<追記>

 

11/21(水)辺りから、久々に風邪を引き始め、24(土)・25(日)は苦しい状態であり、

インドアでの活動ブログ記事が多くなっている。

 

 

今日の夕焼け

20181125  16:40 (日没16:30の10分後)



現在、我が家が信仰する浄土真宗では親鸞聖人の命日11/28(水) に因む法要が行われている。


■「報恩講」(ほうおんこう)

浄土真宗の宗祖(開祖)・親鸞聖人(1173年4月1日~1262年11月28日)の祥月命日(しょうつきめいにち、毎年の亡くなったと同じ月日)の前後に営まれる、宗祖に対する報恩感謝のため法要。


□ 代表的な宗派別の呼称と日程

浄土真宗本願寺派(通称・お西)「親鸞聖人○○○回大遠忌法要」1月9日~16日(新暦に換算)

真宗大谷派(通称・お東)「宗祖親鸞聖人○○○回御遠忌法要」11月21日~28日

浄土真宗東本願寺派「親鸞聖人○○○回御遠忌」11月23日~28日


■ 親鸞聖人誕生前の世相(時代的背景)

1052年頃、終末論的な末法思想が広まる。
時代は貴族の摂関政治が衰え院政へと向かうとともに武士が台頭して来た。治安の乱れも激しく民衆の不安は増大しつつあった。仏教界も天台宗を始めとする腐敗や僧兵出現によって退廃して行った。このように仏の末法の予言が現実の社会情勢と一致したため、人々の現実社会への不安は一層深まり、この不安から逃れるため厭世的な思想に傾倒して行った。


1156年、保元(ほうげん)の乱が起こる。[天皇家(朝廷)]崇徳上皇+[摂関家]藤原頼長+[武家]源為義+平忠正の軍 VS  [天皇家]後白河天皇+[摂関家]藤原忠通+[武家]源義朝+平清盛の軍 が交戦し、崇徳上皇軍が敗れ上皇が讃岐國へと流された。貴族(公家)政権が無力化し、武家の政界進出を促した。

1159年、平治の乱が起こる。退位後の後白河法皇が院政を始めたため、その近臣間の暗闘が源平武士団の対立に結び付き、[天皇家]二条天皇+[摂関家]藤原信頼+[武家]源義朝の軍 VS [天皇家]後白河法皇+[摂関家] 藤原通憲(信西)+[武家]平清盛の軍 が交戦し、源義朝軍が敗れて殺され、その長男・頼朝も伊豆國へと流された。1167年、勝った平清盛は太政大臣に上り詰め平氏が事実上の最高政治責任者となる新体制となった。かくして公家から武家へと国家統治する政権が移り、政治・経済・社会の劇的な構造変化(パラダイムシフト)が起こる。



★ 1173年4月1日、山城國の日野誕生院(現在の京都市伏見区日野・法界寺)付近にて、公家の日野有範を父に、武家の清和源義家の孫娘・貴光女を母に、長男として生まれる。


■ 親鸞聖人入滅前後の世相(時代的背景)

1185年、鎌倉幕府が成立して以降、東國に勢力下におく[天皇家]の血を引いた[武家]鎌倉幕府と、西日本を勢力下におく[天皇家]による2頭政治が続いていた。

1219年、鎌倉幕府の[将軍]源氏が第3代・源実朝で途絶えてからは、[執権]北条氏が事実上の最高責任者となる新体制となった。
大きな潮流に逆らって、1221年、承久の変(承久合戦)が起こる。[天皇家(朝廷)]後鳥羽上皇の軍 VS [執権]北条義時の軍 が交戦し、朝廷軍が敗れて、
後鳥羽上皇は隠岐島に、土御門上皇は土佐國に、順徳天皇は佐渡島に流された。また京都の動静を監視し,西国を統制する目的で六波羅探題が設置された。
北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残す。以後、鎌倉幕府では北条氏による執権政治の権力が西国にも及ぶようになる。

 

 

[天皇家の系譜]

71後三条72白河73堀河74鳥羽75崇徳76近衛77後白河78二条79六条80高倉81安徳82後鳥羽83土御門84順徳

 

[藤原氏の系譜]

冬嗣-良房-基経-忠平-道長-頼通-師実-師通-忠実-忠通-基実-基通家実-兼経

 

[平氏の系譜]

維衡-正度-正衡-正盛-忠盛-清盛-重盛-維盛-高清

 

[源氏の系譜]

経基-満仲-頼信-頼義-義家-義親-為義-義朝-頼朝-頼家-実朝

 

 

鎌倉時代、法然を開祖とする浄土宗は末法思想に立脚し、阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとした。一方、浄土真宗の開祖とされる親鸞は、法然の末法観を受け継ぎつつ、正法(修行して悟る人がいる時代)⇒像法(外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代)⇒末法(正法がまったく行われない時代) といった時代を超えて受け継がれて来た念仏の普遍性を説いた。

★ 1262年11月28日、実弟の尋有が院主である善法院(別称・善法坊)にて、行年90(満89歳)を以って入滅する。臨終は尋有や末娘・覚信尼らが看取った。遺骨は大谷本廟(別称・大谷廟堂)に納められた。


■ 浄土真宗の主な宗派


□ 浄土真宗本願寺派(通称・お西)

龍谷山本願寺(通称・西本願寺、京都市下京区堀川通花屋町下ル門前町60) を本山とする。宗祖親鸞の墓所・大谷本廟は、京都市東山区五条橋東六丁目514に在る。
東京における直轄寺院は築地本願寺(旧称・本願寺築地別院、中央区築地3-15-1)。


□ 真宗大谷派(通称・お東)

大谷派の根本道場・真宗本廟(通称・東本願寺、京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754)を本山とする。
東京における拠点は東本願寺真宗会館(練馬区谷原1-3-7)。

□ 浄土真宗東本願寺派

改革派中心の真宗大谷派から離脱した、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺(通称・浅草本願寺/東京本願寺、台東区西浅草1-5-5) を本山とする。