■ 12月31日は「大晦日」


旧暦の月末には月が隠れる(篭もる)ので、「月隠」(「月篭」、つきごもり)==「晦」(つごもり)と言った。そして毎月の三十日==「晦日」(みそか)と呼んだ。

旧暦の年末は、1年の終わりの日==最後の晦日==「大晦」(おおつごもり)==「大晦日」(おおみそか)と呼んだ。

大晦日の夜のことを「除夜」(じょや)と言う。
かつては一年の神「歳神」(としがみ)を迎えるため、新年元日の朝、つまり元旦まで眠らずに過ごす習慣があった。
「除夜」には---
各家庭で年越し蕎麦が食べられる。
寺院では「除夜の鐘」(じょやのかね)が108回、撞(つ)かれる。
眼・耳・鼻・舌・身・意の6根、
そのそれぞれに苦楽・不苦・不楽があって18類、
そのそれぞれに浄・染があって36類、
そのそれぞれを前世・今世・来世の3世に配されて、
6x3x2x3=108となる。
仏教で言う人間の煩悩 [ぼんのう、心身を乱し悩ませ智慧(ちえ)を妨げる汚れ] の数を表しているのである。
近年、寺の「除夜の鐘」がウルサイとか、「保育所」「幼稚園」の子どもたちの声がウルサイとかクレームをつける人が現われるようになったのは、哀しいことである。
 

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□ お題「今年一番の思い出は?」
 

 

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▽ 私生活では-----

新型コロナ感染症を回避するため、①マスク②嗽(うがい)③三密回避に徹しながら、ウォーキング&サイクリングを貫いたこと。

我が夫婦が愛するオリックスバファローズが、25年振りにリーグ優勝を遂げたこと。


▽ 社会情勢では-----

2021年1月20日(水)、米国大統領が "米国第一・経済優先主義" のドナルド・トランプ氏から "国際リベラル・環境&人権保護主義" のジョー・バイデン氏に交代したこと。
この日に偶々、我が夫婦の新しいパスポートが発行された。

2021年10月4日(月)、日本国内閣総理大臣が "安倍晋三氏(急進派・高姿勢)の最側近" の菅義偉氏から "穏健派・正姿勢" の岸田文雄氏に交代したこと。



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□ 大晦日 有明の月「三日月」

月齢25.8 
20211231--06:41 (正中の1時間38分前)
南南東の空



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□ 大晦日 夕焼け

20211231--16:27 (日没の10分前)



それでは皆さま
良いお年をお迎えください。

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■ NHK総合1「正月時代劇 幕末相棒伝」 龍馬と土方~無敵のバディ~ をスタディした。
 


放送日時: 1/3(月)21:00~22:29 (89分間)


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□ スタッフ


原作: 五十嵐貴久「相棒」
脚本: 土橋章宏
演出: 堀切園健太郎(NHKエンタープライズ)
音楽: 遠藤浩二

時代考証: 山村竜也
殺陣指導: 中村健人

土佐ことば指導: 岡林桂子
薩摩ことば指導: 田上晃吉
京ことば指導: 井上裕季子
長州ことば指導: 一岡裕人
会津ことば指導: 河原田ヤスケ

所作指導: 大石昭弘、勇家寛子
琵琶指導: 飛騨大富

制作統括: 後藤高久(NHKエンタープライズ)、落合将(NHK)、原克子(松竹)


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□ キャスト


坂本龍馬(永山瑛太)
土佐藩を脱藩し浪人となって日本中を巡り広く世界の知見を学んだ龍馬は、欧米のような民衆のための新しい国作りの夢を抱くようになる。そのために幕府が朝廷に政権を返す大政奉還を画策して、日本を二分する幕府と討幕派の戦さを何が何でも阻止しようと躍起になるが…。

土方歳三(向井理)
新選組副長。多摩の農民として生まれたが武士になりたいと志を抱いて約20年後、京都での活躍が認められ徳川の幕臣となった。将軍襲撃事件で新選組の警護不備を若年寄の永井から糾弾され、やむを得ず仇敵の龍馬とバディを組んで犯人探索をする破目になる。

