<追記>
今日11/21(水)
未明(丑三つ時)、月齢13.5の歪(いびつ)な月が、冷え冷えとして輝いていた。1H後の03:46に月の入り。
真西の空20181121 02:26
11/23(金・祝)には、満月(月齢15.5)となる。月の出は16:49。
◇
NHK-BSプレミアム
ハイビジョン特集「渋谷でチョウを追って ~動物行動学者:日高敏隆のまなざし」
初回放送NHK-BShi 2008/09/23(火)20:00~21:29
何度目かの再放送 2018/05/30(水)09:00~10:41, 24:45~26:26
プレミアム・カフェ選での再放送 11/21(水)09:00~10:41, 24:45~26:26
□ スタジオトーク:
ゲスト:動物研究家・作家…パンク町田、キャスター:渡邊あゆみ
■ 出演
語り: 古野晶子
平山広行(⇒改名・浩行): 日高敏隆
東谷柊一: 日高敏隆の幼少役
正名僕蔵: 父親
田村研作: 担任教師・米丸三熊
滝藤賢一: 一人三役
本多陽彦(あきひこ)
山城秀之
黒田大輔
目黒真希
□ 撮影場所: 牛久自然観察の森
■ あらすじ
幼少期に、東京渋谷の丘を飛ぶチョウに魅せられ、その生態の謎を死ぬまで追いかけた研究者の探究心の軌跡を辿(たど)る。
渋谷区東の界隈は、日中戦争の頃、小高い丘だった。
そこで只管(ひたすら)、チョウを追っていた少年がいた。
後に動物行動学者になった日高敏隆(78歳)。
少年は不思議なことに気がついた。
チョウはなぜ同じ道を飛ぶのだろう。
花のせい?風のせい?少年はその疑問を追い続けた。
戦後は高尾山で、府中で。
20年が経った時、彼は漸(ようや)く、その疑問を解く。
答えは「光」だった。
勇気と夢を与えてくれる、日高の歩んだ研究の軌跡を追う。
■ 参考図書
Amazonで購入
「新編 チョウはなぜ飛ぶか」日高敏隆・著、海野和男・写真、朝日出版社2011年6月発売。
チョウの飛ぶ道
チョウを追って、疑問が芽ばえた
チョウは、決まった道を飛ぶ
チョウは季節によって、飛ぶ道をかえる
モンキアゲハとの運命の出会い
「幼虫ですか?」のひとことで生まれた観察仲間
裏高尾で、チョウ道のとりこになった
ついに、房総半島へ
チョウ道は、いったい……、チョウ道は地形とは関係がなかった、チョウ道が読めた!夏のチョウ道は、まるで読めなかった、チョウ道をもつチョウと、もたないチョウがいる
チョウが花にとまるとき、チョウはウソの「花」にもとまる、チョウは「花」を知らない、チョウによって、好きな色がちがう、チョウは近くしか見えていない、チョウは一生懸命、飛んでいる
チョウは、においで葉を区別する
■ 日高敏隆(ひだか・としたか)の略歴
<Wikipedia、他より引用>
1930年2月26日~2009年11月14日
日本の動物行動学者、理学博士、京都大学名誉教授。
ヨーロッパで動物行動学が興るのと同じ時期にこの分野に飛び込んだ草分け期の研究者であり、日本に動物行動学を最初に紹介した研究者の一人でもある。また多国語に堪能であるため、この分野を開拓したコンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンらの著作の日本語訳や、自ら記した一般向けの啓蒙書も多い。
主な著書に最終講義をまとめた『ぼくの生物学講義』(昭和堂)、『世界を、こんなふうに見てごらん』(集英社)、『動物と人間の世界認識』(筑摩書房)など多数。おもな訳書に『ソロモンの指環』(早川書房)、『かくれた次元』(共訳、みすず書房)、『利己的な遺伝子』(共訳、紀伊國屋書店)などがある。
妻の後藤喜久子はイラストレーターで、日高の著書のイラストも担当し、ごとうきくこ名義で絵本も発表している。
東京市渋谷区(現・東京都渋谷区)東の生まれ。少年時代から昆虫採集に熱中するいわゆる昆虫少年であり、当時は昆虫少年同士の全国的な文通や同人誌を通じたネットワークがあり、日高も世代の近い養老孟司や同年生まれの矢島稔ら、その後昆虫少年からプロの研究者になっていった人々と、その頃から交流があった。
小学校時代から昆虫学者を志していたが両親の無理解に苦しみ、また当時通っていた広尾尋常小学校(現・渋谷区立広尾小学校)のスパルタ教育に馴染めず登校拒否に陥り、学校の先生から「体の弱いおまえなんか兵隊にはなれないから、早く死んでしまえ」と言われ続け、本当に自殺を考えたこともある。だが、新任の担任教師の米丸先生が両親に掛け合って、日高が昆虫学の道に進むことを承諾させると共に、より自由な校風の東京市笄(こうがい)国民学校(現・港区立笄小学校)に越境入学させたことで命を救われた。
旧制・成城高校(在学中に学制改革を経験し、成城大学となる)で関心の対象が動物学に移る。高校の生物学の内田昇三先生が持つ動物への好奇心は日高の動物好きに拍車をかけた。
1952年に東京大学理学部動物学科を卒業。昆虫を研究材料とした生理学的研究から、次第に新しい動物行動学の要素を取り入れた方向に研究を発展させていった。岩波書店に勤務しながら夜間は東京大学の研究室で研究を続けていた。この駆け出しの研究者の頃に動物学科の後輩の畑正憲と交流を持つ。
東京農工大学講師・助教授、1959年に農学部教授。1961年 東京大学理学博士号「アゲハチョウ蛹における形態学的体色変化の内分泌的機構の研究 」。
1975年京都大学理学部教授。
1976年、『チョウはなