ここ数年、「ありのまま」という言葉をよく耳にするようになりました。
「ありの〜ままの〜♪♪」で有名な歌の影響もあるのか耳に残っております。
しかし
ありのままでいよう。
ありのままでいいんだ!
と、今までのからを脱ぎ捨て自分を表に出していこう!と自己に目覚め始めた方々も少なからずいらっしゃいます。
が、しかし…。
どうも「ありのまま」という意味を履き違えて居るのでは?と思うような人も少なからず見受けられます。
私は○○だ。
私は○○な性格だから〜。
私は○○がありのままだから仕方ないの。
ごめんね〜私は○○だから〜。
このように「ありのまま」の意味をはきちがえそれを免罪符のように使い自分の悪い所を正当化してしまっている人たちがいます。
もし、自分を料理の食材としたとして
社会や周りの人間関係、環境を料理だと例えるなら…。
この勘違いしている人達は『私は大根だから』『自分はじゃがいも』と言い泥も土も取らず、皮も剥かず、食べやすい大きさに切りもせずそのまま自らを調理している鍋やフライパンの中に入れているも同じなのです。
確かにあなたは大根かもしれない、じゃがいもかもしれない。
しかしどんな食材だって何かしら手を加えるはず。
泥を落とし、皮を剥き、食べやすい大きさに切り、時には下味をつけ初めて他の食材と一緒になれるのです。
でも「ありのまま」と泥が付いたまま鍋に入れればどうなるでしょう。
鍋の中は一気に泥にまみれになりおいそれ料理とは言えない代物になってしまう。
そう、全てを壊してしまうのです。
自分は人生という名の料理の食材なのです。
どんな料理にするのか、どんな味付けにするのか、それは自分次第で決めて行くのです。
「性格がゲスくても良いじゃない」
「性格悪くても問題なし」
これこそ泥がついたままでいる状態です。
こんな食材誰が食べるというのでしょう。
自分がどんな食材なのか
認識がでかきたのならそこで終わりではないのです。
そこからがスタートラインなのです。
そこから自分という名の食材の良さを調理等で引き出さなくてはならないのです。
誰かに食べてもらいたいのなら
ちゃんと料理として食材として成り立ちたいのなら身についた泥を初めに落とすべきなのではないでしょうか。