昨夜父が夕飯をたくさん食べてくれたことが、少し私に心の余裕を与えた。
三月末から、父母の入院がつづき、髪の毛を振り乱して、なりふり構わず、自分の力を注いできた。髪の毛は、父の入院前に、男性の様に短くした。
自分に髪の毛があることを忘れそうなスタイルだ。
格好もスポーツジムに行くのと大差なく、動きやすさ、乾きやすさに重点を置いた。
カバンは小型のリュック。
中国からの観光客も似た様な格好をしているが、私よりは、おしゃれである。
介護は私にとって闘いなので、この格好を何枚かき回して過ごした。
とは言うものの、病院には、バスを使うので、誰に出会うかわからない。一応、顔だけはシミを隠す程度の化粧は、1分程の手間なので、忘れずにしていった。
今回の父の入院期間中、息子は有給休暇を4日使い、付き合ってくれた。
「彼女もいないし、こんなことでしか有給休暇、使うこともないんだ。」などといっていたが、多分仕事に行っても気になってしまい、集中できない性格だとわかっていたのだろう。
体が大きくて頑丈な息子は荷物持ちにはもってこいだが、若いからこの状況にどこまで精神が持ちこたえるか、私は心配した。
父の世話をした間、入院経験、手術経験豊富な私でさえ、涙をこらえることが再三あった。なんとも言えない絶望に似た感情が出てくることもあった。私ぐらいの年齢になると、オバタリアンなんて言われたりする様に、色んなことに自我をとうせたり、図々しさが出て、乗り切ることもできる。
今回、拘束された祖父を見て、血の色の尿を一緒に見て、夕方になると人格の変わる認知症を見て、心にキズは付かなかったのだろうか。
月曜日に朝、息子が一番で病院に行き、私が家の用事をすませて昼すぎに病院についたが、少し、風邪気味になっており、ノドが痛いとか、熱っぽいとか言い出したので、帰宅させた。
翌日耳鼻科に行って薬をもらったが、いまだ治りきっていない。
やはり、初めての経験がつづき疲れたのだと思う。
息子は、介護をしている私の様子までよく見ていて、疲れた顔をしていると、「サンルームで休めば?」と勧めてくれた、代わる代わる昼ごはんを、食べに行けたのもこの子がいたからだった。
気持ちが煮詰らずに父の介護ができたのは、二人だったからだと思う。
来週は、母を手術前日に実家に連れに行ってくれる。私はその間に、今回の父の細胞診の結果を病院に聞きに行く。普段はケンカしかしない親子だが、いざとなれば、自分を抑えて、協力できる人間になっていたことに、親として嬉しく思った。