NHK-G「土曜ドラマ 浮世の画家」
■ 放送日
NHK-BS8K 3/24(日)21:00~22:30
NHK-G 3/30(土)21:00~22:30
■ 概要
2017年度ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの出世作「浮世の画家」をスーパーハイビジョン(8K)で映像化。
舞台は終戦後の日本。焼け跡から徐々に復興の姿を見せて行く街の中、一人の老画家の人生を通し、人の心の弱さから生まれる「悲劇」、そして思い違いから生まれる「喜劇」。
繊細で緻密な独特の世界観を、8K映像で丁寧に描き出した。
■ 注目点と感想
☆ 画家・小野益次は、フランス「エコール・ド・パリ」(ボヘミアン的なパリ派) のうち、芸術至上主義的で退廃的な「デカダンス」の影響を受けた藤田嗣治を彷彿とさせ、彼は浮世の白美人画家から、戦時下の日本に一時帰国して小磯良平らとともに何と!!国威発揚・戦意高揚の画家へと変身したが、戦後にはフランスへと帰化しキリスト教に帰依した。「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いたのになぜ非難されなければならないか」という嘆き方をしたそうだ。
☆ 昭和の戦後以降に生まれた世代の私自身でも、小学生~シルバー時代における様々な悔い、その間の青春の別れと心の傷、反戦学生から大企業戦士への転身、等々が終活の日々の中で時折り寄せる波のよう蘇えって来る。
もしも戦争で一兵卒としてから~A級戦犯としてまで殺戮に従事したならば・・・、もしも過失で他人を死に至らしめたり~故意に他人を殺害したりしたならば・・・、毎晩のように悪夢に苛(さいな)まれるのであろう。人には強弱や濃淡こそあれ、それぞれの"闇"がある。
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■ スタッフ
□ 原作: カズオ・イシグロ (経歴は脚注※)
の長編第2作「浮世の画家」
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「浮世の画家」新版・・・カズオイシグロ・著、飛田茂雄・訳。ハヤカワepi文庫2019年1月
□ 脚本: 藤本有紀
自分が「過去の記憶」という細胞で構成されているとしたら、そのうちどれ位が真実で、どれ位が偽りだろうか。全てが有りのままの真実だとすれば、「自分」はまともに機能しなくなるかもしれない。過去の記憶と向き合い、虚実の狭間(はざま)で悶え苦しむ主人公・小野を渡辺謙さんに演じて頂くことは、当初から私たちスタッフの念願だった。底知れぬ違和感がじわじわと迫って来るカズオ・イシグロの世界。そこに佇(たたず)む謙さんの、尊大で、悲哀に満ちて、滑稽で、堪らなく愛おしい姿。
□ 演出: 渡辺一貴(NHKエンタープライズ)
カズオ・イシグロさんが一貫して取り組んで来たテーマの一つに「記憶」がある。この「浮世の画家」も「記憶」を巡る物語。人は皆、思い出したくない失敗や秘密にしたい過去を持っている。そして自尊心を保つためには、それらを正当化しないと生きていけない。誰かに責任を押し付けたり、時には都合よく記憶を改竄(かいざん)したり、記憶そのものを忘れてしまったり…。主人公・小野益次が、内面の苦悩を覆い隠し、自己正当化を繰り返して取り繕う姿は、傍から見ると悲しく、哀れで、滑稽でさえある。しかしそれは現代に生きる私たち全てに当て嵌(はま)る姿なのではないか。自己弁護や責任転嫁を繰り返しながら必死に生きる「人間の弱さ、そして愛しさ」がこの物語には凝縮されている。
□ 制作統括: 内藤愼介(NHKエンタープライズ)、海辺潔(NHK)
「幼くして日本を離れ、自らの『記憶』の中の日本を永遠に残しておきたい」「小説の舞台は日本になっていますが、私は現実の日本をほとんど知らない、あいまいな『記憶』と想像上の日本です」 ――カズオ・イシグロさんに、なぜ「浮世の画家」の舞台が日本だったのか、理由を聞いた時に話された言葉。人は、時代という大きな流れの中で、本当に逆らうことができただろうか?逆らわなかったからといって、責めることができるのだろうか? そんな中、人の「記憶」は、まさに浮き世で、時代に流されて生きているのではないだろうか。誰にでも当て嵌る、この非常に難しいテーマを、主演の渡辺謙さんをはじめ広末涼子さんたち出演者の皆さんは、悩み苦しみながら見事に演じてくれた。皆さんに、登場人物の心の襞(ひだ)や、主人公を通じて「記憶」の曖昧さを実感して頂き、楽しんで頂ければ幸い。
