NHKBSプレミアムで「空旅中国」シリーズの再放送を観ている。



(1)「空旅中国 万里の長城

初放送: 2019年04月06日(土)19時30分~21時00分
再放送: 2019年12月23日(月)09時00分~10時30分

語り: 近藤正臣、小谷直子(声優・ナレーター)


中国初の長城なる壁から旅を始め、高精細4K画質のドローンで風の如く砂漠から海まで飛ぶ。

大自然の絶景と偉人の足跡を空から辿る新感覚紀行。



秦の始皇帝 (中国最初の古代統一帝国・秦の初代皇帝、紀元前2世紀) が築いた「万里の長城」(「司馬台長城」)。

一部はもっと古くから存在し、合体して「万里、4000キロ」にしたのが始皇帝だ。

 

※1 秦の始皇帝

 

時代  主な皇帝

 

夏   禹~桀
殷   天乙~帝辛
周   武王~赧王
秦   孝王~始皇帝
漢   太祖高帝(劉邦)~太宗文帝~世宗武帝~世祖光武帝~献帝
隋   文帝~煬帝
唐   高祖~太宗~高宗~玄宗     
宋   太祖~仁宗
元   成吉思汗(チンギス・カン)~世祖(クビライ・ハーン)~順帝
明   洪武帝(朱元璋)~永楽帝~洪熙帝 
清   順治帝~康熙帝~乾隆帝~宣統帝

 

 


観光写真で見る姿は明代のもの。

そもそもの姿は?いつ、どこで、なぜ築かれたか?築いた目的は?

王の知恵、遊牧民の命運、女性の悲話!

長城が物語る歴代王朝の「真の敵」とは?

「人々の心が城を築く」という皇帝の言葉とは?

水を跨(また)ぐ秀麗な長城は圧巻! 長城の麓に広がる滞在型リゾート「古北水鎮」(ほこくすいちん)。

出典 tripadvisor「古北水鎮」

 


「万里の長城」を造る者!攻める者!チンギスハンは「万里の長城」に突撃!







(2)「空旅中国 英雄たち8つの峠


初放送: 2019年05月22日(水)22時00分~23時00分 
再放送: 2019年12月24日(火)09時00分~10時00分

語り: 近藤正臣、小谷直子


8つの峠は、北京と古都・長安(西安)に挟まれた太行(たいこう)山脈にある。山西・河南・河北の三つの省の境。

中国の歴史を刻む地をドローンで風の如く飛び、大自然の絶景と偉人の足跡を辿る新感覚紀行。

中国の英雄伝説が残る。



一番南の峠を登ると、神話の帝が天と話す峠に至る。

王屋山 [おうおくざん。太行山(たいこうざん)南麓の「河南省王屋山世界地質公園」] の山頂は不思議なカタチ、断崖で切り取られた四角形。

神話の時代の黄帝 [こうてい、紀元前25世紀。「三皇五帝」燧人(すいじん)/伏羲(ふくぎ)/神農(しんのう)/黄帝(こうてい)/顓頊(せんぎょく)/帝嚳(ていこく)/唐堯(とうぎょう)/虞舜(ぐしゅん)の4番目の帝。異説あり] はここで天から中国統一の知恵を授かったらしい。

王屋山





孔子は断崖の上に理想の国を見つける。賢者を探し登った峠の上に畑に囲まれた村が!柔らかな土ゆえ断崖ができ、畑もできる。

 

思わぬ出会いがあり、孔子は引き返すことに・・・。あの孔子が童(わらべ)に出会い、その子を師と仰ぐ峠。

空中を歩く如き絶壁の道。

 

 

※2  春秋・戦国時代 (紀元前770~紀元前221年) の思想グループ 「諸子百家」


孔子/孟子「儒家」
老子/荘子「道家」
商鞅/韓非「法家」
墨子「墨家」
公孫竜/恵施「名家」
鄒衍/公孫発「陰陽家」
蘇秦/張儀「縦横家」






山西省高平市谷口村の豆腐料理に刻まれた歴史の記憶にも注目。

いわゆる 「長平の戦い」

秦の将兵は古代ヘブライ・アレキサンダー大王の将兵子孫らしく、白起将軍も色白。白い豆腐に見立てて火炙りの刑・棍棒で擂(す)り潰し、豆腐火炙り(焼き豆腐)料理「白起肉」を作っている。それ程、趙の首府・邯鄲(かんたん、現在の河北省南部)では、住民が今でも秦将兵の非道を言い伝えている。

 



