~2010年11月 mixi日記に記載したものです~

半年 。

早いものでボストンに来て半年が経ちました。

ずっと憧れていた海外生活薔薇

ワーキングホリデーや海外での仕事など考えてはいたけれど
結局実現することもなく
結婚してから海外に住めるなど考えてもみなかったので
主人の海外赴任は私にとって嬉しいものでしたきら

期待と不安で来た半年前。
振り返れば色々あったけど、あっという間でした。

こちらに来て気付いたことは、
英語は住んでいるだけでは話せないという事実・・・ ひゅ~

以前はトルシエ監督が日本に何年も住んでるのに
日本語全然話せないな~とか思っていたが
その理由がよ~く分かる。
努力して勉強しなければ習得できるものではないようですえへへ…

来た当初のことを思い出す。
一言で言えば大変でしたあせる

一週間でやっと時差ボケがようやく治まり、
引越しの荷解きが終った到着2週間後くらいから
娘がホームシックになったのです・・・ヤバイ

主人がアメリカに一足先にきていたので、
その間私と娘は約2ヶ月宮崎の実家で過ごしました。

毎日おじいちゃん、おばあちゃんと過ごし、
日本にはたくさんお友達もいました。

しかし、こちらに来てしばらくお友達もおらず、
外はほとんど見たこともない異国の人々。

日本では愛想の良かった娘も、
声をかけられてもニコリともしない・・・あせる

きっと自分の身に何が起こったのか分からなかったのでしょう。

慣れない新居の為、毎日家に居たがらず、
「そと~そと~」と泣き叫び、家にも帰りたがらず、
夜中にいきなり起きて「そと~!!!」と泣きながら叫び・・・ ムンクの叫び

車にも乗ってくれず、私は毎日ベビーカーで歩き回ったり、
電車で出かけました。

泣き叫び方がハンパではないので、
近所から虐待していると思われそうで
出かけざるを得ませんでした・・・。
私はほぼ軟禁された身(泣)
ほんとに大変で、
主人は私と娘を日本にしばらく帰そうかと思ったくらいでした。
(私が拒否したが・・・)

ベビーカーのタイヤは2ヶ月しないうちに磨り減り(安物だったけど)
新しいものを購入しなおしました。
おかげで、短期間でボストンの町には詳しくなりましたえへへ…

お友達もできてくると少しずつ落ち着き、
安心して(?)暮らせるようになりました。

と言っても、この半年、一日たりとも外に出なかった日はないけれど・・・。
私が『出かけないといけない・・・』と習慣づけられたようですひゅ~

今では娘もボストンを満喫している(多分)ようで、嬉しい限り きらきら!!

そんな生活ですが
こちらに来て一度だけ日本に帰りたいと思ったことがあります。
アメリカ生活に疲れたからでもなく、

アメリカ人の適当さに嫌気がさしたからでもなく
日本の美味しい焼肉が食べたくなったからでもありません。
(かなり食べたいけど・・・)

約1ヶ月前に祖母が亡くなりました。
家も近かったので小さい頃からいつも祖母の家に行き、
たくさん可愛がってもらいました。

ここ数年はずっと入院生活で、
何度も『あぶない』と言いながらも復活してくれ
93歳だったがボケることもなく、
毎日新聞はおろか、図書館から借りた本を読み
多くの看護師さんの名前も覚え、
とてもしっかりした祖母でした。

なので、きっと私達がアメリカから帰ってくるまで
生きていてくれるだろうと思っていました。

祖母が亡くなった知らせを聞いた後、
何度も悲しくて涙が出ました。
なんで私は最後にお見送りにもいけないんだろう・・・

帰国することを何度も考え悩んだ。
航空券も通常料金で購入すれば、
当日でも買えるだろうが(50~60万)とてもそんな余裕はありません。

しかし格安航空券を手配し、実家まで飛行機、バス、電車と乗り継ぎ帰っていたら葬式に間に合うかも分からない。

2歳のおてんばな娘を連れて
一人で帰国する勇気もありませんでした。
日本にいないことが残念で悔しくて、
改めて遠いところに来てしまったと思いました・・・。

しかし幸いなことに(?)主人が日本に出張中でした。
しかも運よく宮崎(実家)に・・・
タイトなスケジュールで
通夜や葬式に参列することはできませんでしたが
私達の代わりに祖母に会ってきてもらえました。
それだけでも十分ありがたかったです。

新鮮だった風景や生活が日常になってきつつある今日この頃。
祖母に会いに帰れなかったことを無駄にしないよう、
あと2年半(3年の予定なので)
アメリカを満喫したい、いや、悔いのないように毎日過ごしたいです。