7月21日は「神前結婚記念日」


□ 神前結婚式の由来


1900年の5月10日、明治天皇の皇太子 [明宮嘉仁(はるのみや・よしひと)親王⇒後の大正天皇] と九條公爵家の節子さま(後の貞明皇后)の神前結婚式が初めて宮中で行われた。

国民の間ではそれまでの結婚式は家庭で行うのが一般的だったが、それを真似たいという気運が国民の間に高まり------

2カ月後の7月21日、現在の 「東京大神宮」(千代田区富士見2-4-1) [←飯田橋大神宮←神宮奉斎会本院←大神宮祠(通称・日比谷大神宮)←皇大神宮遙拝殿] が、世に広めるために模擬神前結婚式などのPR活動を行った。その原型は東京大神宮マツヤサロンへと受け継がれている。


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□ お題「結婚式、参列したことある?」
 

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結婚式は、神前式/仏前式/キリスト教式とも参列した経験があったが、神前式が圧倒的に多かった。

我が家は、我々夫婦も娘たちも神前結婚式を挙げている。

私の少年時代には、結婚式は各家庭のご先祖様の大きな仏壇の前で挙げるのが普通だったし、親類縁者・隣近所の参列者だけでなく、集落の誰彼となく庭先からその様子を覗くことができた。そして、集落の中でお嫁に行く家庭があるならば、その花嫁道具を予めお披露目する風習まであった。

私の亡き母は助産婦(師)で、かつ持ち前の社交性もあって、数多くの仲人を頼まれていたものだった。そして、それらの人々が野菜を収穫したから、子どもたちのお祝い事があったからと、その都度、お裾(すそ)分けに訪れたりで恩人扱いだった。

そういう私も若い頃は、大学や会社の友人たちから、結婚式の司会を頼まれたものだった。合計5回。でも、母の仲人の姿を見て来ていることがあって、その大変さから、仲人の方は引き受けたことがない。


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■ 昨日7/20(火)の午前中は歯科診療の後、近場の散策を行った。


□「浅草国際通り」(愛称「ビートストリート」)

東側の町:三ノ輪/千束~浅草/雷門~寿/蔵前。
西側の町:竜泉/千束~西浅草~寿/蔵前。


サルスベリ並木

淡紅、背景は「ホテル京阪浅草」(台東区浅草2-12-4)


紅/白、背景は「浅草ROXビル」(浅草1-25-15)



カノコユリ



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□ 浅草5丁目/6丁目

ムクゲ/八重咲き



ヒマワリ
 




アサガオ

曜白


丸葉

イポメア?



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澄んだ筋雲に覆われた南の空
20210720--15:54



実況気象衛星画像
20210720--17:00



未だ明るい南東の夕空
月齢10.1 「十日夜(とうかんや)の月」
20210720--17:26 (月の出からジャスト2時間後)
 








今日7/21(水)


□ 朝も筋雲が爽やかな南の空
20210721--08:24


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午前中は、横網町公園へセミを撮影しようと向かった。


□「清澄通り」

白いムクゲ並木



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■「都立横網町公園」(墨田区横網2-3) 


□「東京都慰霊堂」

1930年、公園内に、「関東大震災」による遭難死者の「納骨堂」(三重塔)が完成し、
1931年、公園内に、「関東大震災」(1923年9月1日)の惨劇と復興を後世に伝えるため「東京都復興記念館」が完成した。
1945年3月10日の「東京大空襲」で、当公園だけでなく多くの公園に犠牲者が仮埋葬されていたため、当公園の「納骨堂」を拡張して合祀。
1951年、「東京都慰霊堂」と改称された。
2001年、「東京大空襲」犠牲者を追悼し平和を祈るため新たに「平和祈念碑」が完成した。
毎年、「関東大震災」の9月1日と「東京大空襲」の3月10日に法要が営まれている。



ムクドリ
 

ミンミンゼミ(1)
 
   
 
 
ミンミンゼミ(2)
 
    
 


抜け殻


 
□「日本庭園」

池とミソハギ
 

シオカラトンボ



キキョウ、オミナエシ