□ 音楽: 三宅純・・・作曲家として ピナ・バウシュ、ヴィム・ヴェンダース、フィリップ・ドゥクフレ、ジャン・ポール・グード、大友克洋らの作品に楽曲提供。異種交配を多用した独自のサウンドで国際的賞賛を得る。ヴィム・ヴェンダース監督作品「pina」で12年米・英のアカデミー賞にノミネート。
『日の名残り』の静謐(せいひつ)な筆致と抑制の効いた展開に魅せられ、『わたしを離さないで』の秘められたプロットの衝撃性に戦慄(せんりつ)を覚えて以来、私は既にカズオ・イシグロ作品の大ファンだった。5歳で日本を離れ、英国人として育ったイシグロ氏の抱く、望郷の念と喪失感、記憶に含まれる危うさの深淵、異邦人としての緊張感、それらは僭越ながら私がライフワークとしている”Lost Memory Theatre”(失われた記憶が流入する劇場)の世界観と共通する部分がある気がしてならない。”An artist of floating world”という、原題の持つ浮遊感にも私は惹かれている。映像の奥に潜む深層心理に寄り添ってみたい。
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□ 撮影協力:
栃木県FC、長崎県FC、フィルムサポート島田。
代表的なロケ地は----
「黄檗宗/聖寿山/崇福寺」(旧称「福州寺」、唐人たちの寺院、長崎市鍛冶屋町7-5)
「幣振(ヘイフリ)坂」(長崎市鍛冶屋町1、大音寺と晧台寺の間に在る)
「浄土宗/正覚山/中道院/大音寺」(長崎市鍛冶屋町5-87)
「巴波川(うずまがわ) 嘉右衛門橋」(栃木市嘉右衛門町13~錦町11)
「岡田記念館 代官屋敷・翁島別邸」(栃木市嘉右衛門町1)
「横山郷土館」(栃木市入舟町2-16)
「明治神宮外苑 銀杏並木」(港区北青山2-1 都道#414四谷角筈線)
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■ キャスト
小野益次: 渡辺謙・・・高名な初老の画家。隠居して平凡な日常を送っていたが、次女の縁談話をきっかけに己の過去に向き合うことになる。滑稽なほど過去の影に怯(おび)え、その記憶に戸惑って行く。
青年・小野益次: 中村蒼・・・竹田工房で修業の後、森山誠二に弟子入りし評価を高める。しかし松田知洲の影響で政治に目覚め、師と決別し、戦意高揚のためプロパガンダ絵画の制作に着手する。
松田知州: 奥田瑛二・・・小野が名声を欲しいままにし多くの弟子を抱え、政界での権威も得る過程を知る古くからの友人。
青年・松田知州: 大東駿介・・・小野が森山誠治の弟子だった時代、最初に小野の才能を認め近づく。
黒田: 萩原聖人・・・小野が主宰していた洋画塾の弟子。一番気にかけていた弟子だったが…。
円地: 渡辺大知・・・小野のかつての弟子・黒田のもとで、弟子として絵画を習う。
信太郎: 佐藤隆太・・・小野が主宰していた洋画塾の弟子のひとり。小野を尊敬している。
中原康成<カメさん>: 前田朋哉・・・竹田工房で一緒に働いていた画家。小野に誘われ、森山誠治に一緒に弟子入りする。
森山誠治<モリさん>: 小日向文世・・・高名な画伯で青年小野の師匠。小野の才能を見抜き、弟子にする。
マダム川上: 秋山菜津子・・・小野の行きつけのバーのママ。小野の華やかな時代を知っている。
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村上節子: 広末涼子・・・小野の長女。妹の縁談を心配し、小野に「過去について」誤解をされぬよう手立てをした方が良いと助言をする。
村上一郎: 寺田心・・・小野の孫。節子の子供で、絵が大好きで益次になついている。
村上素一: 和田正人・・・節子の夫。義父である益次とは反りが合わない。
