昨日5/21(土)はお昼近くに夕立(スコール)があった。

 

実況気象衛星画像20220521--11:00

 

実況雨雲レーダー20220521--11:05

 

 

降水量20220521

最大24.0mm/h、一日合計39.5mm。

 

 

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■ 5月21日は「小満(しょうまん)の日」


「定気法」では太陽黄経が60度の時。「二十四節気」の第8番目に当たる。第7番目の「立夏」(5月5日)~第9番目の「芒種」(6月5日)の間の5月21日。期間としては5月21日~6月4日。


□ 江戸時代の暦解説書『こよみ便覧』

小満 「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」・・・宇宙に存在する全ての物事が満ち溢れる。陽気が良くなり、万物に生気が充満し、草木が生い茂り、麦畑が緑黄色に色付き始める。各地の稲荷神社では五穀豊穣・商売繁盛を願って「小満祭(こまんさい)」が開催される。


▽ 初候: 5月21日~5月25日頃

「蚕起こって桑を食らう」・・・蚕が桑を盛んに食べ始める。

▽ 次候: 5月26日~5月30日頃

「紅花栄う」・・・紅花が盛んに咲く。

▽ 末候: 5月31日~6月5日頃

「麦秋至る」・・・麦の穂が育ち麦秋となる。
足立区鹿浜2「都市農業公園」20210430




□「旬の食べ物


▽ 果実

ビワ(枇杷)
墨田区千歳3付近20220518


メロン[舐瓜(テンカ/マクワウリ)]

ナツミカン(夏蜜柑)

ソラマメ(空豆/蚕豆)

シソ(紫蘇/大葉)

サクランボ[桜桃/甘果桜桃(セイヨウミザクラ)]
「荒川公園」20210518



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■ 5月21日は「小学校開校の日」


明治維新によって都が東京へ移ること(東京遷都)となり、京都は深刻な危機を迎えた。 そこで京都の町衆は、再興は人づくりにあると考え、住民が自分達で資金を調達して開校したものだった。それは1872年(明治5年)の明治政府による学校制度(学制)創設に先立つ、日本最初の学区制小学校であった。1869年(明治2年)5月21日、京都市に日本初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」(後の「柳池(りゅうち)学区小学校」⇒「御所南小学校」⇒「京都御池中学校」)が開校した。


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□ 我が国の小学校の略史


▽ 平安時代

「私塾」・・・禅宗真言宗の開祖・空海(尊称・弘法大師)が、公卿・藤原三守から譲り受けた京都の左京九条の邸宅に、日本初の私塾「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん、現在の京都市南区西九条池ノ内町西福寺前)を828年1月23日(天長5年12月15日)に設立した。庶民教育や各種学芸の総合的教育を目的とし、儒教・仏教などを教えた。


有名な「足利学校」(現在の栃木県足利市昌平町2338) は、創立時期について諸説があるが、室町時代~戦国時代の関東における事実上の最高学府 "坂東の大学校" であり、小学校ではない。



▽ 江戸時代

「藩校」・・・日本初の藩士たちのための藩校「岡山学校」[別称「国学」、現在の岡山市北区蕃山町(ばんざんちょう)] が、1669年(寛文9年)に岡山藩主・池田光政によって設立された。
続いて翌1670年(寛文10年)には日本最古の庶民学校「閑谷(しずたに)学校」(現在の岡山県備前市閑谷) が設立された。

上方の「寺子屋」、江戸の「手習師匠」(別称「幼童筆学所」「筆道指南」) ・・・ 主に寺院で、僧侶・下級武士をはじめ様々な身分の師匠が町人の子弟に「読み書き算盤」を教えた。
宝暦期(1751~64年)辺りの江戸中期から普及して行った。


▽ 明治時代

「番組小学校」・・・明治維新初の私立小学校「上京第二十七番組柳池(りゅうち)小学校」(現在の京都市上京区富小路御池角守山町、後の「京都市立京都御池中学校」と「下京第十四番組修徳(しゅうとく)小学校」(現在の京都市下京区新町通万寿寺、後の「修徳小学校」)が、1869年(明治2年)5月21日に設立された。 
 ※「番組」とは住民自治組織「町組(ちょうぐみ)」のこと。

「小学校尋常科」・・・明治維新初の官立小学校「東京師範学校附属小学校」(現在の文京区湯島1-5、後の「国立筑波大学附属小学校」)が、1873年(明治6年)1月15日に設立された。


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□ お題「小学校の時の思い出の中で1番印象に残っている事は?

 

 

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▽ 私の小学生時代は1954~59年(昭和29~34年)で、金沢市の北東郊外に在った母校は、1971年(昭和46年)3月に廃校となってしまった。丁度、私の大学卒業年であった。 好きだった授業は国語・図画(但し工作は苦手)・体育。もうこの頃から文系の傾向あり(笑)。


▽ 我が小学校の教育方針には、いくつかの特徴が有った。
・ "戦後民主教育"の一環として、学級委員は生徒の互選で男女1名ずつ選ぶこと。男子も針仕事(雑巾作り・ボタン付けなど)を経験すること。盆踊りに小学生から男子も参加すること。
・ 「こども信用組合」と称する自治会活動に高学年から参加すること。その組合組織は総務・貯金・購買・厚生・文化などで編成されていた。
・ 農村に相応しく、農業高校のように自主研究田を持ち稲作の全てを実行していた。落穂拾い大会、収穫祭などもあった。
・ その他、火の用心の夜回り、神社境内の掃除、夏休みの家庭学級(近所の上級生の自宅で集合学習すること)など。


▽ 集落住民が挙って(班別に)参加する、海水浴(稲作用の舟に乗り河北潟を経由して日本海の海水浴場へ)、班対抗の運動会(縄ない競争、綱引き、年代別リレー)。


▽ 運動会の高学年男子「棒倒し」種目で、先陣を切って敵軍の旗を奪う寸前に、太い竹の棒が倒れ頭から落下して気を失ってしまった、6年生時の苦い思い出。