■ 9月26日は「ワープロ記念日」

私が社会人になった当時(1971年)の文書作成は---、
複写は、カーボン紙を挟むか、湿式(青焼き)コピア。
送信は、郵送するか、TELETYPE社などのTELEXで打電する。

1970~80年代には技術革新が進み---、
複写は、乾式コピア(PPC)。
送信は、G3FAX。

1978年9月26日、日本語(カナ漢字変換)のワープロ(東芝JW-10)が登場し、我が国オフィスにおける文書作成が一新した。
保存は、フロッピーディスク(FDD)に保存し何度でも校正できる。
印刷は、ドットプリンターで複雑な漢字もできる。

1980~90年代には、美しい日本語がクリアな文書で作成することができ、我々はワープロの虜(とりこ)になった。
送信は、FAXによる送信から、1986年にはそのままワープロから送信できるパソコン通信機能が搭載された。

ところがWindows98日本語版(WORD/EXCEL) がリリースされた1999年以降---、
アッと言う間に、文書作成の主力がワープロ専用機からパソコン汎用機へとシフトした。


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□ お題「ワープロ、使ったことある?」

 

 

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▽▽ 私のワープロ利用の歴史


ワープロに魅せられていた私は、ブログの中で数多くのエピソードや利用記事を書いて来た。


▽  三種の神器(じんぎ)あれこれ(2009-03-07)
 
1970年代後半の「OA・三種の神器」・・・「電話」「ファクシミリ」「コンピュータ」、または「オフコン」「ファクシミリ」「コピア(複写機)orワープロ」。

1980年代後半の「ニューメディア・三種の神器」・・・「パソコン通信(PC-VAN)」「キャプテン(Videotex)」「CATV」、または、「音声(Voice)情報」「画像(Image)情報」「データ(Data)情報」。


▽   漢字の読み書き能力(リテラシー)(2012-02-28)

ワープロ~パソコン~携帯電話へと情報機器が変遷して行くに連れ、キーボード上でカナ・漢字変換をすることに慣れてしまい、簡単な漢字が思い出せなくなっていると指摘していた。

1978年10月の「データショー」で日本語ワープロが世に出された時から、「リテラシー」(漢字の読み・書き能力)」の革新の一方で、能力低下を心配する声が多く出されて久しい。

果してそうだろうか? 読み方を覚えなければ、情報機器のキーボード上で入力することができない。書き方を覚えなければ、情報機器の画面上に表われた正しい漢字を選ぶことができない。

情報機器の所為(せい)ではなく、小学校の教育現場の問題ではなかろうか? 小学生のリテラシー教育の時間を十分に割(さ)いているかどうかではないだろうか? 「ゆとり教育」の陰で、放課後の私塾に身を委(ゆだ)ねていないだろうか? 

漢字を書き順を教わりながら繰り返し筆記する。習字(ペン字・書道)のコンテストを実施する。漢字の書き取りテストを毎朝、授業の前に実施する。絵日記、作文を繰り返し繰り返し行う。そんな国語の基礎教育---底上げ(最低線の引き上げ)---が、疎(おろそ)かになっていることが原因ではないだろうか? 

そんなところへ、小学生にパソコン教育を早々と導入することは、一層、危険である。情報機器は、飽(あ)くまでも、「辞書」を引く時間と「文書編集」する時間とを短縮する利器である。


▽ あなたがブログをはじめたきっかけを教えて!(2018-09-05)

私がブログを始めたのは---2006年秋。今から丁度12年前。

サラリーマン現役時代の1987年頃、マイワープロを買ったことを切っ掛けに休日の深夜を利用して、俳句を作ったり、「私の履歴書」的に思い出を綴ったり、映画・テレビドラマ・小説などをメモったり。コツコツと著作(笑)を貯めて来た。

でも5,6年後には、ワープロ文書に取って代わってパソコンや携帯iモードのインターネット時代が到来して、著作の機会が減っていた。

2001年の第一回定年退職扱い・再就職を経て、そろそろリタイアして人生の黄昏(終活)をどのように設計しようかと考え始めるようになった。

2005年頃、電子掲示板への投稿を契機として、ブログの存在を意識するようになり興味を持って開始した。そしてその後は、過去のワープロ文書を移植(マイグレート)する一方、元々が文章を書くことが好きなことから次第に---ブログへとハマるようになった。


