昨日1/29(火)は、「新宿御苑」の早春のKIZASHIを探しに出掛けた。

東京メトロ銀座線で赤坂見附駅で乗り換え、丸ノ内線で新宿御苑前駅までを往復。ウォーキング6,800歩と適度。


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「新宿御苑」


新宿区内藤町~渋谷区千駄ケ谷6に跨(またが)る。サービスセンターは新宿区内藤町11)

江戸元禄期から幕末では、信濃伊那の譜代大名「高遠藩・内藤家」の下屋敷。
現在は環境省の所管。面積58.3ha、周囲3.5km。

1872年、明治政府の農業振興「内藤新宿試験場」
1879年、皇室の御料地(農園)「新宿植物御苑」
1906年、皇室の御苑(庭園)「新宿御苑」が開園
1927年、大正天皇の大喪の礼(たいそうのれい ※) 
1945年、東京大空襲ほぼ全焼(旧御凉亭は現存)
1949年、国民の公園「新宿御苑」(旧・厚生省の所管)となり一般に開放。

 ⇒ 国民の公園になって今年が70周年。
1971年、旧・環境庁に移管
1989年、昭和天皇の大喪の礼(※)

(※) 天皇陛下の大喪の礼

1912年、明治天皇の大喪の礼は、帝國陸軍練兵場(通称・青山練兵場、現・明治神宮外苑)だった。明治より神式の葬儀で埋葬は武蔵陵墓地(多摩御陵墓地、東京都八王子市)に土葬。尚、平成天皇は火葬をお望み。
1867年(奇しくも新暦の今日1月30日)、孝明天皇の大喪の礼は、古来より執り行われて来た泉涌寺(京都市東山区)だった。仏式の葬儀で埋葬は泉涌寺境内墓地に土葬。


□ リブログ(早春)



 

その他関連ブログ(盛夏)
夏の「新宿御苑」で、大温室の酷暑を満喫(苦笑)(2018-07-14)


その他関連ブログ(晩秋/初冬)
「新宿御苑」の紅葉狩り(2017-12-02)

 


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□ 新宿門 (新宿3/2丁目側)

 

ハクモクレンの大木

 

 

ソシンロウバイ・・・甘い香りが立ち込めていた。

 

 



□ 母と子の森、西休憩所


□ 日本庭園


上の池

クロマツ

 

NTTドコモの代々木ビル(渋谷区千駄ケ谷5-24-10)

アベマキ(ブナ科コナラ属)の木肌

 

茶室の楽羽亭と翔天亭

 

紅梅

 

 

 

 


カンザクラ

 

 

 

 

メジロ (スズメ目メジロ科)

 

 


ここにもハクモクレン

 

 

シデコブシ

 

 

 

エコハウス・レストランゆりのき

 

フクジュソウ(キンポウゲ科)

・・・春を告げる代表的な草花で、別名・元日草/朔日草と呼び新春を祝う縁起の良い花。他方で毒性あり。花びらがキラキラと光って透明感があり、太陽の熱を集めて虫を集める。

 

 

 

スイセン畑

 

奥はペーパーホワイト(別名・白花水仙、ヒガンバナ科)・・・原産地は地中海沿岸。

手前はニホンズイセン(別名・雪中花、ヒガンバナ科)

・・・地中海から中国を経て日本に帰化。

いずれも香りが良いが、鱗茎に毒性あり。

 

 

 

サービスセンター

 

ここにもソシンロウバイ

もう一つの(マンゲツ) ロウバイの方は花期が終わっていた。

 


 

オカメザクラ・・・カンヒザクラとマメザクラの交配種。

 

 

カワヅザクラ・・・一つ一つの花弁は小さいランプのような愛らしい形をしている。

 

 

 

 

ジャノメエリカ (ツツジ科)・・・こちらも一つ一つの花弁はドウダンツツジに似てスズランのよう。

 

 

 

ミツマタ (ジンチョウゲ科)

 

 

 

旧・洋館御休所

 

レモン 'ポンデローサ' ・・・別名・ジャンボレモン、レモンとユズの自然交雑種。

 


ブンタン ・・・別名・ザボン/ボンタン。

 

 

 

ジョウビタキ (スズメ目ツグミ科)

 

 

 

 

大温室



□ 大木戸門 (四谷3丁目側)

 


□ 早春の花木

(太字は今日見た花木)

アセビ、アブラナ、アンズ、ウメ、オウバイ、オカメザクラ
カワヅザクラ、カンザクラ、カンヒザクラ、キブシ、クロモジ、コブシ
サンシュユ、ジンチョウゲ、スイセン
トサミズキ、
ハクモクレン、ハナモモ、ヒイラギナンテン、ヒュウガミズキ、ボケ、
マンサク、ミツマタ、モモ、
ヤナギ、ヤブツバキ、
レンギョウ、ロウバイ
ワビスケ。


来園者は少なかった。
朝から強い季節風(北西の風が今年最大の10.5m/s)が吹き体感温度は低かった。
園内を回っている内に温かくなって、襟巻きや手袋を脱いだ。
そろそろ花粉が飛び始めているのか、帰宅する頃には無性に目が痒かった。


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(※) 天皇陛下の大喪の礼

1912年、明治天皇の大喪の礼は、帝國陸軍練兵場(通称・青山練兵場、現・明治神宮外苑)だった。明治より神式の葬儀で埋葬は武蔵陵墓地(多摩御陵墓地、東京都八王子市)に土葬。尚、平成天皇は火葬をお望み。
1867年(奇しくも新暦の今日1月30日)、孝明天皇の大喪の礼は、古来より執り行われて来た泉涌寺(京都市東山区)だった。仏式の葬儀で埋葬は泉涌寺境内墓地に土葬。