7/26(月)午後は、「木場公園」で盛夏の花を撮影した。


□「同愛記念病院」(墨田区横網2-1-11)

キョウチクトウが満開


 

□ 墨田区両国3付近

アンスリウム(別名ベニウチワ)


 

*


■「都立木場公園」 (江東区木場5/4~平野4~三好4にまたがる24.2haの広域公園)


ヒマワリ


カンナ


キバナコスモス



アサガオ



アメリカデイゴ(別名カイコウズ)



サルスベリ(別名ヒャクジツコウ)




□ 噴水広場
 


「木場公園大橋」(平野4~木場4)

プラタナスがもう色付き始めていた

ハゲイトウなどの花壇


*



□ 付属の「都市緑化植物園」(木場4-1-1)



オオケタデ(別名オオベニタデ)


ミソハギ(別名ボンバナ/ショウリョウバナ)


ハネミギク(別名ハチミツソウ)


ノハラナデシコ



ハナトラノオ(別名カクトラノオ)


シナガワハギ


キバナツノゴマ(別名デビルプラント/デビルズクロー/ユニコーンプランツ)


ミツバオオハンゴンソウ



トケイソウ(別名パッションフラワー)


グロリオサ(別名キツネユリ)



ハツユキソウ(別名ミネノユキ)



ケイトウ



ヒマワリ

ヒメヒマワリ




オミナエシ(別名ハイショウ)


ダリア(別名テンジクボタン)


グラジオラス(別名トウショウブ/オランダショウブ)



シコンノボタン(別名スパイダーフラワー)


ヒャクニチソウ(別名ジニア)


ヒナギク(別名デイジー/チョウメイギク)



ホオズキ(別名カガテ/ヌカヅキ)の実


マルメロ(別名セイヨウカリン/クインス)の実



アブラゼミ


抜け殻


ニイニイゼミ

   






■ 7/26(月)の夕焼け空

20210726--18:53 (日没の3分後)

 

西の空

西南西の空



◇------------------------------------------------------------------



■ 7月26日は「幽霊の日」


1825年7月26日、中村座で四世・鶴屋南北(1755~1829年)の原作、歌舞伎狂言・全5幕「東海道四谷怪談」が初演され、それを受けて記念日に制定した。


□ 日本語「幽霊」(ユウレイ、ユーレイ)

「幽霊」という言葉は、死後の世界を意味する「幽」と、魂を意味する「霊」の合成語。

仏教が伝来する以前の古神道の葬儀では、「鎮魂」(たましずめ)の儀式によって死者の霊魂を慰める「慰霊」のことを指す。
仏教が伝来した以後の葬儀では、死後も霊魂が現世を彷徨(さまよ)うことのないよう、死者が幽霊と化さないよう、来世の浄土で生まれ変わり仏に成る==「成仏」しやすいように促すことを指す。

室町時代以降、幽霊は歌謡や歌舞伎のテーマとしても扱われるようにり、怪談という形で伝承された。

江戸時代になると、怪談噺(ばなし)などが大流行。「雨月物語」「牡丹燈籠」「四谷怪談」などの名作が創られ、講談・落語、草双紙・水墨画・浮世絵などで盛んに描かれた。
1624年、猿若勘三郎(後の初代・中村勘三郎)が江戸・京橋紅葉川の中橋南地(現在の八重洲通りと中央通りの交差点付近)に「猿若座」(後に「中村座」と改称)を創設し、江戸歌舞伎を始めた。
1825年7月26日、中村座で四世・鶴屋南北(1755~1829年)の原作、歌舞伎狂言・全5幕「東海道四谷怪談」が初演された。
・・・雑司ケ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)在住の御先手鉄砲組同心の田宮又左衛門の一人娘・於岩(おいわ)。備前岡山藩の浪人から婿養子に入った性悪な夫・民谷伊右衛門に、毒殺された貞淑なる妻・於岩の復讐話。上司である与力の伊東喜兵衛の妾(めかけ)に横恋慕し、一方、喜兵衛もまた妊娠した妾を伊右衛門に押し付けたいと思い、2人は結託して邪魔になった於岩を騙(だま)し不義密通の濡れ衣を被せる。騙されたことを知って狂乱した於岩を惨殺。死体を戸板に釘で打ち付けて川に流す。だが、於岩の怨霊の祟(たた)りで、伊右衛門に関係のある者が、次から次へと死んで行く。伊右衛門は小さな寺に逃げ込み怨霊を祓(はら)おうとするが、於岩の恨みは強く不幸が続き終に御家断絶した。
尚、幽霊には足がないというイメージは、江戸時代の画家・円山応挙によって創られた。


*


□ お題「思い出に残っている恐怖体験は?」

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
 
私は、身の毛が弥立(よだ)った恐怖体験をしたのは、今になって数えてみると合計4回あった。

時系列に挙げると------
 

①小学校低学年の時

自宅に妹と二人切りで留守番をしていた時のことだった。
身体が弱かった妹がバッタリ倒れてしまった。
母が出かけて来ると言った家は、在所の離れた場所に在った。
夢中になって駆け出したが、気が動転していて足が縺(もつ)れ中々、速く走れない。
漸(ようや)く母の顔をその家の前で見つけた時、私はヘナヘナと腰砕けて崩れ、前を流れる生活用水に落ちてしまった。


②小学校高学年の時

5つ年下の幼い弟を含む近所の小中学生たち10人近くで、農家が収穫した稲を運ぶ舟で遊んでいた。
皆で舟を揺らしながら燥(はしゃ)いでいたところ、弟が見当たらない。私は叫んだ。
皆が騒ぎ始めた時に、弟がポッカリ水面に浮き上がって来た!!
最年長の中学生が救い上げてくれたのだった。
 

③新社会人の時

私は就職し、前出の弟は大学浪人で東京の予備校に通うことになり、同時に上京して来ていた。
初めてのゴールデンウィーク、それも最終日だった。
私は、横浜の会社独身寮から大学4年時に買ってもらったスバルを駆って、弟の予備校寮の在る千葉・船橋へ向かった。
父母からよく面倒を見るようにと言われていたこともあって、お互いの新世界を語り食事もし、日が暮れてしまった。
明日から会社が始まると、私は横浜への帰途を急ぎ車を飛ばしていた。
アクセルを強く踏んだ次の瞬間、京葉道路は工事中で私の車線が無くなった。
前で急停止した車に激突する瞬間、私は死!!が過(よ)ぎった。
車の前(リアエンジン車なのでトランク)部はペチャンコとなったが、強く握り締めたハンドルに私は額(ひたい)を強(したた)か打ち付けただけで、助かった。
45年経った今でも眉間(みけん)にあの時の傷跡が残っている。
 

④1980年代半ば(30年前)

埼玉に住んでいた頃の休日、家族5人で或る公園のアスレチック遊戯場に出掛けた時の出来事だった。
幼い末娘を前にロープ遊びの台へと階段を上っていた。
妻は下でカメラを構えていた。
次の瞬間、ロープが娘の脚を巻き取って行ってしまった。
気付いた私はロープを掴(つか)んだが物凄い勢いで止まるものではない。
娘の頭が!!
地面に叩き付けられずに逆さま吊りに浮いたまま、向こうの台の前でロープの動きは止まったのであった。