今日11/22(木)は「いい夫婦の日」。
夕食の準備をしていた妻が、突然、
「あーっ!!」と声を挙げた。
「もうすぐゾロ目が並ぶ~!!」と。
ということで、
11/22(木)
pm6:55:55
(iH前に気づけば・・・と欲張ってみる)
室温は22.2℃
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11/20(火)にNHK-E高校講座・日本史の「武士の登場」で平氏・源氏をスタディした2日後、
時折しも、11/22(木)NHK-BSプレミアムで、ゲンジボタル・ヘイケボタルのハイビジョン特集再放送を観ることができた。
あまり関連性はないですね(苦笑)
NHK-BSプレミアム
ハイビジョン特集
「ホタル舞う日本~ホタル前線を行く」
(原題「映像詩・ホタル前線北上す~蛍火が照らし出す日本」)
初回放送NHK-BS2 2007/07/31(火)20:00~21:50
何度目かの再放送 2018/05/31(木)09:00~10:50, 24:45~26:35
プレミアム・カフェ選での再放送 11/22(木)09:00~10:53, 24:45~26:38
□ 関連番組
NHK-BSプレミアム
2017/08/30(水)19:30~20:59
スーパーハイビジョン4Kカメラ(ソニーα7S2)撮影「ホタル前線北上の旅 蛍火が照らす美しき日本」PartⅡ
□ スタジオトーク:
ゲスト:写真家・小原玲(おはら・れい)
キャスター:渡邊あゆみ
■ あらすじ
5月末の鹿児島・川内川から7月の北海道・釧路湿原まで…。写真家・小原玲さんとともにホタルを追って北上、魅惑の生態に迫る。
「桜前線」「紅葉前線」など数ある季節の知らせの中でも、殆ど知られていないのが“ホタル前線”である。
5~6月にかけて九州で光を発し、北海道で最後の明滅を見せるのが7月下旬。鹿児島から北海道にかけて2か月以上も北上を続け、各地に夏の訪れを告げる。
出典: ウェザーニュース2018年5月
ホタルの主な棲み家(すみか)は人里を流れる清流とその流れを汲む美田。ホタルの舞う背景には“日本の原風景”が広がっている。そこには、ホタルとともに暮らす人々の季節感に富んだ生活や、ホタルが棲みやすい環境を作ろうと努力する人々の姿がある。
北上の羅針盤となるのは、写真家・小原玲さん。報道写真家として天安門事件や湾岸戦争などを取材して歩いた経験を持つが、1998年にホタルの大群舞と遭遇し、その美しさに魅せられ、以来ホタルを追い続けるようになった。
ホタル前線はどこまで北上したのか、その土地土地にはどんな人々がホタルとともに暮らしているのか、小原さんの元には、全国のホタルの情報が日々集まって来る。
番組では、舞うホタルを臨場感溢(あふ)れる映像美で記録。今に残る美しい日本とそこに暮らす人々の営みを描きながら、写真家・小原さんとともに“ホタル前線”を追って北上して行く。
出典: 長野県辰野町観光協会
鹿児島県さつま町の川内川。圧倒的な数のゲンジボタルの乱舞。
本州ではホタルというとゲンジボタルを指し、ゲンジボタルの北限は青森県。
一方、北海道はヘイケボタルが主流。ヘイケボタルは小柄だし、発光間隔が一瞬のように短く自動車のウインカーの発光に近い。そのヘイケボタルの数が激減している。
清流に棲むゲンジボタルに対して、ヘイケボタルは流れのない沢や田んぼに棲息。幅広く捕食し環境への適応能力がある筈のヘイケボタルがなぜ?
<推定原因>
護岸をコンクリートで固め、自然浄化されなくなり、水生生物が生存できない環境になったから。
また、コンクリートの水路は稲作の時季だけ水を流し、実の時季が過ぎると水を流さない方法がとられているので生物が棲み付けない。
針葉樹の植林により山の保水力が低下し洪水が発生しやすくなってカワニナやホタルの幼虫が流されやすくなった。
また、山林を手入れする人が少なくなり荒れたまま放置されている。
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11/20(火)午後、NHK高校講座を懐かしみながら録画を観た。
NHK-Eテレ3
「高校講座 日本史」
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂「高橋歴史女学館」がその謎に迫る。
11/20(火)14:00~14:20 「武士の登場」
■ 出演 2014年度
MC: 高橋英樹(マルチタレント)
AC: AKB48/向井地美音(むかいち・みおん)・土保瑞希(つちやす・みずき)・込山榛香(こみやま・はるか)
講師・日本史監修: 東京大学史料編纂所教授/本郷和人
語り: 杉村理加(声優)
■ 概要
今回のテーマは「武士」。
武士とは一体何者なのか?
