■■ 5月20日の記念日
■ 1635年5月20日(新暦7月4日)
江戸幕府が「第3次鎖国令」を発布、日本人の海外渡航・渡航者の帰国を禁止、長崎港以外への外国商船入港を禁止した。
□ 江戸幕府の鎖国政策
<大御所・徳川家康---第2代・徳川秀忠>
1613年、全国にキリスト教禁止令を発布、貿易重視から国土防衛へ政策転換した。
<第2代・徳川秀忠>
1616年、中国(明朝)以外の船の入港を長崎・平戸に限定した。
<大御所・徳川秀忠---第3代・徳川家光>
1624年、スペインとの国交断絶、来航を禁止した。
<第3代・徳川家光>
1633年、「第1次鎖国令」で老中の奉書船以外の渡航禁止、海外に5年以上居留する日本人の帰国を禁止した。
1634年、「第2次鎖国令」で、長崎に出島建設を開始した。
1635年5月20日、「第3次鎖国令」で、日本人の海外渡航・渡航者の帰国を禁止、長崎以外への外国商船入港を禁止した。
1636年、「第4次鎖国令」で、貿易に無関係のポルトガル人をマカオへ追放、残りのポルトガル人を出島に移した。
1637年、「島原の乱」が勃発し、伴天連(キリシタン)に対する危機感が一気に高まった。
1639年、「第5次鎖国令」で、ポルトガル(南蛮)船の入港を禁止、鎖国体制が完成した。
1641年、オランダ商館を平戸から長崎出島に移した。
<第4代・徳川家綱>
1673年、イギリスとの交易再開を拒否、オランダ以外のヨーロッパ船の来航が途絶えた。
==鎖国体制 (英訳「closed country」) ==
<第13代・徳川家定---大老・井伊直弼>
1854年、アメリカ(ペリー)と日米和親条約を締結、下田・函館を開港、開国が開始された。
1858年、アメリカ(ハリス)と日米修好通商条約(居留アメリカ人の信教自由を含む、不平等条約)を締結、開国が本格化した。
<第14代・徳川家茂---大老・酒井忠績>
1866年、学問や商業目的の海外渡航が解禁された。
==明治維新==
<参議/初代内務卿・大久保利通>
1873年、日本人のキリスト教信仰が解禁された。
<第9代内閣総理大臣・山縣有朋>
1899年、外国人の居住(内地雑居)が自由になった。
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■ 1941年5月20日
芝浦・竹芝両埠頭が完成し、東京港が外国貿易港として開港指定を受けた。
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■ 1978年5月20日
千葉県成田市に新東京国際空港(現・成田国際空港)が開港した。
□ 成田空港反対闘争(三里塚闘争)
1966年、自民党・佐藤栄作内閣が、新東京国際空港の建設予定地を千葉県成田市三里塚地区の宮内庁下総御料牧場付近に閣議決定した。三里塚地区と芝山町の反対派農民・住民が連合し、三里塚芝山連合空港反対同盟を結成した。
1967年、70年安保闘争三派全学連が反対同盟集会で支援を申し入れた。
1971年、第二次行政代執行が終了したが、代執行期間中の反対派ゲリラが激化した。
1978年、開港4日前の成田空港を反対派ゲリラが襲撃、管制塔を襲撃し一時占拠した。政府は緊急措置法(成田新法)をスピード公布・施行、新東京国際空港(成田空港)を開港させた。
1985年、三里塚で反対同盟支援グループと警視庁機動隊が激突した。
1995年、社会党・村山富市など連立政権による話し合い融和政策から、反対運動の代表的な小川派が運動終了を決定した。
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□ お題「搭乗時間まで何して過ごしてる?」
▼本日限定!ブログスタンプ
国内便は、2008年にサラリーマン最後の国内出張で「福岡空港」を利用し、2010年には身内の弔いで「能登空港」(2014年から愛称「のと里山空港」) を利用したのが最後であり、
国際便の方は、1996年に米国西海岸~ラスベガスへ業界の視察ツアーをしたのが最後。
