■ 6月16日は「和菓子の日」


848年(嘉祥元年)6月16日、仁明天皇が御神託に基づいて16の数に因んで16個の菓子や餅を神前に供え、疫病退散と健康招福を祈願したという「嘉祥菓子」の故事に由来する。元号でもある「嘉祥」(かしょうorかじょう)は「目出度い印」という意。これが宮中行事として伝えられて来た。


江戸時代には「嘉祥の日」として、武家の間でこの日に通貨16枚で菓子を買って縁起を担ぐ慣わしになった。


「全国和菓子協会」(渋谷区代々木3-24-3) が美しい日本の四季と歴史の中で育まれて来た「和菓子」の素晴らしさを楽しみ「和菓子」を含む日本の食文化を後世に伝え残すことを目的に、1979年に記念日「和菓子の日」として制定した。



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□ 和菓子の歴史


▽ 縄文時代(紀元前)

貝塚から「甘葛」[あまづら、ブドウ科の蔦(つた)など]が出土。長崎県西彼杵郡広平遺跡には石鍋に甘葛を煮詰めた痕跡が見られる。

▽ 奈良時代

「日本書紀」(720年)には、米もやし(米芽)の「水飴」が登場。
750年頃、砂糖きびの「砂糖」が鑑真和上によって中国・唐朝から伝来。
遣唐使(630~894年)によって、「唐菓子」(からくだもの・からがし)が中国・唐朝から伝来。

▽ 平安時代

848年(承和15年=嘉祥元年)6月16日、仁明天皇が16の数に因んだ菓子・餅など16個を神前に供え疫病を除け健康招福を祈り、元号を「嘉祥」(めでたいしるし)に改元した。
「延喜式」(927年)には、飴や酒の材料として麦もやし(麦芽)が登場。「倭名類聚抄」(934年)などには、「餅」(「毛知比」「持ち飯」と表記)が登場。
「枕草子」(996年初稿)には、削り氷(げずりひ、かき氷)に「甘葛」を入れて食べたことが書かれている。

▽ 鎌倉時代

1191年頃には、「お茶」が臨済宗・栄西禅師によって中国・宋朝から伝来。やがて、茶の湯が流行。後嵯峨天皇が「嘉祥の日」(6月16日)に通貨16枚で御供えの菓子などを求めて献じそれを吉例とした。

▽ 南北朝~室町時代

宮中の「御湯殿上日記」(1477年から)には、引き続き「かづう」即ち「嘉祥の祝」の菓子を差し上げるのが吉例と書かれている。
「庭訓往来」(南北朝末期~室町前期)には、茶席には点心に48種の羹(あつもの)の汁があり、そのうち羊羹(羊肉汁)を日本では羊肉に似せ、麦の粉に小豆または甘葛の粉などで象ったものを入れる「蒸羊羹」としたと書かれている。これが後に「芋羊羹」「ういろう」へと広がる。

▽ 安土桃山時代

1599年には、鶴屋(後に駿河屋)の五代目・善右衛門が、テングサ(寒天)・粗糖・小豆餡(あん)を用いて炊き上げる「煉羊羹」を開発、1658年には改良し完成品として市販した。
17世紀、黒砂糖が琉球王国や奄美群島などで生産開始、薩摩藩によって日本全体に広まり、「砂糖羊羹」が登場。

▽ 江戸時代

江戸幕府は、毎年6月16日、大名・旗本など御目見得武士に大広間で菓子を下賜、これを「嘉祥頂戴」と言った。これが市中においても、嘉定通宝16文(または米1升6合)で菓子や餅16個を求め食べる「嘉祥喰」、この夜に16歳の袖止め(詰め袖)をする「嘉祥縫」、6月16日に採った梅の実で作った梅干しを旅立ちの日に食べると災難を逃れられる「嘉祥の梅」など、様々な「嘉祥の祝」は、疫病を逃れ健康招福を願うめでたい行事として受け継がれて行った。

オランダや中国の貿易船が大量の砂糖を出島に持ち込んだため、砂糖が広く使われるようになった。砂糖輸入を減らすため、将軍・徳川吉宗(1716~45年)がサトウキビの栽培・砂糖の国産化を奨励した。これに各藩も着目、特に高松藩主・松平頼恭がサトウキビ栽培を奨励し天保期(1830~44年)には国産白砂糖のシェア6割を占めた。

