に働きに来た寛美(”ひろみ”映画中では日本語で)を迎えに出る。
寛榮は、小川校長の娘で、台湾生まれの静子と秘かに愛しあっていたが、日本人は敗戦により日本に帰らねばならなくなった。そして静子は、寛美に寛榮への思いを託して台湾を去っていった。
ある日、精神錯乱(キィーシャオ)状態の中で生還してきた三男の文良のもとに、長男の文雄の妾の兄である阿嘉(アーカー)が、中国(中国人のこと台湾語ではアラアーと呼んでます)の上海出身の外省人ボスを連れて来て、阿片の密輸をそそのかす。短気で口も柄も悪いが、根は真面目で、家業を一生懸命やっている長男文雄がそれを知って激怒したのは当然。
やがてそれは長男の文雄にばれることとなり、彼の幼なじみの阿城(アーシェン)との間の争いに発展してしまう。この事件で、一応決着をみせるが、ある日、何者かの密告によって、漢奸(ハンカン)(売国賊、非国民の意)の疑いで、林家に捜査が入り、三男の文良が逮捕されてしまう。意を決した長男の文雄は、阿嘉を連れて上海ボスと対面談判をし、三男の文良を釈放してほしいと頼み込むが、獄中でボコボコにされ、おびただしい血を吐いて帰宅した。
台北でヤミ煙草をめぐって本省人と外省人が争う(二・二八事件)が起きた。寛榮と文清は、臨時戒厳令(一時的に統治権を軍隊に移行すること。通常の市民の言論や権利も制限を受ける。例えば、学校では中国語が標準語で台湾語がもちろん日本語も禁止されてしまう、本来は戦時・災害時などで通常の統治機構が機能しなくなった時に発動される。)がしかれた台北へ向う。
寛榮と一緒に台北に向かう列車の中、外省人の弾圧に抵抗して戦っている組織のチェックを受けた際、[おまえはなに人だ?]って台湾語と日本語で声をかけられ、話せなければ外省人だと、問い詰められた。耳の聞こえない文清はもちろん話せない、無理やり返事したら、あやうくリンチを受けかけたが、間一髪のところを寛榮に救ってもらったのはラッキーだった。その後文清は無事帰宅したが、数日後、寛榮が足を折って戻ってきた。台湾省行政長官として赴任している外省人の陳儀将軍は、台湾人への弾圧を命じ、寛榮は上手く匿っていたが文清は逮捕された。
つづく