日記?過激につき。
絶対うまくいかないことと、どうしても惹かれてしまうことは両立する。
どうしても惹かれてしまうのに、なぜうまくいかないのか。
それは私のせいでも、彼のせいでもない。
わたしたちが他人だからだ。
別の人間、別の個体、別の意識を持っているからだ。
この世の中が勘違いで成り立っているからだ。
まるで相手のことを理解しているかのように思ったり、理解してもらっているかのように感じたり、それが勘違いだと気づいて勝手に傷つき、理想と違うと駄々をこねる。
それでもまだ、相手の中に、自分のもった相手のイメージを失えない。あまりにも愚かだけれど、そうしてどれだけ打ちのめされても、炎にたかる蛾のように惹かれてしまう。
"絶対に"うまくいかないのは、忘れるから。
己が幻を見ていることを忘れて、雑多な意識の中で、思い出を美化し、ホルモンと性欲に翻弄され、なんどでも焼け焦げる。イカロスが太陽に焼かれるようには、恋愛で人が死ぬことはそうそうない。せいぜい"ごっこ"で終わる。
私たちは純愛なんかじゃない。
そんな高次元の、インテリですのっぶで、高尚で芸術的な物じゃない。
もっと下等で、下劣で、意地汚い、胸糞の悪くなるような自意識と性欲の混同の中で、右往左往しているカフカの城を目指す測量士のように、繁華街の網目の地下から這い上がってくる鼻の曲がるようなひどい腐臭のする泥臭い人間の底辺の産物。
間引いた子供は何人になる。
テレビや雑誌は悪影響しか及ぼさない。
ファミリーへの憧れを抱かせるくせに、抱かせる相手の選別はしない。残酷なことだ、だから少子化は進み、虐待とネグレクトは残虐化し、産後のセックスレスと不倫問題は多発し、代わりに妻は人妻セクシー女優としてデビューするか、ママ友同士のマウンティングで発散する。挙句離婚した片親は養育費から逃げるために子供を洗脳したり、仕事を辞めたり、遁走したり、親権を持った方は貧困化して男を連れ込みまた虐待の芽を生む。
ファミリーを作り出せるのは、ごく一部の富裕層でしかない。パワーカップル?笑ってしまう。都心のタワマンに住めばそれで子供は幸せに育つのか。子供の精神的健康は守られるのか。人を蔑み、人を欺き、人を蹴落とし、展望の高さで貴賤を測るクソのできあがりだ。
富裕層とは、そんな成り上がりの見せかけのテレビのCMには出てこないような人間たちだ。富裕層が儲かり続けるように、わたしたちは幸せなファミリーの幻覚を植え付けられている。
けれど、そんな幻想にすら手が届かないくらい、私と彼はダメなのだ。
堕ちるところまで堕ちている。
多分誰も救えない。
彼にさっさと新しい女ができれば、私の中の幻想が打ち砕かれて、ようやく自由になれるかもしれないけれど。
甘ったれた期待を何度裏切られても、下半身が疼く。あっちもそうなんだろう。
無責任に孕ませて、無責任に堕胎して、死んだらどんな地獄をみるのやら。
私はいくら彼が頑張っても変わらない。
変われない。
誰も私を変えられない。
誰も彼を変えられないように。
捻じ曲がったふたりは似ているようでいてまるで異なる方角を向いている。
次元すら異なるのかもしれない。
私たちは終わりだ。
どっちみち、私たちは終わるしかない。
ふたりとも変わらないから。
なのに子供を作ったから。
私たちはファミリーを破壊することで、ようやくまともな精神状態を取り戻せる。
幻想に取り憑かれてでかいテレビを買ったり週末IKEAで将来設計なんかしなくていい。
ただ、毎日ご飯を食べて、学校に行かせて、話を聞いて、一緒に眠る。
セックスレスは心配しなくていい。夫婦じゃないから。
女としての心配がなくなると、あからさまに安堵する。いつも重たいプレッシャーになっていた、いつ捨てられるのだろうという恐怖もなくなる。もう縁が切れたのだから。
お金の心配は、そうゆう怨念めいた呪いのような心配事に比べたら、どうとでもなる代物でしかない。
私たちは別れた。
彼は養育費を払わない。
一千万の年収持ってどこへなりと消えると思う。
子供に対する執着なんてすぐ忘れるだろう。新しい女さえでてくれば。別に古い女でも構わないけれど。
私は子供を育てていく。
誰にも命令させない。誰にも支配させない。
そう、わたしとかれは、終わったのだ。