亨保~天明期(1720~1780年)になると江戸の個性も出始め、桜餅・金つば・大福餅・おこし・煎餅(せんべい)など、生活に密着した菓子が作られ江戸の武士や町人に歓迎された。

大阪天満の寒天問屋・宮田半兵衛が、故郷の摂津国島上郡原村(現・大阪府高槻市)で「寒天」の製法を改良し寒天製造を広め、1798年には、周辺18ケ村による寒天株仲間が結成された。
寛政期(1789~1801年)には、「砂糖羊羹」に改良が加えられ「練羊羹」として完成した。天保期(1830~44年)には、信州の行商・小林粂左衛門が、諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め角寒天として定着した。

文化~文政期(1804~1830年)以後の江戸は庶民の街として拡大を続け、今川焼・五家宝・紅梅焼・花林糖(かりんとう)などが、そして幕末期(1831~1867年)には最中・切山椒が人気を集めた。

かくして和菓子の殆どが江戸時代に作られ、今日の製菓業の基礎が作られたのだ。



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□ お題 「夏に食べたい和菓子は?」


葛(くず)まんじゅう、水まんじゅう、水ようかんなどが好み。

 

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午前中、ハナショウブを中心に初夏の花木を観察しながら「小石川植物園」を散策した。前回は5/20(金)の訪問。

往きは、浅草通り ⇒ 動物園通り ⇒ 言問通り ⇒ 千川通り。 
帰りは、千川通り ⇒ 菊坂通り ⇒ 春日通り ⇒ 浅草通り。



■ 「国立小石川植物園

(正式名「東大大学院理学系研究科附属植物園」、文京区白山3-7-1)


1638年、江戸幕府が麻布と大塚に薬園を設置。やがて大塚は廃止。1684年、5代将軍・徳川綱吉の小石川別邸(白山御殿)に「御薬園」として移設。1722年、8代将軍・吉宗が目安箱の直訴に基づき「御薬園内 小石川養生所」を設置。1872年、明治維新の「東京市養育院」を設立。1877年、東京大学の開設に伴い理科大学(現・理学部)の附属施設となり広く植物学研究施設として再生し一般公開(「小石川植物園」の開園)。1998年、大学院理学系研究科附属施設。2012年、国の名勝・史跡に指定。面積は広大な16.16ha。

 

□ 園内マップ

 



時計回りで正門⇒低地⇒高台⇒正門へと巡回した。



□ メタセコイア/ハンノキ~沼

スモークツリー(別名ハグマノキ)



ヘツカニガキ(別名ハニガキ/ケナシハナダマ/ヨメフリハナダマ)



タカワラビ(別名キンモウコウ)



□ イチョウ/ラクウショウ~沼


ミズカンナの群生



ムラサキシキブ(別名ムラサキシキミ)



タイミンチク(別名ツウシチク)の群生



池に映ったイロハモミジの新緑



ガクアジサイ




□ 日本庭園: 梅林~ハナショウブ田~池


全景



▽ 江戸古花(堀切)系・江戸系


長生殿


沖津白波


群山の雪


蛇篭の波


照田


煙夕空(けむるゆうぞら)


鶴鵲楼(かんじゃくろう)


滋賀の浦波



桜川


虎嘯(こしょう)


七小町


寛政


黒雲


古稀の色


霓裳羽衣(げいしょううい)


剣の舞


関留


友白髪


松の雪


江戸紫


雨後の空



▽ 伊勢系

 

花の司


狩衣(かりごろも)


藤代


口紅


伊勢実生




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赤猫を撮ろうとしていたところへ、餌を運んで来た女性に付いて行った。

 

 




キョウチクトウ(淡黄)



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低地⇒高台へ移動


□ ドウダンツツジ畑


ヒメシャラ(別名サルナメリ/アカラギ)



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□ 分類標本園/薬園保存園


ヤマアジサイ




バショウ(別名ジャパニーズバナナ、だが中国原産)の実


ハタザオキキョウ(別名カンパニュラ・ラプンクロイデス)


終期のフサフジウツギ(別名ブッドレア)にクロアゲハ



ノリウツギ(別名ノリノキ/サビタ)


イワガラミ(別名ユキカズラ)


トリアシショウマ


ホソバノキリンソウ



シロバナアケビの葉に朝露が未だタップリ残っていた

 



□ 本館の周辺


ヤブカンゾウ・・・生薬・萱草根(かんぞうこん)になる



セイヨウアジサイ


アメリカノリノキ(別名アナベル)



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高台⇒低地へ移動


□ 正門