■ 4月19日は「地図の日」

1800年4月19日、伊能忠敬が蝦夷地(今の北海道)の測量に出発したことに因んだ。
それは我が国初の正確な領土地図を作成するばかりでなく、子午線1°の長さを求め、地球の大きさを測る目的があった。
つまり伊能忠敬にとっては「最初の一歩の日」であった。


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□ 江戸幕府天文方の所縁(ゆかり)の場所


▽「浄土宗五台山文殊院 源空寺」(台東区東上野6-18-12)には、次の天文学者の墓が在る。

 ① 伊能忠敬の師だった江戸幕府天文方で「寛政暦」への改暦作業を行った高橋至時(1764/12/22~1804/2/15) の墓(国の史跡)。

    「源空寺」 20190107撮影
  
 

 

 ② 日本全土を実測し「大日本沿海輿地全図」を作製した伊能忠敬(1745/2/11~1818/5/17) の墓(国の史跡)。

  「源空寺」 20190107撮影

    

 ③ 伊能忠敬の没後に「大日本沿海輿地全図」を完成させた高橋至時の子・高橋景保(1785~1829/3/20) の墓。

 出典: 烏鷺光一の「囲碁と歴史」
  「源空寺」

 
  

▽「臨済宗大徳寺派万松山 東海寺  大山墓地」(品川区北品川3-11-9) には、江戸幕府天文方で日本独自の暦法を完成し「貞享暦」(別名「大和暦」) への改暦作業を行った渋川春海(1639/12/27~1715/11/1)の墓が在る。

 東海寺世尊殿 20160218撮影
 


▽「江戸幕府天文台」[別名「司天台(してんだい)、「浅草天文台」] 跡の碑 (台東区浅草橋3-20-12)。

「幕府天文台 頒暦所御用屋敷」は、1782年に武蔵國豊島郡野方領牛込村藁店(わらだな、現・新宿区袋町) から、浅草橋三丁目二十一~二十四番地~他の広域へと移転した。

浅草天文台跡パネル 「測量の日」20190603撮影

 

▽「伊能忠敬銅像」(江東区富岡1-20-3「富岡八幡宮 大鳥居」傍)

日本全土実測に旅立つ前は、深川黒江町 (現・江東区門前仲町1-18)に隠宅を構えていた。

出典: tokyokoto.blog.shinobi.jp

 




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□ お題「最近、地図で調べた場所は?」

 

 

 

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既に当欄に投稿しましたが、義父命日(十七回忌)の4月6日に、「コロナ禍」の現状では墓参りに行けないので、義父母が眠る「石川県金沢市」の方角を拝んだ後で思い立って、我々が現在住む「浅草」との直線コース地点とは何処になるのだろうか? とMapionの地図でチェックしてみたところ、次のような場所であると判明しました。 

 

我々が現在住む「東京都台東区浅草」との距離は、西北西のほぼ300km。 

 

300km 「石川県金沢市卯辰山公園」(北緯36°34′/ 東経136°40′) 

 

200km 「長野県松本市上高地」      (北緯36°17′/ 東経137°41′) 

 

100km 「群馬県上野村御巣鷹山」  (北緯36°00′/ 東経138°41′) 

 

   0km 「東京都台東区浅草」          (北緯35°42′/ 東経139°47′) 

 

 

 

 

□ 今日は改めて次の場所を調べてみました。 

 

 

▽ 我々が現在住む「東京都台東区浅草」 (北緯35°42′/ 東経139°47′) の地球の反対側地点 (対蹠点) とは? 

 

北緯 35°42′の反対側とは、南緯 35°42′ 

 

東経139°47′の反対側とは、西経 (180°00′- 139°47′) = 西経 40°13′ 

 

南緯 35°42′/ 西経 40°13′の座標地点とは、「ウルグアイ国首都モンテビデオ市」(南緯34°53′/ 西経56°10′)の大西洋(アルゼンチン海盆)上になります。 

 

従って世界各国の首都の中で、東京から最も遠い(18,600km)首都がウルグアイ国モンテビデオなのです。