■ 2月19日は「雨水」(うすい)


□「二十四節気」(にじゅうよんせっき)
 

中国の戦国時代(紀元前5~2世紀)に考案された『宣明暦』(せんみょうれき、太陰太陽暦)がルーツ。
日本の江戸時代1685年(貞享2年)に渋川春海ら暦学者によって『貞享暦』(じょうきょうれき、太陰太陽暦) をはじめ何度も改暦された。
明治時代1883年(明治16年)に『本暦』(別称『神宮暦』、太陽暦) とその簡略化した『略本暦』(りゃくほんれき)を発行した。

「雨水」は「二十四節気」の第2節気目。

現在広まっている定気法では太陽黄経が330度の時。2月18~19日頃で、2022年は2月19日(土)。暦ではそれが起こる日だが天文学ではその瞬間。
期間としての意味もあり、この日2/19(土)~次の節気の「啓蟄」(けいちつ) の前日3/4(金)。「立春」から数えて15日目頃。

西洋占星術では双魚宮(うお座)の始まり。


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▽ 『暦便覧』


日本の江戸時代1787年(天明7年)刊行/1798年(寛政10年)再版の著者:太玄斎(たいげんさい)/出版者:蔦屋(つたや)重三郎ほかによって成立した『暦便覧』では次のように説明している。

「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」・・・雪から雨へと季節が移ろい、雪氷が融け始め雨水となり始める。

実際は積雪のピークであり、それ故この時節から寒さも峠を越え、衰退し始めると見ることもできる。
「春一番」が吹く一方で、大雪が降ったりもして、「三寒四温」(さんかんしおん) を繰り返しながら春に向かう。
鶯(うぐいす)の鳴き声が聞こえ、草木が芽生え、農耕の準備を始める。
「雨水の日」に雛(ひな)人形を飾ると良縁に恵まれるとの言い伝えがある。

<再掲>
我が家の雛人形



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□「七十二候」(しちじゅうにこう)


古代中国(詳しい年代は不明) で考案された季節を表す方式のひとつ。「二十四節気」を更に約5日ずつ3つに分けた (24 X 5=72) 期間。
日本の江戸時代、『貞享暦』が編纂されたことに伴ない、日本の気候風土に合うように「本朝七十二候」として改訂された。
近代では1874年(明治7年)に伊勢神宮で編纂された『略本暦』の「七十二候」が主に使われている。


「雨水」は「七十二候」の第67候目。


▽ 初候 2/19(土)~2/23(水・祝)頃

「土脉潤起」(つちのしょう うるおい おこる)雨が降って土が湿り気を含む

冷たい雪が暖かい春の雨に代わり、大地に潤いを与える頃。寒さも緩(ゆる)み、眠っていた動物も目覚める。


▽ 次候 2/24(木)~2/28(月)頃

「霞始靆」(かすみ はじめて たなびく)霞が棚引き始める

霧や靄(もや)のため、遠くの山や景色が仄(ほの)かに現れては消え、山野の情景に趣(おもむき)が加わる頃。
春に出る霧を霞(かすみ)と呼び、そのうち夜の霞は朧(おぼろ)と呼ばれる。


▽ 末候  3/1(火)~3/4(金)頃

「草木萌動」(そうもく めばえ いずる)草木が芽吹き始める

足もとや庭木の先にほんのりと薄緑に色づく芽が見られる頃。柔らかい春の日差しの中、草木が芽吹き新しい命が生まれる。



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□ 旬(しゅん)の物


▽ 言葉


「春一番」・・・北日本(北海道・東北)と沖縄を除く地域で、春先に吹く南寄り(東南東~南~西南西)の強風。「春一番」が吹いた日は気温が上昇しその後は寒さが戻ることが多い。「立春」2/4(金)頃~「春分」3/21(月・祝)頃の間に、北側(日本海)を進む低気圧に向かって、南側の高気圧から10分間平均で風速8m/s以上の風が吹き込み、前日に比べて気温が上昇することを発生条件(認定基準)とする。「春分」までに気象台の認定基準に当てはまらず「春一番の観測なし」とされる年もある。

<再掲>
金沢市で「春一番」  北國新聞20220215



「三寒四温」(さんかんしおん)・・・冬が終る(春が近づく)季節に、寒い日が三日間程続くと、その後比較的程暖かい日が四日間程続く、寒暖の周期を表す慣用句。これを繰り返しながらだんだん暖かくなり春へと向かう。元は中国東北部(旧満州)や朝鮮半島北部における冬の気候を表す言葉。日本では春が近づくと、低気圧と高気圧が交互にやって来て、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返す気象現象を指す。



