予定を早めて、父が亡くなった日から実家に里帰りしました。


母は毎日

「お父さんのところへ行きたい。

寂しい」

と泣いていました。


母との仲はあまり良くなかったままだったけど、後追いをしてしまいそうな母を放っておく事は出来ませんでした。


伯母や近所の人達も同じように思っていてくれて、いつも誰かが我が家に来てくれている状態に。


みんなが母の心配をしてくれて、娘が生まれてくる事を楽しみにしてくれて、父の思い出話しに涙して…。


父が亡くなった日から毎日こんな感じで、母は

「食欲はないけど、今倒れたらお父さんに合わせる顔がない。

頑張らないとね」

と、少しずつ父の死を受け入れ、父のいない現実を見てくれるようになりました。


そしていつも栄養満点で美味しいご飯を作ってくれました。


お母さん、ありがとう。


娘は2000年誕生の子だったので、

“1月末が予定だけど、どうせならゾロ目で2月2日に生めたらいいなぁ。

初めては予定日より遅れるって言うし…”

なんて事をのんきに思っていた私ですが、周りからは

「何をバカな事を言ってるんだ」

と、ずっと言われていました…(^_^;)


迎えた予定日の夕方から少しおなかの張りを感じていたけど、

“散歩しすぎたからだ”

と思っていました。


ところが予定日に日付が変わった瞬間、10分感覚ぐらいで生理痛みたいな痛みを感じるようになりました。


朝までうつらうつら過ごしてから病院に電話をしてみたら、

「う~ん…初産だしすぐ出産につながるとは思えないけど…家と病院に距離があるので、もう来てもらってもいいですか?」

との事。


内診してもらったら

「う~ん…子宮口がまだ3㎜ぐらいしか開いてないね~」

と言われて、

“3㎜って何だよ!?( ̄□ ̄;)”

と自分の中でツッコミを入れた事も、今ではいい思い出です。


先生は、私が

「2000年2月2日に出産出来たらいいな~」

と言った事を覚えてくれていて、

「∀さん、どうする?

出す?

それとも2日まで持たせる?」

と言ってきました。


「出す!

無理!!

痛みに弱いから無理!!」


ところが日頃の運動不足がたたってか、分娩室へ入ったのは、内診してもらってから10時間程経ってから…(;´д`)


体格の割に痛みに超絶弱すぎる私は、安定期に入ってすぐの頃から無痛分娩を希望していたんだけど、無痛にするタイミングもあるので、ひたすら耐える私。


“お母さんになるって、みんな大変な事なんだ。

みんな一緒なんだから、私も頑張る。

お父さん、オラに力を貸してくれ!”

(父がドラゴンボールをよく見ていたので…(^_^;))

と思っていた私に、一旦中断のお知らせが…。


『奥の分娩台に○○さんが入りま~す』


「「「「は~い」」」」


『○○さんの旦那さんも通りま~す』


「「「「は~い」」」」


「∀さん、ちょっと覆うね。

ごめんね。」


『∀さん、隠しました~』


「「「「は~い」」」」


「すみません」


「お互い頑張りましょう」


「…ぁぃ…(;´д`)」


↑こんなやり取りがあった後、

“エールももらったし頑張るゾー!”

と思ったのも束の間…。


奥に移動された方は2人目の出産だったらしく、分娩台に上がって1時間しない間に出産して、戻っていきました。


この時また上記の中断…(^_^;)


最後のの台詞が

「先にすみません。

頑張って下さいね」

だっただけ…(^_^;)


“行きも帰りも応援してもらったけど、私はまだだよ~( ;∀;)”

と思った30分後ぐらいに、娘を無事出産出来ました。


無痛分娩で痛みを逃していたので、不安だったけど、安心して出産に望めたと思っています。


「「「「おめでとうございます!」」」」


「元気な女の子ですよー!」


「お疲れ様ー!!」


と声をかけてもらって、ホッ…として

“…私、お母さんになったんだ…”

“…私でもお母さんになれたんだ…”

そう思った瞬間、急に周りが無音に。


私から見た先生や看護師さん達は、無音の中、ただ動いていました。


そしてその無音の中、私は分娩台の上で亡き父を見ました。


遺影の父がそこにいました。


“おじぃちゃん、生まれたよ”

そう思った時に、父が笑ったように見えました。


“抱っこしてあげて”

と手を伸ばそうとしたら、すぅー…っと遠く小さく父が消えていって、また周りの音がガヤガヤ聞こえてきました。


数10秒の出来事だったと思うけど、私には長い時間のように感じました。


「名前が決まってたら書くけど、どうする?

決まってる?」

と、看護師さんが声をかけてくれました。


父が

「こんな名前もいいかなぁ?」

と言っていたという名前を、私は迷わず付けました。


元旦那の許可も取らずに…(^_^;)


処置が済んで、看護師さんが母を呼んでくれました。


『おめでとう。

お疲れ様。

名前、2人で決めてたんじゃないの?

お父さんが言ってた名前でいいの?』

と、母。


「ふんわりとは決めてた。

でもあの子の顔を見た瞬間、お父さんが言ってた名前の方がいいなって思った。

お父さん、顔を見に来てくれたしね」

と、その不思議な体験を話ししました。


「お父さんからの最初で最後のプレゼントだね。

すごく喜んでると思う。

初孫、楽しみにしてたからね。

姉ちゃん、ありがとう」

と泣く母。


ちなみに元旦那が出産時にいなかったのは、予定日だったのにも関わらず、

「昨日電話した時は出産しそうな事は言ってなかった!

俺は悪くない!」

との事で、後輩が

「一応予定日だから、自宅待機していた方がいいです」

と止めてくれていた事を聞かず、強引に後輩をゲーセンへ連れて行き、遊んでいた事が後に判明しています。


母、ご立腹で何度も留守電に残していたらしく、これが後々離婚原因の1つにもなります。


妊娠&出産は奇跡です。


そしてとても神秘的でした。


【母は強し】

の意味も分かりました。