沖田総司(白洲迅)
新選組一番組隊長。土方とは江戸の道場で共に鍛錬し、その腕前は誰もが認める一流の剣士。土方を実の兄のように慕い、今回の探索でも陰から土方を支える。
 


おしの(堀田真由)
料亭・七梅の女中。愛想が良くて気の利く働き者だが、じつは両親を戦災で失くし幼い兄妹や祖母の面倒を女手一つで見ている。お金にうるさいのが玉に瑕。
 


陸奥陽之助(陸奥宗光、浅利陽介)
龍馬が作った海援隊の隊士。変わり者だが頭の切れる大胆な右傾策士で、龍馬もその才能を認めている。明治政府では外務大臣となり、各国との不平等条約撤廃を成功させた。
 


近藤勇(阿部亮平)
新選組局長。多摩の農家から江戸・近藤家の養子となり天然理心流宗家4代目を継いだ。幼い頃から固い契りを結ぶ土方に対しては全幅の信頼を寄せている。
 


西郷吉之助(西郷隆盛、谷田歩)
薩摩の精神的支柱である西郷は武力倒幕を目指していたが、龍馬に説得され一旦は大政奉還を受け入れた。だが将軍襲撃事件が起き混乱する幕府を見て、密かに兵を集め始める。
 

中村半次郎(奥野瑛太)
薩摩藩士。後の明治になって桐野利秋と称した。同郷の西郷に付き従って、各地で勇猛を轟かせた自顕流の遣い手で、世間では "人斬り半次郎" と恐れられた。
 


中岡慎太郎(和田正人)
土佐藩陸援隊の隊長。龍馬と組んで薩長同盟の成立に尽力するなど、幕末のキーパーソンの一人。近江屋では龍馬とともに暗殺されてしまった。



桂小五郎(駿河太郎)
倒幕を目論む長州藩のリーダー的存在。薩摩や土佐と密盟を結び京に攻め上る準備を進めている。新選組には池田屋事件で多くの仲間を殺された恨みがある。
 


徳川慶喜(渡辺大)
徳川家最後の将軍。大政奉還によって将軍職を朝廷に返上し、諸侯の合議制で政治を行う新しい政府を目指したが、後に戊辰戦争が勃発し徳川将軍家は滅亡した。
 




佐川官兵衛(近藤芳正)
会津藩士。京都守護職となった藩主・松平容保に従い京に駐留した。武勇に秀でて討幕派からは "鬼佐川" "鬼の官兵衛" と呼ばれ一目置かれていた。
 


伊東甲子太郎((かしたろう/きねたろう、佐藤隆太)
新選組参謀だったが、孝明天皇陵を守りつつ薩摩藩の動静を探るという名目で別動隊・御陵衛士(別称:高台寺党)を組織して独立した。容姿端麗弁舌滑らかで人望もあり、北辰一刀流の遣い手。
 

永井尚志(なおゆき、杉本哲太)
幕府を支える優秀な官僚・若年寄。徳川家が生き残るために大政奉還を進めようとするが、将軍襲撃事件が起きて計画が破綻寸前となり、とんでもない策略を巡らす(蝦夷共和国の箱館奉行となる)。
 


岩倉具視(中村梅雀)
京都郊外に隠棲する岩倉は薩長と密かに通じ、政界への復帰を図っていた。幕府を倒せという天皇の勅命を得ようと画策するなど、龍馬にとっては大政奉還実現のための大きな壁だった。
 



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□ 撮影場所(ロケ地)


