短編小説「バースデイ・ガール」

 

著者:村上春樹(1949年1月12日生まれ) 

絵本化: 

短編小説「バースデイ・ガール」新潮社・絵本2017年11月刊行・・・画カット・メンシンク(東ドイツ1968年生まれ)。

 

Amazonで購入

 

初出:編・訳「バースデイ・ストーリーズ」中央公論新社・単行本2002年12月刊行・・・村上春樹の翻訳13話に加えて書き下ろし短編として収録。

 

Amazonで購入

 

翻訳ライブラリーシリーズ『バースデイ・ストーリーズ』」中央公論新社・新書本2006年1月刊行・・・村上春樹の翻訳15話に加えて収録。

 

Amazonで購入

 

短編集「めくらやなぎと眠る女 TWENTY STORIES」新潮社・単行本2009年11月刊行・・・短編24話として収録。

 

平成24年度版 中学3年生用国語教科書「伝え合う言葉 中学国語3」教育出版2012年3月採用。

 

 




■ 登場人物

僕: 物語の聞き手。
彼女: 主人公。僕を前にして二十歳の誕生日を回想する。
彼女の夫: 三歳年上の公認会計士。子どもは男の子と女の子の二人。
フロア・マネージャー: 彼女の二十歳の誕生日に突如、体調を崩し、彼女に自分の代わりにオーナーへ食事を運ぶように指示する。
オーナー: 彼女が二十歳の時にアルバイトをしていた、六本木のイタリア料理店のオーナー。店の在るビルの6階604号室を自宅部屋とし、毎晩8時に店から食事を運ばせている。

 

 

■ あらすじ

 

一年に一度の「特別な日」に贈りたい。あなた自身が答えを見つける物語。
中学校教科書にも採用され、人生と幸福について深く考えさせられる名短編を、ポップなイラストレーションとともに贈るアートブック。


物語は、主人公の彼女の回想から始まる。

 



二十歳(はたち)の誕生日を迎えた11月17日に、六本木のイタリア料理店のアルバイトを休めなかった女性。

その日、店のフロア・マネージャーが体調を急に壊したため、代わりに彼女がフロア・マネージャー以外誰も姿を見たことの無い、そのビルの604号室に暮らすオーナーに夕食を運ぶことになる。

オーナーは頻(しき)りに「君がそう望むのなら?」という台詞を言う。「私がそう望むなら?」と彼女は思った。ずいぶん奇妙な言い方だ。私がいったい何を望んでいるというのだろう? (p24)

時間通りに食事を運んだ彼女はオーナーに年齢を尋ねられ、今日が二十歳の誕生日であると伝える。誕生日を祝福の印しとして彼女に一つだけ願いごとを叶えようと言う、不思議な老オーナーだった。

オーナーは、乾杯の時に言う。「君の人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことがないように」(p33)「それにしてもだ。美しいお嬢さん」(p34)

「私としては君の願いをかなえてあげたいんだよ、かわいい妖精のお嬢さん」(p37) 彼女はオーナーに向かって尋ねる。「私が何か願いごとをして、それがかなうんですか?」 だがオーナーは質問には答えなかった。(p38) 

彼女は戸惑いながらも「言われたとおり、願いごとをひとつした」「君のような年頃の女の子にしては、一風変わった願いのように思える」(p42)
「もっとほかに君が願うことはないんだね? たとえば、もっと美人になりたいとか、賢くなりたいとか、お金持ちになりたいとか、そういうことじゃなくてもかまわないんだね? 普通の女の子が願うようなことを」「もちろん美人になりたいし、賢くもなりたいし、お金持ちになりたいとも思います。でもそういうことって、もし実際にかなえられてしまって、その結果自分がどんなふうになっていくのか、私にはうまく想像できないんです。かえってもてあましちゃうことになるかもしれません。私には人生というものがまだうまくつかめていないんです」(p43) そして、具体的な願いの言葉は書かれていないのだ。

両手を広げ、腰を軽く浮かせ、勢いよく手のひらをあわせた。ぽんという乾いた短い音がした。「これでよろしい。これで君の願いはかなえられた」(p46)