小野紀子: 前田亜季・・・小野の次女。小野と二人で暮らしている。小野の知人である斎藤博士の長男との縁談話が進む。
小野益次の父: 長谷川初範・・・厳格で、益次が絵を描くことを良しとしていない。
小野益次の母: 斎藤とも子・・・父に対して反抗的な益次を心配している。
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斎藤博士: 佐野史郎・・・著名な美術評論家。小野の知人であり、次女・紀子の縁談相手の父。
斎藤夫人: 余貴美子・・・斎藤博士の妻。
斎藤太郎: 石黒英雄・・・斎藤家の長男。紀子の2度目の見合いの相手。
斎藤満男: 小日向星一・・・斎藤家の次男。社交的な兄と違い不器用な性格。
三宅二郎: 武田航平・・・紀子の最初の見合いの相手。
刑事: 酒向芳。
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■ あらすじ
物語の舞台は終戦から3年ほど過ぎた日本。主人公は高名な初老の画家・小野益次(渡辺謙)。
焼け跡から徐々に復興の姿を見せて行く街で、広すぎる豪邸での隠居老人の一見平和な日常生活が描かれて行く。
愛すべき娘や孫の訪問、馴染みの飲み屋のママとの世間話、戦前からの旧友との邂逅(かいこう)…。
或る日、長女・村上節子(広末涼子)が孫の一郎(寺田心)を連れて小野家にやって来る。
そんな中、次女・紀子(前田亜季)に縁談が持ち上がり、見合いのことで、節子の口から思いもしないことが告げられる。「昨年、三宅家との縁談が急に打ち切られたのは、小野の過去のせいではないかと…」
さらに今回の新しい縁談に向けて、何らかの手を打った方がいいと助言までされる。「縁談が円滑に進まないのは、自らの過去に原因があるのではないか」
戦争に加担した過去。同僚や師を裏切り、切り捨てた過去。語りたくない過去が確かにある。
その事実を認識しながらも、強烈な自尊心が首をもたげる。自身の過去に何があったのか。
過去の記憶をたよりに、小野は昔の知り合いたちを訪ねて行く。
そこから周囲の自分への視線の変化に気づき始める…。
確固たる決意で国のために尽くしてきた自分が、何故非難されなければならないのか。
その一方で、過去の影に滑稽なほど怯(おび)える自分の弱さも認識して行く…。人の心の弱さから生まれる「悲劇」、そして思い違いから生まれる「喜劇」。
繊細で緻密なカズオ・イシグロの物語を最新8K撮影で映像化。独特の世界観を丁寧に描き出す。
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■ 私の関連ブログ
カズオ・イシグロのノーベル文学賞はサプライズ!! 【付録】経歴(2017-10-07)
カズオ・イシグロの短編小説「日の暮れた村」あらすじ(2017-10-08)
カズオ・イシグロの長編小説「日の名残り」あらすじ(2017-10-11)
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■ カズオ・イシグロの経歴
日系イギリス人作家。ロンドン在住。62才。祖父の石黒昌明は滋賀県大津市出身。上海の東亜同文書院大学(第5期生)で学び、1908年の卒業後は伊藤忠商事天津支社に在籍して、上海に豊田自動織機の現地法人・豊田紡織廠を設立する責任者(取締役)となった。上海租界で財を成し日中を往復する実業家だった。父の石黒鎮雄は1920年4月20日上海生まれ。九州工業大学電気工学卒業後、東京大学より理学博士号を授与された海洋学者。杉並区高円寺の気象研究所⇒長崎海洋気象台に転勤となり、一家で長崎に住んだ。石黒一雄は、1954年11月8日長崎市新中川町で、海洋学者の父・石黒鎮雄(2007年に死亡)と母・静子(長崎の被爆者、今年91才)の間に生まれる。長崎市桜馬場2丁目の「市立桜ヶ丘幼稚園」(2012年閉園)の年少組に通う。