奈良時代や平安時代の律令制の中にも軍事を司(つかさど)る人々は存在していた。
しかし彼らが単に政治的な力を付けて、そのまま武士になったという訳ではない。
武士はどのようにして誕生し、力を付けて行ったのか。
その起源と発展の過程を見ることで、平安時代をより深く理解して行く。
■ 詳細
□ 武士の台頭
貴族の華やかな生活に注目されがちな平安時代だが、この時代に武士も誕生してたことを知っているか。
□ 台頭の背景
奈良時代に出された墾田永年私財法によって、土地の開拓は急速に進んだ。開拓した分だけ自分の土地になるのだから、農民も気合が入っただろう。
しかし、せっかく開墾をしても力のないものは土地を強奪される危険があった。
そこで農民たちが考えたのが、貴族や豪族に土地を寄進する方法。つまり、「この土地は貴族の○○さんの後ろ盾がある」とすることで、土地を強奪されないようにした。 もちろん只ではない。貴族に対して年貢を納めることで農民たちは守ってもらっていた。
一方で当時の貴族には、不輸・不入の権という権利が保証されていた。これは貴族が所有する自分の土地に対しては、税金が掛らないというもの。
こういった背景もあり、貴族と農民の利害が一致して土地を寄進することが流行った。
この仕組みの肝心なところは、農民が本来ならば国に納めなければならない米を、貴族に納めるようにしたという点。この結果、国の財政は枯渇し、治安もまた悪くなって来た。
そこで自分たちの身は自分たちで守ろうと、体を鍛え始める貴族が登場する。武芸に秀でた貴族のことを「軍事貴族」と言う。
これが武士の始まりではないかと言われている。
□ 承平・天慶の乱
始めは武装集団に過ぎなかった武士だが、彼らの勢いを認知させる動乱が2つ同時期に起きた。それが「平将門の乱」と「藤原純友の乱」。 この2つを合わせて「承平・天慶の乱」と言う。
平将門の乱(939~940年)・・・源氏の血を引く関東の地方武士であった平将門だが、一族の覇権争いの中で、朝廷を敵に回してしまった。清和天皇の血を引く源氏として、朝廷に屈服するのではなく、親皇と名乗り朝廷とは独立した勢力を築き上げようとした。
藤原純友の乱(939~941年)・・・瀬戸内で藤原純友の乱が起こった。元々、瀬戸内海の海賊を取り締まっていた藤原純友だが、その手柄を貴族たちに横取りされたことに不満を募らせ反乱を起こした。
2つの乱が同時期に起こったために、朝廷は鎮圧に相当な労力を要した。その結果、武士の存在を改めて認識し武士が台頭して行くことになる。
□ 桓武平氏と清和源氏
「軍事貴族」の中でも有力だったのが、桓武天皇の血を引く「桓武平氏」と、清和天皇の血を弾く「清和源氏」。
桓武平氏
桓武天皇(第50代:在位は781~806年)―葛原親王―高見王―高望王(平高望)―国香―貞盛―維衡―正度―正衡―正盛―忠盛―清盛
桓武天皇の曾孫(ひまご)・高望王が「平」の姓を貰ったことに始まる。関東に住み着き、その子・孫は関東の豪族と血縁を結び、勢力(領地)を拡大する。だが、広大な領地を巡って一族内で争いが起き、それが発展して「平将門の乱」に至る。それを鎮圧した平貞盛の子・平維衡が伊勢に移って、清盛の先祖・伊勢平氏となった。
一方の清和源氏
清和天皇(第56代:在位は858~876年)―貞純親王―経基王(源経基)―満仲―頼信―頼義―義家―義親―為義―義朝―頼朝
清和天皇の孫・経基王が「源」の姓を貰ったことに始まる。経基から五代(満仲・頼信・頼義・義家)の間、鎮守府の将軍を務めた。これは藤原氏に接近し功績を挙げた賜物。しかし、義家の子・義親が反乱を起こして平正盛(清盛の祖父)に討たれると、一族内で分裂、衰退して行った。義親の孫・義朝は関東に下り、先祖に恩のある武士を集めて独自の勢力を築いた。義親の子・為義は息子・義朝と対立、保元の乱で処刑され、その義朝も平治の乱で敗れやがて暗殺される。
■ 平氏・源氏の関連ブログ
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平氏vs源氏--NHK「歴史秘話ヒストリア」から(2012-01-19)