矢沢永吉さんと組みたくて オーディション | bluearrowのブログ

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ミュージシャンという この仕事は中学生前からやってるので長い事どこへ行っても1番年下。
同年代の子たちと遊んだ記憶もなければ
マジメに学業に取り組んだ記憶もなし。
時は過ぎ、今は どこの現場に行っても大体1番の年かさ。
やはり同年代の仲間は少なく遥か年下のミュージシャンが仕事仲間となる場面多し。
プロデューサーやアレンジャーとミュージシャンとを繋ぐコミュニケーション能力の向上には本業以上の努力を
(^^;;
 
既にオーディションを受ける事もなく仕事は入るようになりましたが二十歳過ぎまでは食えなくて(初期のブログに「下積み時代」っての書いてます)仕事を求め連日のようにオーデションを受けてまして。
現在も一線でご活躍の方々の所にも多く出掛けました。
そんな中で特に想い出に残る 、と言うかオーデションしてもらえて光栄であったのは矢沢 永吉さん。 
二十歳か21歳の時でした。
矢沢、当時はバッグバンドを日本人のメンバーとしてて結構入れ替えが。その中に入りたいって大それた思いありました。
ソニーに資料送ったら受けてくれたんですよ。
それだけでバンザイでしたね。
課題曲が提示されて、スローな曲、ミディアムテンポ、アップビートを一曲づつ。
具体的には「Mr.T」「鎖を引きちぎれ」「恋の列車はリバプール発」。
オリジナルを叩くんじゃなくダメでも自分の思う叩き方をしようと決めて日頃はしない練習を重ねて出掛けました。
 
信濃町のスタジオだったと記憶。
機材を組みあげて待つ間の緊張感は他では経験しなかった。
 
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時間通りにドアが開いてザワザワと数人がスタジオに入って来ましたがブースに入って来たのは何と矢沢一人だけ。
他の方はガラスで隔てられたミキシングコンソールの側に。
頭ブッ飛んで何を話したか全く覚えてなくて、ただ「ほんじゃヨロシクね」と握手したのだけは記憶に。 
 
矢沢の合図でヴォーカルとドラムテイク(録音されている部分と理解してください)の音を消した素材がスタート。
スローの「Mr.T」とミディアムテンポの「鎖を引きちぎれ」は妥当な叩き方だけどハードロックの要素を多く取り入れ、アップテンポな「恋の列車はリバプール発」を2バスドラムを駆使してメチャメチャハードな叩き方をしたのね。
もちろんオリジナルとは程遠い、かけ離れたドラミング。
3曲目を終えた時の矢沢の怪訝な顔は今も忘れられない。
 
「今日はサンキュー 、久しぶりにエネルギーの入ったドラムを聴いたね。
だけど俺の求めるドラムと ちょっと違うんだな」と、この言葉は今も耳に残ってますよー
(^.^)
 
ダメで元々として入ったスタジオは やっぱりね の結果だった訳ですが、このオーデションは一生の想い出。
 
と、しつこい私はちょうど10年後に改めて矢沢 ファミリーになりたくて。違うな、チャンスをもらって、もう一度 矢沢に会いたくてオーデションを受けました。
「○○○さん覚えてますよ」と言ってくださいました。
この時はキャリアを積んで少しマシになったドラミングを聴いてほしかった。
この時も課題曲があって、叩き終えると「覚えてますよ、本物の音になりましたね」と言ってくださいました。
 
 
ソロデビュー前から ずっとファンで中学生からキャロルの主要なライヴにも行ったしソロ最初の日比谷ライヴへも。
しばらく離れてましたが この10年は武道館はじめ主要なライヴには必ず出掛けます。
これからも日本のROCKを牽引する人として更に長くご活躍を願います。
 
 
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