1960年(5才時)、父が高潮や津波に関する論文が評価されユネスコの支援を受けて、イギリス政府の国立海洋学研究所(National Oceanography Centre)に招致され北海油田の調査研究をすることになり、単身、その後に一家でサリー州ギルドフォードに移住した。現地のストートン小学校(その間にも長崎に残った祖父・昌明は孫・カズオのために、日本語を忘れないようにと「オバケのQ太郎」や「小学一年生」などを送っていた)、中等教育の名門グラマー・スクールへと進学。
1970年、祖国との絆は敬愛する祖父の死で断ち切られ、故郷への記憶の喪失感(トラウマ)となって行った。グラマー・スクール卒業後には、ギャップ・イヤーを取得して北米を旅行したりデモテープを制作しレコード会社に送ったりした。
1978年、ケント大学英文学科で英文学と哲学の学位取得。
1980年、イースト・アングリア大学大学院創作学科で修士号修得。批評家&作家のマルカム・ブラッドベリの指導を受けて小説家を志す。その傍ら小津安二郎の「東京物語」や成瀬巳喜男の「浮雲」などの日本映画作品に没頭し、母国へのノスタルジアを膨らませていた。だが、日本語の会話がスムーズに行かずバイリンガルの混合、逆に奥深い英語力を発揮する一方で自分を押し出すことのない奥ゆかしい非白人への苛め・・・。卒業後に一時的にミュージシャンを目指すも、再び文学者に舵を転じた。
1982年、長編小説処女作「女たちの遠い夏」(筑摩書房単行本)。後に早川書房文庫本を刊行する際に「遠い山なみの光」と改題した。原題「A Pale View of Hills」)・・・ 英国に在住する長崎女性の回想を描いた。王立文学協会賞を受賞し9か国語に翻訳。
1982年(27才時)、イギリスに帰化。
1986年、長編小説第2作「浮世の画家」(原題「An Artist of the Floating World」)・・・長崎を連想させる架空の町を舞台に戦前の思想を持ち続けた日本人を描いた。2作続けて日本を舞台にしたのは、幼少期の記憶を忘れないうちに残して置きたかったと語る。ウィットブレッド賞を受賞。イギリス・スコットランド人のローナ・アン・マクドゥーガル( Lorna Anne MacDougall)と結婚した・・・ He was a residential resettlement worker, and she was a social worker. They met at the West London Cyrenians homelessness charity in Notting Hill.
1989年(35才時)、英国貴族邸の老執事が語り手となった長編小説第3作「日の名残り」(原題「The Remains of the Day」)で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞し、イギリスを代表する作家の1人となった。国際交流基金の短期滞在プログラムで再来日し、大江健三郎と対談した際、「最初の2作で描いた日本は想像の産物であった。私はこの他国、強い絆を感じていた非常に重要な他国の、強いイメージを頭の中に抱えながら育った。英国で私はいつも、この想像上の日本というものを頭の中で思い描いていた」と語った。この機会に長崎を訪れ、「桜ヶ丘幼稚園」で年少組の担任だった田中皓子さん(91才)と再会を果たした。
1990年、短編小説「戦争のすんだ夏」(原題「The Summer after the War」)。短編小説「夕餉」(ゆうげ、原題「A Family Supper」)。インタビューで、 「もし偽名で作品を書いて、表紙に別人の写真を載せれば『日本の作家を思わせる』などという読者は誰もいないだろう。谷崎潤一郎など多少の影響を与えた日本人作家はいるものの、むしろ小津安二郎や成瀬巳喜男などの1950年代の日本映画により強く影響されている」と語っている。また、幼い頃に過ごした長崎の情景から作り上げた独特の日本像が反映されていると報道されている。
1992年、娘のナオミ誕生。
1993年、「日の名残り」は英米合作、ジェームズ・アイヴォリー監督・アンソニー・ホプキンス主演で映画化された。
1995年、長編小説第4作「充たされざる者」(原題「The Unconsoled」)。
1995年(40才時)、大英帝国勲章(オフィサー)を受章。1998年(43才時)、フランス芸術文化勲章を受章。