▽ 行事

2/19(土)   雨水
2/20(日)   北京オリンピック2022閉会式
2/22(火)   にゃんにゃんにゃん猫の日
2/23(水・祝) 天皇誕生日
2/24(木)      下弦の月
2/26(土)      プロ野球オープン戦開幕
3/3(木)       上巳(じょうし/じょうみ)の節句(別称・桃の節句)、雛祭り
3/4(金)       北京パラリンピック2022開会式


▽ 食べ物 (加工品)

菱餅(ひしもち)
雛霰(ひなあられ)
散らし寿司

白酒(旧称・山川酒)、甘酒


▽ 花

梅(ウメ)
河津桜(カワヅザクラ)
猫柳(ネコヤナギ)
満作(マンサク)
木瓜(ボケ)

寒椿(カンツバキ)
沈丁花(ジンチョウゲ)

雛菊(ヒナギク、デイジー)
大犬の陰嚢(オオイヌノフグリ)
繁縷(ハコベ/ハコベラ)


▽ 野菜

新玉葱(タマネギ)
春キャベツ

菜の花(ナノハナ)
辛子菜(カラシナ)
小松菜(コマツナ)
明日葉(アシタバ)
独活(ウド)
塘蒿(セロリ)


▽ 魚介

蛤(ハマグリ)・・・雛祭りや結婚式には欠かせない縁起の良い貝。蛤の二枚の貝殻は対のもの以外とは合わないことから夫婦和合の象徴とされ、祝事に用いられる食材となった。
鮃(ヒラメ)
鯥(ムツ)
飛魚(トビウオ)

若芽(ワカメ)



▽ 昆虫・両生類

越年蜻蛉(トンボ)
天道虫(テントウムシ)

アズマヒキガエル


▽ 鳥

鶯(ウグイス)
目白(メジロ)
鷽(ウソ)



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■ 2月19日は「プロレスの日」


1952年2月3日、プロレスラーの力道山 (百田光浩。1924年11月14日~63年12月15日)は修行のためハワイへ出発して、米国の太平洋岸を転戦し300戦295勝5敗の成績を残して帰国した。

1953年7月30日、帰国後の力道山が中心となり日本初のプロレス団体である「日本プロレスリング協会」を結成することによって、プロレスラーの養成を行いプロレス人気を高めることに貢献した。当時、開始されたテレビ試合中継が新橋駅西口広場の街頭テレビで放送され黒山の人集(だか)りができた。

1954年2月19日から3日間、力道山・木村政彦組 VS ベン&マイクのシャープ兄弟が、日本初のプロレス興行国際試合「NWA世界タッグマッチ3連戦」を蔵前国技館で開催した。日本テレビとNHKが同時中継し、新橋駅西口広場の街頭テレビには約2万人の群衆が殺到した。

力道山は、大相撲の力士出身 (二所ノ関部屋、最高位は西の関脇、1950年夏で引退) で身長176cm/体重116kg。外国人レスラーを得意技の「空手チョップ」で次々と倒す姿に人気が集まった。素行の面では色々と問題はあったが、日本のプロレス界の礎を築いた最大の功労者であり、「日本プロレス界の父」と呼ばれて来た。


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□ お題「やってみたいプロレス技ある?」
 

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今は特に有りませんが、小学生の頃は上記のように力道山が "国民的な英雄視" されていたので、よく「空手チョップ」を真似たものでした。

あと、小学校の体育館に在った布製マットの上で、ブロレスの真似事で遊んだ時はの仕上げは、「電気按摩(アンマ)」==我々は訛(なま)って「電気ヤンマー」と呼んでいた==の秘技によって股間(こかん)に足を突っ込んでビリビリとバイブレーションで攻めに攻めたものでした。

電気アンマ


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□ 私が好きな格闘技の技


小学生~高校生を通じて経験した格闘技において、私が好きだった技は次の通りです。


▽ 小学生期(1954~59年)

相撲・・・初代若乃花関(56年大関昇進~60年横綱引退) の大ファンだったので、突き・押し・投げよりも、彼の得意技: 肩透(かたす)かし、二枚蹴(にまいげ)りをよく真似たものでした。

二枚蹴り



▽ 中学生・高校生期(1960~65年)

柔道・・・東京五輪64で神永選手を破ったオランダ・ヘーシングの寝技・袈裟(けさ)固めなんか柔道じゃないと悔しがったものでした。

後に、野村選手(アトランタ五輪96/シドニー五輪00/アテネ五輪04を三連覇) の胸が空(す)くような背負い投げに魅了されました。