□ 朝日を浴びた我が家のベランダ


先日からポーラチュカ(別名・ハナスベリヒユ)「品種・京ちゅらか」が咲いている。

20220723--09:01~09:13

 


満開のレッド

未だ咲き始めのピュアホワイト



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■ 今回は「台東区民が愛する夏の花」を挙げたい。


□ 朝顔(アサガオ)


「入谷鬼子母神」[正式名「法華宗仏立山 真源寺(しんげんじ)」(台東区下谷1-12-16)・・・1649年に創建。江戸三大鬼子母神の一つ、七福神の福禄寿を祀っている。狂歌師・大田南畝の「恐れ入りやの鬼子母神」という洒落。「鬼子母神」を中心として言問通りに60軒の朝顔業者と80軒の露店(縁日)が並び、毎年40万人の人出で賑わう。朝顔は今から千百年以上も前の奈良時代、中国から遣唐使によって伝来した。朝顔の種のことを中国名で牽牛子(ケンゴシ)と言い、和名で阿佐加保(あさがほ、朝顔)と言われるようになった。更に牽牛花(けんぎゅうか)とも言われ七夕の牽牛の花と書くので、朝顔の市を開く時期が七夕前後になった。江戸時代に最初は御徒町の下級武士・御徒目付の間で盛んに栽培されていたが、江戸末期の文化・文政の頃には入谷の十数軒の植木屋が作るようになった。朝顔は台東区の花。



出典 国立国会図書館「三十六花撰 東都入谷朝顔」二代目歌川広重1866年 https://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/ukiyoe/autumn1.htm




出典 いこーよとりっぷ https://trip.iko-yo.net/events/460
「入谷朝顔まつり2022」はコロナ禍のため中止。

 




マイフォトアルバム 大輪ソライロアサガオ 言問通り20200802




□ 鬼灯(ホオズキ)


「四万六千日(しまんろくせんにち)ほおずき市」は、「聖観音宗総本山金龍山 浅草寺」(台東区浅草2-3-1) 本堂周辺の境内で行われる。浅草寺の観音功徳日である7月9~10日に参拝すると、4万6千日(約126年)分も毎日参拝したのと同じ御利益(ごりやく)があるとされる「四万六千日」のご縁日に因んで、2日間に限る御札として、「雷除(かみなりよけ)札」と、白い掛紙に代わって黄色い掛紙の祈祷札「黄札」とが授与される。毎年、ほおずき市が同時開催され、ほおずき屋をはじめ様々な出店が境内に立ち並んで多くの人で賑わう(毎年60万人規模の人出)。展示即売されるほおずきは大分産がほとんど。ほおずき業者100店では、ほおずきの鉢植えを買うと「厄除けの江戸風鈴」が付いて来る。


出典「肉筆浮世絵の美人画 鬼灯笛」筆者・制作年とも不明 https://ameblo.jp/kikugidou21/entry-12626746708.html




マイフォトアルバム 浅草寺「四万六千日ほおずき市」20170709 
「四万六千日ほおずき市2022」は7/9(土)・10(日)開催済み。





□ 蓮(ハス)


「上野不忍池 蓮池」(台東区上野公園2)
「不忍池」の名は、かつて上野台地(別名: 上野のお山)と本郷台地(別名: 向ヶ岡)の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来する。1625年、江戸幕府は、西の比叡山延暦寺に対応させて寛永寺を建立した。開祖である慈眼大師・天海は、不忍池を琵琶湖に見立て竹生島に準(なぞら)えて弁天島(別名: 中之島)を築かせて弁天堂を造った。当初の弁天島は船で渡ったが、1672年に石橋が架けられ徒歩で渡れるようになった。
江戸時代延宝五年(1677年)に出版された「江戸雀」という本に不忍池の蓮が詠み込まれた和歌が載っている。

出典「東京名所花競 不忍池 蓮」安達吟光1889年 https://www.yamada-shoten.com/onlinestore/detail.php?item_id=45843


 


マイフォトアルバム「上野不忍池 蓮池」20190728
奥に弁天堂