2000年、祖父から受け継いだ家族アルバムを参考資料として、戦前の上海租界を描いた長編小説第5作「わたしたちが孤児だったころ」(原題「When We Were Orphans」) を出版、発売と同時にベストセラーとなった。
2001年、短編小説「日の暮れた村」(原題「A Village After Dark」)・・・ニューヨーカー2001年5月掲載。日本語版は2006年11月晶文社出版(柴田元幸・編訳)のアンソロジー「紙の空から」に収録。
2003年、映画脚本「世界で一番悲しい音楽」 (原題「The Saddest Music in the World」)。
2005年、英中合作映画脚本「上海の伯爵夫人」 (原題「The White Countess」)。「わたしを離さないで」を出版し、2005年ブッカー賞の最終候補に選ばれる。
2007年、父・鎮雄が死去。その後、母・静子はロンドン郊外のケアハウスで暮らすことになる。
2008年、タイムズ紙上で、「1945年以降の英文学で最も重要な50人の作家」の一人に選ばれた。主な作品「わたしたちが孤児だったころ」「わたしを離さないで」。
作品の特徴として、「違和感」「むなしさ」など感情を抱く登場人物が過去を曖昧な記憶や思い込みをもとに会話・回想する形で描き出されることで、人間の弱さや、互いの認知の齟齬が読み進めるたびに浮かび上がる。人間が意思を通わせることの難しさや記憶の不確かさを浮き彫りにする作品で高い評価を得た。2009年、短編小説「夜想曲集―音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」(原題「 Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall」)。「わたしを離さないで」は映画化・舞台化されて大きな話題を呼んだ。
2015年、英国紙ガーディアンでは、「英語が話されていない家で育ったことや母親とは今でも日本語で会話している」と語り、(英語が母国語の質問者に対して) 「 I'm pretty rocky, especially around vernacular and such.(言語学的には同じくらいの堅固な(英語の)基盤を持っていません)」と返答している。また、「最初の2作は日本を舞台に書かれたものであるが、自身の作品には日本の小説との類似性はほとんどない」と語っている。長編作品の「忘れられた巨人」(原題「The Buried Giant」)を英国・米国で同時出版・・・アーサー王の死後の世界で、老夫婦が息子に会うための旅をファンタジーの要素を含んで書かれている。中世イングランドを舞台に、人々の記憶を奪う謎の霧に晒されながら、遠方に暮らす息子を探す老夫婦の旅を描いた。来日講演では、1990年代のユーゴスラビア紛争で「一夜にして隣人同士が殺し合った」事実を着想の切っ掛けとして挙げた。 「1、2世代前の国家的、社会的な記憶が再起し、人々を戦いに向かわせる。記憶すべきか忘却すべきかの問題は、個人ばかりでなく、国家や社会にも当てはまる」と強調した。
2017年10月5日(62才)、ノーベル文学賞を受賞。スウェーデンのストックホルムにある選考委員会は日本時間の10/5(木)20時過ぎ、今年のノーベル文学賞受賞者の名前を「カズオ・イシグロ」と読み上げた。昨年のボブ・ディランに続くサプライズ!!ノーベル賞授賞理由 「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた。感情に強く訴える小説で、世界とつながっているという我々の幻想の下に隠された闇を明るみに出した」。ロンドン北部の自宅---英国の郊外で多くみられる二戸単位の建売住宅---( semi-detached suburban house in Golders Green, north-west London )前で報道陣の取材に応じ、「キッチンでメールを書いている時に、自身の代理人の電話で知った。選考に当たったスウェーデン・アカデミーではなかったため、いたずらだと思った」と話すなどユーモアも織り交ぜた。