よく言えば慎重派。
普通にいうなれば、能書きばかりで行動に移せない臆病者。
石橋を叩いて、叩いて、自分で叩き割っておいて
「ね?ほら割れたでしょ?」
と言い出す始末。
それほど臆病で腰の重い私。
一人でお仕事を始めようとしたとき、
あれこれ考えあぐねては全く動けない私に師匠が言った。
「僕の目標はね、10,000回失敗することなんだよ。
今の君にはきっと無理だね。」
と。
「どうだろう?1年間で1,000回。
僕の1/10失敗できたなら何でも一つだけ願い事聞いてあげるよ」
1,000回。つまり1日に2.7回何かにチャレンジをするという事かぁ。
『どんな失敗でも良いんですか?
例えば、5時に起きてマラソンしてお掃除して朝ご飯作って出勤する目標を立てて、でも全部できなくて、1日の売上を目標10万に立ててそれが未達だったら合計失敗5回で良いですか?』
どこまでもせこい私だ
「どうだろう。失敗というのは、成功するための努力をして
それでもできなかったことに対して使う言葉だと僕は思うよ。
果たして5時に起きる努力をしたのかな?
売上が10万上がるためにどんなアクションをしたんだろう?
もしも何もしていないのなら、それは失敗ではなく、逃げたもしくはやらなかっただけじゃないのかな」
うむ。正論である。
「それと、ビジネスに繋がることでの失敗だけをカウントする。
今の君に必要だからね。」
うん。そうなると、1日2.7回のアクションなんて到底無理だ。
よし!交渉。←そこはタフ(笑)
『私に年間1,000回のアクションは無理すぎるので
その半分の500回にしてもらえませんか?
で、年間500回失敗できたら…マンション買ってください(笑)』
横暴というのはこういう事を言うのかもしれない。
「では、500回はずいぶんとハードルが低いのでクリアしたら好きなご飯をご馳走してあげるよ。
1,000回クリアしたら、引っ越し代を出してあげよう。
10,000回クリアしたらマンション買ってあげるか考えてあげるさ」
なぬ?( ̄∩ ̄# カチーン
自分が言い出した条件ではあるが、
ずいぶんと馬鹿にされたものではないか。
マンションですと? 失敗を重ねることくらい簡単ですよ
やってやりますわ。←なんたる単純
という事で、数々のイベントを企画。
facebookだけでなく、告知サイトを使ったり、チラシを作って置いてもらったり
イベントに参加して名刺を配ったり。
3か月間で、集客ゼロだったイベントは9個。
告知しても申込ゼロだったサービスが12個。
でもね、不思議なんですよね。
一生懸命行動をしていると、集客がゼロでもなんかしらの収穫があることに気付いてきた。
失敗することが目的なのに
気づきがあれば何故かそれを次に活かしたくなる。そうすると、上手く行ったり。
純粋に悔しいし。
ダメだろうなぁと思っていても、人がご縁をつないできてくれたり…
気力が無かったり、何をして良いか分からなかった時は
失敗すらできていなかったことに初めて気が付いた。
動機は不純だけど失敗が目的になったら、
臆病だった私が動けるようになって、
動いていると自然と成功もついてきたりしている。
私が怯えていたのは、
自分で描いた完璧に振る舞う自分という虚像。
目標を言われてから3か月。
私の失敗は60回もない。
もう年間500回の失敗すらクリアは難しいかもしれない。
でも、失敗のその先にある物が少し見えてきたから。
そう、今はまだ、道の途中。