「観音様のように」

両親に死別して早や五十回忌を迎えようとしている。父が先に亡くなり、それを追うように母も亡くなった。母は真宗の家に生まれ縁あって禅宗の家に嫁いで来た。父が三十九歳の若さで亡くなった時、六人の残された子供を抱えて母は途方にくれた。色々な周囲の方々にささえられてはいたが何かしら心の支えが必要であったのだろう。宗旨の違う日蓮宗のお寺に一日一回お参りするようになった。

最初はただひたすら子供の幸せを願うだけであったが日を増すごとにお題目を少しずつ唱えるようになった。そういう生活を何年か続けていたが身も心もボロボロに疲れ果て床に伏すようになった。病に倒れてからは母の替わりに兄がその寺にお参りするようになった。母の一生は何しにこの世に生まれて来たのか短い人生を通じて何の楽しみもなく子供を育て最後にお題目にすがって生きた姿は後になって見ると、まるで観音様のようであったと思われるのである。そのうち姉も二十歳の若さで亡くなった。入院しても兄弟のことが気掛かりの様子で「兄さん私が死んだら早いうちに私たち兄弟の中から誰か坊さんにしてくれ」と遺言したそうである。兄はこの時必ず誰かを法華経の寺に弟子入りさせて両親やお前の霊を慰めるからと約束したそうである。その返事を聞いて姉は生涯を閉じた。「お前ひとつ坊さんなれ」と言われた。以来四十年、私は坊さんとしてひたすら唱題の毎日をおくらせて頂いている。     藤井公真さんの著書より

◎私も母の慈悲により佛様の教えを学んでいます、幸せなことです。


=一乘会からのお知らせ=

8月21日、写経会(親睦を兼ねて納涼会を開催します)

お気軽にお越し下さい、お待ちしています

詳しくは一乘会のホームページをご覧ください。

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