※2-1
紀元前260年の「長平の戦い」。
趙の民衆が一致団結した上、戦国四君の一人で宰相・平原君により魏の信陵君、楚の春申君らの援軍を呼び寄せ、撃退した。
秦の将軍・白起(公孫起)は囮の部隊で退却すると見せかけて趙軍を誘い出し、主力部隊で迎え撃つ間に予め伏せておいた2万5千の兵で趙軍の退路を遮断する作戦をとった。
趙軍の主力が秦軍を深追いしたために指揮系統が寸断され大混乱に陥った。秦軍の猛反撃により長平城まで退却したが、秦軍が首府・邯鄲に迫った。
完全に包囲された趙軍は46日間も兵糧が届かず、飢えた兵士たちは互いに殺し合ってその肉を食らい、民衆は子供を食らって飢えを凌ぐ有様であった。
焦った趙括は僅かに残った健常な手勢を率いて秦軍へ突撃を敢行したが、全身に矢を射られあえなく戦死する。
大勝利した秦軍だったが国内の総力をほぼ費やしたため、膨大な捕虜を養うだけの兵糧もなく、秦に連行するだけの余裕もなかった。
趙兵達をこのまま趙に帰せば、秦に恨みを抱いた彼等が将来の禍根となるのではないかと白起は恐れ、趙の将兵40万人全てを生き埋めにした。
悲劇の古戦場には捕虜40万を埋めた窪(くぼ)みがあり、実際に1995年の発掘調査では大量の人骨が出土している。
宰相・范雎が、白起の活躍は自らの地位を脅かすものであるとして警戒し、さらに趙の邯鄲に攻め込もうとする白起を押しとどめ、わずかな条件で趙と和議を結んでしまい、白起の艱難辛苦の戦果は水泡に帰した。







(3)「空旅中国 玄奘の冒険

初放送: 2019年06月12日(水)21時00分~22時00分 
再放送: 2019年12月25日(水)09時00分~10時00分

語り: 近藤正臣、小谷直子


中国の歴史を刻む地をドローンで風の如く自在に飛び、大自然の絶景と偉人の足跡を辿る新感覚紀行。


太古から、西をめざす旅人が目にした、100mの奇岩が林立する黄河沿いの「炳霊石林」(へいれいせきりん)。1億4千万年以上の時が作り出した。

 

※3 炳霊石林
甘粛省永靖県の黄河上流北岸・小積石山にある紅砂岩の仏教石窟・洞窟・壁龕(へきがん、壁の凹み)が183に上る。 1952年に発見された。
西秦~北魏~唐~明の各時代に造られ、内部には多くの石仏や,若干の壁画が遺存する。
上寺と下寺に分かれ、上寺には2つの石窟、下寺には洞窟36カ所・壁龕88カ所が残っている。
中でも第169号窟は西秦(420年)の墨書銘がある高さ5mほどの自然窟で、中国最古の石窟。石仏・塑像・説法図・飛天などの壁画。




最果て黄土高原の急斜面に棚田がびっしり。古代以来、歴代王朝が原生林を開墾し続けた。長い長い国境線を守る兵力を養う食糧基地という位置づけもある。

 



西域に世界最古で最大の軍馬場がある。西域の馬は漢の武帝によって天馬と呼ばれ、優秀な能力を持つ馬と信じられていた。

おなじみ玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、三蔵法師) も西域で馬を新たに入手。


中国で西域と呼ばれる最果ての地を西へ西へ旅する若者・玄奘。乱世に仏の教え・仏典を求めインドへ向かう。

こうした異世界の風景も、玄奘三蔵の旅を「西遊記」のようなファンタジーに仕立てたのだ。
だが当時は国外旅行禁止。指名手配されたため闇夜に秘かに動くのだ。



※3-1 西遊記
明代に成立した長編白話小説で四大奇書の一つ。唐代初期を舞台とし、実在の僧侶玄奘が仏典を求めるため国禁を犯して16年の歳月をかけてインドとの間を往復した史実を踏まえている。各地に伝わった三蔵伝説や猿にまつわる逸話などを吸収し、南宋代の講談や元代の雑劇で発展した。14世紀の元代末期に大枠が成立した後、16世紀の明代中期に長篇小説として完成する。

 





ルートは、古代中国に思いを馳せるロマンの道シルクロード。幾多の人が往来し、異国文化や宗教をもたらした。

出発点は、西域を目指す者が必ず渡らなければならない黄河が流れる街・蘭州。蘭州ラーメンも登場!

人々の祈りが込められた石窟寺院や、長い歳月が生んだ雄大な自然の造形、古の抗争を今に伝える万里の長城など、中国ならではの絶景を眺めながら旅は続く。


漢の武帝、鳩摩羅什(くまらじゅう)など、時代を超えてこの地で活躍した偉人や英雄の物語に耳を傾けながら、

「河西回廊」(かせいかいろう、「甘粛走廊」)を空から眺める。

孫悟空・猪八戒・沙悟浄と旅をする「西遊記」のモデルとなった、波乱万丈の”玄奘の冒険”を辿る。

※3-2


鳩摩羅什・・・大乗仏教を象徴する経典「法華経」(「妙法蓮華経」)をはじめ多く(約300巻)の仏典を漢訳した、4~5世紀初頭に活躍した西域出身の僧侶。
 

河西回廊 (甘粛走廊)・・・シルクロードの東端(蘭州~敦煌)、つまり甘粛省・黄河西~南の祁連(きれん)山脈~北の砂漠地帯に挟まれた細長い平地。








(4)「空旅中国 空海のまわり道

初放送: 2019年06月26日(水)21時00分~22時00分
再放送: 2019年12月26日(木)09時00分~10時00分
 
語り: 桐谷健太、小谷直子


中国の歴史の地をドローンで風の如く飛び、大自然の絶景と偉人の足跡を辿る新感覚紀行。



空海が乗った遣唐使船が杭州へ向かっていたが、嵐に流されて難破した。

空海は予定より遥か南の福建の赤岸村の浅瀬・赤岸鎮に漂着した。

 



福州の開元寺に約2カ月間滞在し、ようやく唐の都から正式に遣唐使であることを認められた。

空海が中国・福建で目撃し感じたものは何?

