7月25日は「かき氷の日」


日付は、「かき氷」が別名で「夏氷(なつごおり)」とも呼ばれることから「な(7)つ(2)ご(5)おり」と読む語呂合わせと、1933年7月25日にフェーン現象により山形市で当時の日本最高気温40.8℃を記録したことに因み、かき氷を食べるのに相応しい日とのことで7月25日が選ばれた。


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「かき氷」(「欠き氷」、別名「夏氷」) の歴史


□ ヤマト王権(古墳)時代


天武天皇の皇子・舎人親王と藤原不比等が編纂した『日本書紀』(720年に完成) 「仁徳紀六十二年(5世紀前半) 是歳条」に、現代語訳「第12代仁徳天皇62年夏5月、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が猟に出かけて妙な仕掛けを見つける。土地(奈良県都祁村)の主によれば「氷室」と言い、地面に1丈(3m強)の穴を掘って茅(かや)を厚く敷き、冬の内に取っておいた氷を収めて蓋(ふた)をしておくと、夏を越えても氷は融けて無くならない。暑い時期に水酒に浸すなどして使うと言う。皇子がその氷を御所に奉ったところ天皇は大いに喜び、以降は必ず氷を蓄え春分の時期を待って氷を宮中で配る習慣になり、夏の間は水酒に漬して用ふ」と記述している。


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□ 平安時代


▽ 清少納言の随筆『枕草子』(1001年にほぼ完成) 「第四十二段 あてなるもの」(お上品なもの)に、「削り氷(けつりひ)にあまづら(甘葛)入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」 ⇒ 現代語訳「氷を小刀で削った削り氷に、蔓草(つるくさ)の一種である甘葛の樹液を掛け、新しい金属製の器に入れた」と記述している。
当時は冬の間にできた氷の塊を、涼しい山麓の洞窟や地下に穴を掘った「氷室(ひむろ)」に保管し、夏になったら引っ張り出して来て「かき氷」にして食べており、特権階級しか口にできない貴重な夏の風物詩であった。

出典 https://babatrain.naganoblog.jp/e2512616.html



▽ 紫式部の長編小説『源氏物語』(1008年に完成) 「第二十六帖 常夏」(光源氏36歳6月を描く) に、「大御酒(おほみき)参り、氷水(ひみづ)召して、水飯(すいはん)などとりどりにさうどきつつ食ふ」⇒ 現代語訳「お酒を召し上がり、氷水をお飲みになって、水飯(水に浸した御飯・干飯)などそれぞれに賑やかに食べる」と記述している。

出典 http://heian.cocolog-nifty.com/genji/2009/08/post-4e3c.html

 


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□ 鎌倉時代

 
藤原定家の日記『明月記』(別名『照光記』『定家卿記』、1235年に完成)「元久九年(1198年)七月廿八日の条」に、「暑月ニ去年氷室ニ納タル氷ヲ朝廷ニ貢献スルヲ諸臣ニモ頒チ給フ。其氷ヲ削テ食スル也」と記述している。


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□ 江戸時代


歌川国芳の美人画『逢身八懐 湯しま暮雪』(1844~47年頃?)
幕末の毎年夏に、加賀藩が氷室から取り出した氷を江戸まで運んで将軍に献上していた。

出典 https://note.com/ohyononote/n/n0a89b0fdaef2




歌川豊国の役者絵『諸商人五枚続 三升水』(1804~17年頃)
熱伝導が良い錫(すず)製のお椀に白玉が入った冷たい井戸水を、町人に売り歩く「水売り」がいた。

出典 https://www.flickr.com/photos/39159262@N05/7246849490/




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□ 明治時代


1869年、神奈川県横浜市馬車道通りで町田房造が、「あいすくりん」(アイスクリーム)とともに初めての氷水屋を開店した。
1887年、氷屋の村上半三郎が氷削機(ひょうさくき、かき氷機)を発明し特許を取る。それまでは手で削るのが主流だった。

1895年頃以降、氷店は、東京/横浜で「5歩に1店」と言われるほど増え、製氷についても機械式が主流となった。
昭和初期(1926年頃以降)になって氷削機が普及して一般化した。