「僕が知りたいのは、まずその願いごとが実際にかなったのかどうかということ。そしてそれが何であれ、君がそのときに願いごととしてそれを選んだことを、あとになって後悔しなかったかってことだよ」「最初の質問に対する答えはイエスであり、ノオね。まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃないから」(p50)「ふたつ目の質問ってなんだっけ?」「君はそれを願いごととして選んだことを後悔していないか?」(p52) 

「私は今、三歳年上の公認会計士と結婚していて、子どもが二人いる。男の子と女の子。アイリッシュ・セッターが一匹。アウディに乗って、週に二回女友だちとテニスをしている。それが今の私の人生」(p53~p54) 彼女は、「アウディのバンパーにふたつばかりへこみがあっても?」とはぐらかしの隠喩によって、後悔が少しはあると匂わせる。「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないもの」と高笑いする。(p54) 

「願い」の中身は、人生を通した長い期間が経過してみないと分からないものであること、今のところ、その選択は完全に良かったとは言えないということかな。

そしてその後、彼女は僕に、「もしあなたが私の立場にいたら、どんなことを願ったと思う?」と問う。それに対して僕は「何も思いつかないよ」「二十歳の誕生日からは遠く離れすぎている」そして率直な視線で彼を見つめながら、「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と言う。(p55)




■ 感想


* オーナーの老人は、頻(しき)りに「君がそう望むのなら?」という奇妙な台詞を付ける。彼は人生のどこか通過点で、欧米生活が長かったのだろうか。対話の相手の選択の意志(hope)を執拗に確かめる。何か"ジャニー喜多川さん"を想像させる(笑)。

* 老人は、図らずも妖精のような美しいお嬢さんの訪問を受け、しかも何と!彼女は今日、二十歳の誕生日と知る。そこで、揶揄(からか)い半分で祝福のお呪(まじな)いを掛けることにする。

* この老人は、「君の人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことがないように」と高邁(こうまい)な祈りを唱和させる。そうしてお呪いのような仕草を続けた後、「これでよろしい。これで君の願いはかなえられた」と告げた。
それにも拘わらず、「もっとほかに君が願うことはないんだね? たとえば、もっと美人になりたいとか、賢くなりたいとか、お金持ちになりたいとか、普通の女の子が願うようなことを」なんて言われたら、人権派の女子大生ならば反撥してしまいそうな場面だ。

*「その願いごとが実際にかなったのかどうか。そしてそれを選んだことを、あとになって後悔しなかったか」という僕の質問に対して、彼女は、「その願いごとが実際にかなった面もあるし、かなっていない面もある」と答え、人生を通した長い期間が経過してみないと分からないし、今は成りゆきの途中の段階だからと添える。
かつ、「それを選んだことを後悔していないか?」という次の質問に対して、彼女は「何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないもの」と答え、自分自身が選択した山道を乗り越えて行くしかないと意を強くする。

ところで、"普通の女の子らしくない" 肝腎の彼女の願いごととは何だったのか? 推測するに---容姿・知能・富裕、あるいは就職・結婚などの具象的な価値の願望ではないので、抽象的な価値の願望だったと思われ、だとすると幸福・健康・平和な生活環境で一生を過ごしたい---といった願望だったのだろう。

*「わたしはもうこんな年になってしまったから、誕生日が来たってちっとも嬉しくなんかありませんよ」という人たち---古希を迎えている私も妻も、誕生日はちっとも嬉しくないと思っている。そういう輩(笑)に対して村上氏はいつも反論すると言う。「年をとるとかとらないとかじゃなくて、誕生日というものはあなたにとって一年にたったひとつしかない、本当に特別な日なんだから、もっと大事にしなくちゃ。そのたぐいまれな公平さを祝福しなくちゃ」と。(あとがきp59~p60)

その割りには、彼女が無垢(むく)な気持ちで「もしあなたが私の立場にいたら、どんなことを願ったと思う?」と質問したのに、僕が素っ気なく「二十歳の誕生日からは遠く離れすぎている。何も思いつかないよ」と交わしたのはがっかりだ。「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と呟(つぶや)いた彼女の方が、寧(むし)ろ大人の心遣いをしたと言えよう。