家が建って丸2年になる頃、21時ぐらいに娘が突如痙攣発作を起こしました。


川の字で寝ていた頃で、娘の寝る時間に合わせて元旦那も一緒に部屋へ向かい、娘がうとうとしかけた頃でした。


私はその時お風呂の時間。


「おい!

娘が痙攣起こした!

すぐ2階へ来てくれ!」

と元旦那の声が聞こえて、私はあわてて2階へ走りました。


元旦那は初めて見たからかパニックで棒立ちだったんだけど、私は小さい頃に妹の熱性痙攣を見た事があったので、顔を横に向けて、娘に声をかけながら救急車を手配しました。


“…体調良かったんだけどな…”

の気持ちから、熱性痙攣ではなく、他の病気の可能性が頭に浮かんでいた私。


心配で仕方なかったです。


救急車が到着する頃には痙攣発作は治まっていたけど、救急隊員の人が

「このまま運ぶので、病院の先生の指示を受けて下さい」

と言ってくれたので、そのまま病院へ。


「熱性痙攣は、熱が上がる時に痙攣が起きる事を言うのですが、娘さんは今平熱です。

今から熱が出てくる可能性もあるけど、熱性痙攣とは言い難い。

おそらくてんかんの可能性の方が高いと思われるので、明日必ず小児科にかかって下さい。

担当が専門ではないので、簡単ですみません」

と先生。


…私もそうではないかと思ってるし、診てもらえた事で少し安心出来たから大丈夫です…。


痙攣発作でひどく疲れたらしく、

「体がだるい」

と言ったまま、私の腕の中で眠りについた娘。


この日は心配で眠りの浅い夜を過ごしました。


翌日職場に簡単に状況を話してお休みをもらって、救急搬送された病院の小児科へ電話を入れて予約を取りました。


でも熱が出てきてしまった事もあって、

“…実は風邪…?”

と思いたい私がいた事も事実です。


先生と簡単に話しをしてから、改めて受診の日を決めて、小児科へ行った日。


カルテを元に近況を話ししていたら先生が

「熱性痙攣よりてんかんの可能性は高いですね。

少し様子見してもらって、次同じ発作が出たらてんかんと思って下さい。」

と。


“やっぱり…”

という気持ちと、

“はっきり分かって良かった”

という気持ちと、

“…何で?”

という気持ちが混ざっていました。


「熱性痙攣の体質は遺伝しやすいから、もし家族で熱性痙攣の人がいたら気を付けていてね。

稀にてんかんは遺伝しやすいのはあっても、基本遺伝はないって思ってもらっていいよ。

詳しく検査してみようね」


おじぃちゃん先生の言葉に不安になりつつも、原因がきちんと分かる事にほっ…とした私が確かにいました。


父も熱性痙攣を起こした事があったそうで、妹の熱性痙攣は遺伝だなぁと思いました。


娘には痙攣発作が隔世遺伝したんだなぁ…。


そう思うようにしました。


元義母に電話をして、元義実家で娘の事を話す時間を設けました。


会うなり険しい顔をしていた元義母。


私が話しをする前に

「∀ちゃんちの血が悪いのね。

うちはそんな事起きた事がない。

一生薬を飲まなければいけないとか、妊娠出産出来ないとかになったらどうしてくれるんだ!?」

と。


私、呆然。


元旦那、あわてて取り繕っているように見えました。


“元旦那は一体何て先に伝えたんだろう…”

との怒りが込み上げてきました。


それでも私の言葉できちんと、おじぃちゃん先生の言葉を伝えました。


「また何か進展があれば話ししにきます」

と言葉にして、そんな中にもういたくなかった私は娘と帰宅する事を決めて、元旦那は落ち着かない様子のまま後をついてきました。


でも元旦那もハッキリ家で、

「完全にお前んちの方の遺伝だよね。

うちは熱性痙攣も、てんかんもいない。

糖尿病の家系ではあるけどね。

俺は色弱だし」

と。


…糖尿病もなったら大変だよ、あんたさん…。


…目も遺伝したら大変だよ、バカたれ…。


“え?”

という顔をした私に、元旦那は完全に

“しまった!

言い過ぎた!”

という顔をしました。


その後どれだけ言い訳されようが、般若の顔をしたままの私。


それでも

“言い返してしまったら私もこの人達と同じだ”

と思って、1人トイレで泣きました。


悲しかったし、悔しかった。


私は嫁だから、元義母に言われても立ち向かう気満々だけど、夫である元旦那までこんな事言うなんて…。


落ち着いてから母に電話をしたら

「ごめんね」

と一言言われて泣かれました。


「お母さんは何も悪くないよ」

私にはこうしか言えませんでした。


この救急搬送から約1ヶ月半後、2回目の発作が起こり、改めて受診と、詳しい検査と、投薬治療が始まるのです。