で、話は手術の翌朝。
ナースステーションに父を見つけた私は、
ひやっとした。
ひと月前、他の病院にやけどの治療で、3日ほど入院していた父は、不安からか徘徊がひどく、朝まで夜勤の看護師の目につくように、ナースステーションに座らされていた事があった。
「おじいちゃん、何かした?」と本人に聞いたが、「いや〜、なんでだろうな。」と言う。
夜勤の看護婦が飛んできて、「術後の歩行を見ていたんです。昨夜は、睡眠薬で寝ていただきました。朝食は完食されました。」と言って部屋に一緒に父を連れ帰った。
この時、すでにつなぎのチャック付きのパジャマを着せられた父は、着心地が悪そうだった。
サイズが小さいため、ウエストのゴムがあばら骨の皮膚にあたり痛いらしい。両足のチャックもゴワゴワしていて、痛がる。ゆっくり寝たいが、気になって眠れないみたいだった。
ナースコールを押すことも忘れてしまう父は、看護師に訴える事ができない。
昨夜の拘束を嫌がった時の饒舌は、消え失せて、うじうじした文句を言う爺さんに戻っていた。
私は看護婦を呼び、このことを父に代わって訴えた。少し、ふてくされた態度の看護師に驚きながら、パジャマの鍵を開けてもらい、午後の着替えまでの間フェイスタオルをウエストに巻くことにした。水分をとって良いかとか、便の時は、パジャマを脱がすのに看護師に来てもらうのか、など聞き、介護の準備を整えた。
少し、元気な父に私も息子もホッとした。
が、次の瞬間妙な物が目に入ってきた。
ベッドの上に敷かれてある、拘束ベルトだった。白くて巾が10センチ以上ある分厚い帆布のようなベルトに大きな穴があり、ベッドに固定されているベルトと人間を固定するベルトは背中でつながっていた。両手首用、胸、腰用、足首用と、分かれていた。昼間もマットの上に無造作に、今夜のために置かれていた。厚みがあるから、肉のない父の背中にはくい込むはずだ。
家から持参したバスタオルを敷いて、床ずれを予防した。
ここに昨夜父は、大の字になって張り付けられたのかと想像しただけで、悔しくて、せつなくて、たまらなくなった。
老人用ならもっと、肌触りの良いベルトにすべきだと、変なところに怒りをぶつけた。
まるで馬か牛を固定するかのような、拘束ベルトは、見ているだけで拷問だった。
父の腕には退院まで内出血の跡が大きく残っていた。
結構ナイーブな父は、尿の管や、小さめのつなぎのパジャマのせいで、昼ごはんを一割ほどしか食べなかった。
時々寝て、置きた時には、妻の所在を聞いた。
手術前に母が来たことなど、まるで覚えておらず、一年ぐらい会っていないという。
四月のはじめから二週間ほど母の手術の間、介護施設に泊まっていたので、その印象が強く、その後は毎日会っていたけれど、そのことは覚えていないらしい。
ここも、施設だと思っている可能性もある。
「婆さんは、遠くに行ったのか?それとも離婚したのか?死んだのか?」と、いろいろ想像して聞いてくる。「生きているよ!家にいるから、大丈夫だよ。」と言うと「じゃあ、なぜここに、来ないんだ!」と言い出す。
「ばあちゃん、歳だからそんなに何回も、これないんだよ。」と言うと、なんとなく納得して、少し寝る。これを何度か繰り返し、夕方近くになると、自分のパジャマに今、気がついたかのように、怒り出した。
気晴らしにサンルーム(談話室)にでも連れて行き景色を見せようと思ったが、「こんな格好で、出歩いたら、俺は終わったと思われるじゃないか!」と、まともといえばまともなことを言い出した。父には自分が病気だと言う自覚も手術した患者であることも自覚がないので、この不遇が納得いかない。
これ以上いても、こちらも疲れるだけなので、これだけ元気なら、今日は帰ろうと、息子と帰って来た。
「多分今夜も拘束だな〜。」と、認めたくない拘束を、心のどこかで頼りにしている疲れた私がいた。