※4
赤岸村・・・今の福建省霞浦県福寧湾の内湾奥にある村。赤(紅)とは南のこと。赤岸渓(今の羅漢渓)という河が流れ込む天然の漁港。遣唐使船は揚子江の河口や明州の杭州などをめざし、そこから「京杭大運河」を遡上して揚州をめざしていた。後に倭寇がよく出没し福建人との間で密貿易を盛んに行った所。
開元寺・・・唐・玄宗の勅命により開元26年 (738年)、全国各州に設置された官寺の一つで、泉州福建省のもの。日本の国分寺もこの官寺の制に倣(なら)った。




漢民族の中国と異なる世界が広がる。

神聖な蛇を信仰する人々、舟を引き歩くしかない急流、風水で作られた町。

峠の町には、異なる言語を話す人々が共に暮らす。

寺の僧が壁を跳び越え食べるスープ「佛跳牆」(ぶっちょうしょう)とは?

驚く絶景も見逃すな!

※4-1 佛跳牆
乾物を主体とする様々な高級食材を数日かけて調理する福建料理の伝統的な高級スープ。名前の由来は「あまりの美味しそうな香りに修行僧ですらお寺の塀を飛び越えて来る」という意。主な材料は次の食材から選ばれる。干しアワビ、干し貝柱、フカヒレ、魚の白子、干し海老、スルメ、金華火腿などの中華ハム、干しナマコ、干しシイタケ、豚の筋、豚ヒレ肉、鶏胸肉、アヒル肉、朝鮮人参、干し竜眼、枸杞子、紹興酒、オイスターソースなど。







(5)「空旅中国 孔明が挑んだ蜀の道

初放送: 2019年08月14日(水)21時00分~22時00分 
再放送: 2019年12月27日(金)09時00分~10時00分

語り: さだまさし、小谷直子


中国の歴史舞台を風の如くドローンで飛び、偉人たちの足跡を辿る。大自然の絶景溢れる新感覚の歴史紀行だ。


武将たちの攻防と生き様を描き、人気を博して来た中国・三国時代(220~280年)の歴史大作「三国志」



今回は天才軍師として名高い諸葛亮 (諸葛孔明) が、宿敵・魏を倒すため進んだ「蜀の道」を行く。

そこは四川省の成都から、大巴山脈・秦嶺山脈を越える約1000kmの道。

大絶壁あり、谷に架けられた桟道あり、世界遺産の石窟あり。




蜀の都、成都から漢中へ向かう道は「金牛道」と呼ばれる。

山の中を進む道のりに孔明の工夫があるという。

山道で馬が足を滑らせて骨折しないように、石畳へ切り込みを入れたり。崖から人馬が落ちないよう石積みのガードレールを造ったり。

兵士たちが寒さや暑さを凌げるように、沿道へ柏を植えたり…。



「金牛道」から漢中へ抜けるには、「大巴山脈」という険しい山を越えなければならない。

通常のルートで山越えをするのは難儀だが、山脈には大剣山と小剣山の間に渓谷があり、劉備ら蜀軍はこの渓谷を通って漢中へ進み曹操軍と戦った。

孔明も劉備の生前に漢中へ向かうにはこの谷を通り、北伐出征の際も当然ながらここを通って漢中・定軍山へ行き駐屯している。

両側を断崖絶壁に囲まれた狭い峡谷は天然の要塞だ。孔明はここに「剣門関」という関所を置いて蜀を防衛した。

蜀の要塞であり、北伐出征の象徴ともなる道だった。

 

 

※5

 

魏の曹操(そうそう、155~220年)
後漢の丞相。「黄巾の乱」で頭角を現し三国時代の魏の基礎を作った。「赤壁の戦い」で敗れ、魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備と天下を三分した。

 

蜀の劉備(りゅうび、161~223年)
諸葛亮を「三顧の礼」で迎えた。孫権と同盟し「赤壁の戦い」で曹操を打ち破った。後漢が滅びると成都に蜀漢を建国した。
諸葛亮(しょかつりょう、諸葛孔明。181~234年)
三国時代の蜀の丞相。「晴耕雨読」の生活を送っていたが、劉備の知遇に感じて仕え、「天下三分の計」を立て劉備を助けた。

 

呉の孫権(そんけん、182~252年)
巧みな政治的外交的手腕を振い、劉備と連合して「赤壁の戦い」に勝利し曹操の南下を食止め、江南を支配した。呉王となり黄武と称したが未だ魏の封策を受けていたが、遂に初代皇帝となって国家独立した。