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「秋雨(あきさめ)」を季語とした有名な俳句


日本列島に「秋雨前線」が停滞しており雨天の日が続いている。

 



日本における秋雨は、8月後半頃~10月頃に(地域によって時期に差がある)降る長雨のこと。

「秋雨(あきさめ)」「秋の雨(あきのあめ)」「秋の長雨(あきのながあめ)」「秋の村雨(あきのむらさめ)」「秋黴雨(あきついり)」「秋霖(しゅうりん)」「薄梅雨(すすきづゆ)」などとも言う。


□ そこで、それらを季語とした有名人の俳句を集めてみた。


「月早し 梢は雨を 持ちながら」松尾芭蕉(1644~94)「鹿島紀行」1687
「鼬(イタチ)啼いて 離宮に暮るる 秋の雨」与謝蕪村(1716~84)「夜半叟(そう)句集」1776
「秋雨や 水底の草を 踏みわたる」与謝蕪村
「秋雨や 旅に行きあふ 芝居もの」黒柳召波(1727~72)「春泥発句集」1766頃・・・蕪村の門人、去来の作風。
「秋の雨 胡弓の糸に 泣く夜かな」加藤((旧姓・久村)暁台(ぎょうたい、1732~92)「暁台句集」1764~72
「馬の子の 故郷はなるる 秋の雨」小林一茶(1763~1828)「享和句帖」1803

「石山の 石洗ひけり 秋の雨」藤野古白(こはく、1871~95)「古白遺稿」1891~94・・・子規の俳句観から離反。
「紫陽花や 青にきまりし 秋の雨」正岡子規(1867~1902)「寒山落木 巻三」1894
「待てば来ず 雨の夜寒の 薄蒲団」正岡子規「子規句集」・・・蕪村を再発見した子規の秀句2306句を虚子が選んだ。
「秋もはや 日和しぐるる 飯時分」正岡子規「子規句集」・・・同上。
「秋雨や 蕎麦をゆでたる 湯の匂」夏目漱石(1867~1916)「漱石俳句集」1899

「秋雨や 俵編む日の 藁一駄」河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう、1873~1937)「碧梧桐句集」1906~11・・・虚子とともに子規の高弟。
「秋時雨 神にぬかづく 時に降る」高浜虚子(1874~1959)子規の高弟。
「盗んだる 案山子(かがし)の笠に 雨急なり」高浜虚子1896
「秋雨や 夕餉(ゆうげ)の箸の 手くらがり」永井荷風(1879~1959)「麻布襍記 附・自選荷風百句」1938
「秋雨や 田上のすすき 二穂三穂」飯田蛇笏(だこつ、1885~1962)「霊芝」1933・・・虚子に師事。
「たたずみて 秋雨しげき 花屋跡」飯田蛇笏「椿花集」
「と見る間に 秋雨の庭 暮れて無し」松本たかし(1906~56)「石魂」1953・・・虚子に師事。
「長雨の ふるだけ降るや あかのまま」中村汀女(1900~88)・・・虚子に師事。

「月の雨 ふるだけふると 降りにけり」久保田万太郎(1889~1963)
「中一日 ふりこめられし 紅葉かな」久保田万太郎
「萩にふり 芒(すすき)にそそぐ 雨とこそ」久保田万太郎
「秋しぐれ 塀をぬらして やみにけり」久保田万太郎
「雨霧の 蓑しろがねに 岩魚釣」水原秋桜子(1892~1981)「玄魚」上高地明神池1955
「三日降れば 世を距(へだ)つなり 秋の雨」水原秋桜子
「電球の ほのかにぬくし 秋の雨」長谷川櫂(かい、1954~)「天球」1992


□ 番外として---、

「秋霖の ビル窓に幽か 鳩の影」doranyanko(私)20061009


「朧げに 秋雨止んで 彼岸花」doranyanko(私)20061009

 

ヒガンバナ 秋雨の木場公園20200922