京都市右京区太秦堀ケ内町12-9「松竹京都撮影所」
 


京都市右京区花園妙心寺町1「妙心寺 庫裏(くり)」・・・新選組屯所の設定



京都市中京区二条通堀川西入二条城町541「二条城 二の丸御殿唐門」・・・将軍慶喜を乗せた籠行列が出立する場面
 

京都市左京区「岩倉具視幽棲旧宅」・・・洛中を追われた岩倉具視が隠棲した場所



京都市左京区聖護院中町15「聖護院 宸殿上段の間」・・・二条城・広間の設定



京都市山科区小野御霊町35「随心院 表門、本堂前」・・・二本松の薩摩藩邸の設定



京都市山科区安朱稲荷山町18「毘沙門堂 あわずの間襖(ふすま)絵」



京都市西京区大原野南春日町1194「勝持寺」(花の寺)・・・龍馬と土方が石段を下りて来ると石垣と白い塀が長く連なる石畳の道
 
 


京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1「光明寺」
 
 
 

坂本龍馬(永山瑛太)は幕府方と倒幕派の戦争を避けようと、大政奉還を画策していた。
だが将軍・慶喜(渡辺大)襲撃事件が起き、龍馬はなぜか新選組の土方歳三(向井理)と組んで事件を捜査するハメになる。
敵同士の2人は対立しながらも、薩摩の西郷隆盛(谷田歩)や長州の桂小五郎(駿河太郎)、公家の岩倉具視(中村梅雀)ら幕末オールスターたちを相手に京の都で命がけの大捜査を始める。
果たして事件の真相は?黒幕は誰!? 


大政奉還を目前にした幕末の京都を一発の銃弾が切り裂いた。
将軍・徳川慶喜暗殺を企てたのは誰なのか―――討幕派かそれとも幕府側の反乱分子か?
真犯人を捜し出す密命を受けたのは、敵同士である坂本龍馬と土方歳三。彼らに与えられた時間はわずか二日間。
犯人が見つからず大政奉還が成立しなければ、幕府と討幕派の戦が始まる。
龍馬と土方は衝突しながらも、西郷隆盛や桂小五郎、岩倉具視ら幕末維新のオールスターキャストたちを相手に大胆不敵な探索を行う。
果たして二人は事件の黒幕を見つけ出し、無事に戦を止めることができるのか?
そして、幕末最大のミステリー「龍馬暗殺」と「油小路事件」(※1) の真相も明らかになる!


(※1)
「油小路事件」

慶応3年3月10日(新暦1867年4月14日)、伊東甲子太郎が思想の違いから新選組を離脱し、御陵衛士(別称: 高台寺党)を結成した。同志は、弟・三木三郎、篠原泰之進、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助、富山弥兵衛、阿部十郎、内海次郎、加納鷲雄、中西昇、橋本皆助、清原清、新井忠雄、斎藤一(新選組の間諜)の計15名。離脱の名目は、孝明天皇(※2)の御陵守護と薩摩藩・長州藩の動向探索。
スパイの斎藤一から、盟主の伊東甲子太郎が幕府と敵対していた長州藩に対して寛大な処分を主張する建白書を提出したことが、長州厳罰論を説く近藤勇を激怒させるとともに、スパイの斎藤一から、薩摩藩と通謀して近藤勇暗殺を企てていることを聞き付けたため、11月18日(新暦12月13日)、近藤勇は資金の用立て・国事の相談があるとの口実で七条の妾宅に招いて伊東と酒宴を持ち帰路に新選組隊士の大石鍬次郎らが待ち伏せて暗殺した。
油小路七条の辻に放置した伊東の遺骸を引き取りに来た藤堂ら同志7名と、待ち伏せていた40名以上の新選組隊士らとが死闘の末、翌11月19日(12月14日)未明に藤堂、服部、毛内が殺害された。

(※2)
「孝明天皇」

慶応2年12月25日(新暦1867年1月30日)、強い攘夷論者の孝明天皇が崩御された。宝算37(満35歳没)。死因は天然痘と診断。しかし暗殺説も根強い。岩倉具視が伊藤博文・乃木希典ら長州藩を御所に引き込み、孝明天皇および皇位継承者(北朝の子孫)・睦仁親王を暗殺(ヒ素により毒殺)。長州藩(山口県)熊毛郡田布施村出身で奇兵隊士の大室寅之祐が酷似していると選び、明治天皇に成り済ませたと言う説が未だに燻(くすぶ)っている。