■ 8月6日は「広島平和記念日」(別称「広島原爆忌」)
1945年(昭和20年)8月6日(月)午前8時15分、米国陸軍航空隊のB-29爆撃機エノラ・ゲイ(※1)が原子爆弾(核兵器)リトルボーイ(※2)を、人類史上初めての都市攻撃として上空9,600mから投下し、広島市細工町(現・中区大手町)島病院の上空約600mで爆発させた。
(※1) エノラ・ゲイ・・・機長ポール・ティベッツ(Paul W. Tibbets, Jr.)が母親エノラ・ゲイ・ティベッツ(Enola Gay Tibbets)の名前に因んで名付けた。
(※2) リトルボーイ・・・高濃縮ウランを用いたガンバレル型(砲身状の核分裂弾頭)ウラニウム活性実弾のコードネーム。外見からシンマン(痩せ男)とも呼ばれ、後に通称「ヒロシマ型原爆」と呼ばれた。
(※3) 開発経緯
1939年
8月2日
ユダヤ系の物理学者レオ・シラードが、ユダヤ系のノーベル物理学賞を受賞(1921年)したアルベルト・アインシュタインの署名を得た手紙を米国大統領フランクリン・ルーズベルト(民主党) に送り、ナチスドイツの核兵器研究に備えて研究資金提供を助言した。
10月11日
ルーズベルト大統領は直ちにウラン諮問委員会の設立を承認した。
12月7日
日本が宣戦布告無しに真珠湾攻撃。
12月11日
ナチスドイツが対米宣戦布告。
12月18日
ルーズベルト大統領が核兵器開発「マンハッタン計画」を決定し、製造着手。
1945年
5月7日
ナチスドイツが降伏しヨーロッパでの第二次世界大戦終了。
5月11日
原爆投下目標となる日本の都市リストアップ(AA京都・広島、A横浜・小倉)。
7月16日
世界初の核実験「トリニティ実験」(爆縮方式のプルトニウム原爆) がアラモゴードで実施。サンフランシスコにて重巡洋艦インディアナポリスに積載され、日本本土への爆撃機の基地であるテニアン島へ向け出港。
7月24日
ハリー・S・トルーマン大統領(民主党) がソ連の極悪人ヨシフ・スターリン書記長(共産党) に原爆開発を仄(ほの)めかす。これによってスターリンは日中平和条約と水面下での日米和平交渉仲介を反故(ほご)にして、対日参戦を決めたと思われる。
7月25日
大統領が日本への原子爆弾投下 (その最終候補地は広島・小倉・長崎・新潟に)決定。
7月31日
リトルボーイ組み立て完了。
8月5日
爆撃機への搭載完了。投下に用いられた爆撃機B-29にエノラ・ゲイと名付けられる。
8月6日
攻撃目標は広島市中心部と工業地域(照準点は相生橋付近)。実際は広島市の上空高度9,600mから投下し広島市細工町(現・中区大手町)の島病院上空約600mで爆発した。
広島市街は壊滅![]()
焼失面積約13.2㎢、全焼・全壊建物約61,820棟。当時の広島市の人口は約35万人(推計値)、被曝(ひばく、放射線による急性障害)者は約56万人規模(推計値)とされ、そのうち4カ月以内に(1945年12月末までに約14万人(推計値)が死亡したとされる。
そのうち名簿で把握している被曝犠牲者は、当日の即死者54,327人、当日~1945年12月31日の死亡者累計89,025人。当日~2020年8月6日の死亡者累計(原爆死没者名簿登録者数)324,129人。
広島市ホームページ「原爆被害の概要」(2019年10月21日更新)
この歴史的悲劇から人類は目を背(そむ)けることなく犠牲となった多くの人々の霊を慰め、世界平和を祈る日として広島市では毎年この日に原爆慰霊碑の前で「平和祈念式典」が行われる。
*
<補記>
8月9日
次の爆撃機B-29ボックス・カーが搭載した原子爆弾(核兵器)ファットマンの攻撃目標は、福岡県小倉市陸軍造兵廠と市街地上空であったが、前日8日の「八幡大空襲」で生じた残煙・靄(もや)で視界不良であったため、第2攻撃目標の長崎市街地(照準点は中島川下流域の常盤橋~賑橋付近)に変更されたプルトニウム型原子爆弾ファットマンが投下された。実際は長崎市の上空高度9,000mから長崎市北部の松山町の別荘テニスコート上空約500m付近で爆発した。
長崎市街は壊滅![]()
当日~2020年8月9日の死亡者累計(原爆死没者名簿登録者数)185,982人。
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■ 8月6日は「ハムの日」
「ハ(8)ム(6)」の語呂合わせで、「日本ハムソーセージ工業協同組合」(渋谷区恵比寿1-5-6) が制定した。
▽ ハムの略史
まだ狩猟が盛んだった時代に、肉を塩漬けすることで長く保存ができることを古代の人が知ったのが、ハムやソーセージの始まりと言われている。
10世紀の中国・宋朝の時代に、金華火腿(チンホウアフオトゥエイ)というハムが生まれた。
12~13世紀になると、ほぼヨーロッパ全域でハムやソーセージが作られていた。晩秋になると飼っていた豚をと畜し、一家総出でハム・ソーセージ作りに励みます。肉の塊はそのままハムに加工し、細かい肉や内蔵、血液を用いてソーセージを作るなど、蹄以外は捨てるところがないという位、家畜の恵みを大切にしていた。そして、できたハム・ソーセージや肉は、家族・近所の人たちが集まって酒を飲みながら食べるなどして分かち合った。
19世紀の後半、日本にハムの製造技術が伝わった。1872年に、長崎の片岡伊右衛門がアメリカ人のペンスニから製法を教わってハム工場を建設しハムを製造した。一方、松田雅典がハム製造に着手し、明治天皇が長崎に巡幸した際に自家製ハムを献上したと伝えられている。その後は札幌や鎌倉で製造されるようになった。
1960年頃には、かつて高級食材であったハムが一般家庭の食卓に上り始めた。
▽ ハム(ham)の語源
ラテン語perna(ペルナ、お股・紫貝)
ギリシャ語χ'opη(コーレー、アテナ女神に捧げられた娘)
下記は何れも、「豚のもも肉とその塩漬け・燻製(くんせい)」を指す。
英語ham (ハム) ← 古英語hamm(ヒザの曲がった部分)
フランス語jambon(ジャンボン)
スペイン語jamón(ハモーン)
イタリア語prosciutto(プロシュット)
ドイツ語Schinken(シンケン)
▽ ソーセージ(sausage)の語源
いくつかの説に分かれている。
ラテン語のsalsus(塩漬け)説
sau(雌豚)とsage(香辛料セージ)の合成説
sauce(塩水)とage(寝かす)の合成説
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□ お題「焼いたハムと生ハムどっちが好き?」
我が家が好んで食べて来たのは伊藤ハム「厚切りロースハム」を使ったハムステーキ。尚、ソーセージは日本ハム「シャウエッセン」の"黄金の3分間ボイル"。
妻と長男はアスパラガスの生ハム巻きも好物である。
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