遅かった北国の降雪も酣(たけなわ)の2月中旬。
一方の都区内は北西の冷たい季節風が続いている。
昨日2/11(火・祝)の午前中は、改めて近場の上野方面で "早春のKIZASHI" を探した。
サイクリング&ウォーキング2,600歩と僅か。
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□「浄土宗白龍山化用院 光感寺」(台東区松が谷2-20-3)
1605年、神田明神下に創建。1657年、「明暦の大火」で焼失し当地へ移転。
カンザクラ
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JR線架橋の「両大師橋」(台東区上野7-15) の上り坂を手押しで渡って---
■「東叡山全景」マップ
「寛永寺」の正式名称は「天台宗関東総本山/東叡山/寛永寺/円頓院」。
2代・秀忠の隠居後、1625年(寛永2年)、3代・家光の時に現在の「東京国立博物館」敷地(上野公園13-9) に「本坊」を創建。当初は江戸城の鬼門の方角に鎮護祈願寺として、後に徳川将軍家の菩提寺として。1698年、現在の「上野公園 竹の台噴水」(噴水池テラス、上野公園8) の地に創建。1868年、「戊辰戦争 上野戦争」(彰義隊戦争)で焼失。1879年、「川越喜多院 本地堂」を移築し再建。
□「寛永寺 根本中堂」(上野桜木1-14-11)
青軸枝垂れ
□「寛永寺 第三霊園」(台東区上野桜木1-16)
「常憲院(5代・綱吉)霊廟 勅額門」(重文、5代・綱吉が亡くなった1709年に建立)
案内板
□「区立忍岡中学校」(上野公園18-20)
校舎前の紅白梅
□「寛永寺 開山堂」(通称「両大師」、上野公園14-5)
1644年、前年に亡くなった「寛永寺」の開山・慈眼大師天海大僧正(1536~1643年)を祀る「開山堂」として創建。後に「寛永寺本坊」内の「慈恵堂」から慈恵大師良源大僧正(912~985年)像を移し、慈恵・慈眼の両大師を祀ったため「両大師」と呼ばれるようになった。東京で唯一の"門跡寺院 厄除け大師"。
□「輪王殿」(台東区上野公園14-5)
旧「寛永寺 本坊表門」(重文)の内側の白梅
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■「東京国立博物館」(上野公園13-9)
旧「池田家上屋敷 表門」(通称「黒門」)
白梅が覗く
ベニバナアセビ
■「上野恩賜公園 竹の台噴水広場」(通称「大噴水」、上野公園5)
□「スターバックスコーヒー上野公園店」(上野公園8-22)横の
カンザクラ
□「小松宮彰仁親王銅像」(上野公園8)前の
名物コマツオトメ(エドヒガン系)
説明板
■「上野東照宮」(別名「三処権現」、重文。上野公園9-88)
「ぼたん苑」案内板
旧「寛永寺 五重塔」
カンザクラ
■ 「旧・上野大仏 大仏パゴダ(祈願塔)」(上野公園4-8)
案内板
周辺の花壇に「新潟県五泉市の雪割草」が5,6株開花していた。これから更に・・・。
ソメイヨシノはまだまだツボミだが、
カンザクラの1本だけはほぼ満開。
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■ 「五條天神社」 (別名「下谷天満宮」、上野公園4-17)
伝・景行天皇朝110年に創建。学問と医薬の祖神。
室町中期(1486年頃)に上野山に鎮座 ⇒ 1641年に「天神様」を合祀し「下谷天満宮」と呼ばれ「歌の道の祖神」として信仰 ⇒ 天神山上(現・上野公園内摺鉢山上) ⇒ 寛永寺黒門(旧本坊表門)脇 ⇒ 1697年に瀬川屋敷(現・アメヤ横丁)へ遷座 ⇒ 1928年に創祀の地に近い現在地に遷座。
公園側の鳥居、社務所
緑萼・淡紅梅・白梅の各枝垂れ
フクジュソウ
右奥に本殿
■ 「花園稲荷神社」
「五條天神社」よりも前 (室町中期以前) に鎮座 ⇒ 1654年に再興 ⇒ 幕末上野戦争の舞台のひとつ ⇒ 1873年に花園稲荷神社と改名し社殿など整備。
淡紅梅
コブシのツボミ
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月齢17.2 (正中は1:15) の月は、
やや東寄り天空で鈍い光を放っていた。
20200211--22:30