「コロナ禍」の襲来によって飛行機の利用機会はますます遠退いているが、パスポートだけは2011/5/20(金)に続いて2021/2/10(水)にも更新手続きを済ませている。
利用していた約35年間 (1975~2010年)では、搭乗までの待合時間には決まってビールを飲んでいた。
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昨日5/20(金)は朝から暑くなった。気温: 最低21.2/最高25.9℃、湿度: 平均72%。
午前中、晩春から初夏へと移り行く「小石川植物園」を散策した。前回は4/12(火)の訪問。
往きは、浅草通り ⇒ 動物園通り ⇒ 言問通り ⇒ 千川通り。
帰りは、千川通り ⇒ 菊坂通り ⇒ 春日通り ⇒ 浅草通り。
■ 「国立小石川植物園」
(正式名「東大大学院理学系研究科附属植物園」、文京区白山3-7-1)
前回は梅花の時期2/27(日)に訪問した。
1638年、江戸幕府が麻布と大塚に薬園を設置。やがて大塚は廃止。1684年、5代将軍・徳川綱吉の小石川別邸(白山御殿)に「御薬園」として移設。1722年、8代将軍・吉宗が目安箱の直訴に基づき「御薬園内 小石川養生所」を設置。1872年、明治維新の「東京市養育院」を設立。1877年、東京大学の開設に伴い理科大学(現・理学部)の附属施設となり広く植物学研究施設として再生し一般公開(「小石川植物園」の開園)。1998年、大学院理学系研究科附属施設。2012年、国の名勝・史跡に指定。面積は広大な16.16ha。
□ 園内マップ
前回とは反対に、時計回りで正門⇒低地⇒高台⇒正門へと散策した。
□ 裸子植物園
向かって左から
ウォレミア(別名ウォレマツ/ウォレマイパイン/ジュラシックツリー)
バショウ(別名ジャパニーズバナナ、だが中国原産)
イチョウ
精子発見のソテツ
□ メタセコイア/ハンノキ~沼
スモークツリー(別名ハグマノキ)
タカワラビ(別名キンモウコウ)
トノサマガエル(ウシガエルほど大きくない)
□ イチョウ/ラクウショウ~沼
ミズカンナの群生
ここにもトノサマガエル
□ 梅林~ハナショウブ~池
これからのハナショウブ園に狩衣(かりごろも)がポツンと咲いていた。
ウツギの群生
アオスジアゲハ
シオカラトンボ
ハナキササゲ(別名オオアメリカキササゲ)
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低地⇒高台へ移動
□ ツツジ畑
カルミア(別名アメリカシャクナゲ)
ツマグロヒョウモン
□ 針葉樹林/雑木林~ユリノキ/スズカケノキ
ハコネウツギ(別名ゲンペイウツギ)
□ ツバキ園~イチョウ
□ イロハモミジ(別名イロハカエデ/タカオカエデ) 並木
人気のイロハモミジのトンネル
□ ツツジ園
遅咲きのシブカワツツジ
右奥に「甘藷試作跡の碑 / 旧養生所の井戸」
オタクミツツジ(采咲きサツキ)
長寿宝サツキ
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□ 分類標本園/薬園保存園
シマダンチク(別名フイリノセイヨウダンチク)
垣根に多いツキヌキニンドウ
チョウジソウ
ハマナス
ネコノチチ
イワカガミ(別名ユキカズラ)
アワモリショウマ(別名アワモリソウ)
ムシトリナデシコ(別名ハエトリナデシコ/コマチソウ)
イザヨイバラ
キマダラカメムシ
□ 売店付近
クサイチゴ(別名ワセイチゴ)
□ サクラ園
オオシマザクラのサクランボ
□ フジ園
マリアアザミ(別名オオアザミ/ミルクシスル、地中海原産)
シャクヤク
□ ヒマラヤスギ(別名ヒマラヤシーダー)林
タマサンゴ(別名フユサンゴ)
□ 本館
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高台⇒低地へ移動
カイヅカイブキ(ビャクシンの栽培種)の巨樹
ここにもカラスアゲハ
□ 正門
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帰途に「上野不忍池」を通り抜けると-----
今季初のタチアオイ
ヤマアジサイ