手術日には、比較的近くに住んでいる母方の方の伯母達が夫婦でかけつけてくれました。


父方の方は、近所に住む伯母夫婦が代表して来てくれました。


他に2人いるんだけど、県外に住んでいるので、前日に母に電話をくれました。


父は事前に自己血を確保していたけど、万が一足りないといけないので、私と2歳年上の従兄が輸血で待機という形を取りました。


「頑張って!」


「待ってるから!」


「いってらっしゃい!!」


「行ってきます」


そして始まった手術。


長い長い1日の始まり。


何をしていても全く落ち着かない、長い長い時間でした。


途中、妹と屋上へ行きました。


特に会話した訳ではなかったけど、2人でぼ~…と青空を見ていました。


不安とは裏腹に、本当にきれいな青空でした。


祖母が急死に近い形で亡くなったあの日の夜のように、妹と2人で立ち尽くしていた…という方が近いかもだけど。


ただ…単純に怖かった…。


手術しても、大丈夫なのかどうか分からなかったから…。


当初の予定は8時間程だったのではないか…と思います。


癒着がひどかったり、取っても取っても新たに癌細胞が見つかったとの事で、12時間を超えたのは覚えています。


水分補給はしていたけど、ご飯は喉を通らなかったな…。


手術室から父が出てきた時に、母が目にいっぱい涙を浮かべて

「お父さん、おかえり」

と声をかけたら、なぜか父が片手を上げて

「…おぅ…。

…鰻が…食べたい…」

とつぶやきました。


みんなで笑って、ホッ…とした瞬間でした。


力が抜けました。


しかしお父さん…何で鰻…?(^_^;)


この時まだ知らなかったけど…父の同級生でもある母の姉の乳がんの手術が、翌週に控えていた事を後から知りました。


伯母は母には言えなかったそうです。


母は父の事で頭がいっぱいだったし、伯母は大変な妹にこれ以上余計な心配をかけたくなかったから。


いつも泣いて電話していた母の話しを、伯母はずっと聞いてくれていました。


少し落ち着いてから伯母の手術の事を聞いた母は

「すぐ教えてほしかった」

と泣いて怒っていたけど、伯母は

「あなたが心配するのは姉の私よりも、あなたの夫であるお父さんだよ。

私よりもお父さんの手術の方が大変なんだからね。

私は大丈夫。」

と言っていました。


伯母は

「“手術して元気になって、また父と会うんだ!”

という気持ちで手術に臨んだ」

との事でした。


伯母達がかけつけてくれたおかげで、私はどれだけ心強かったか…。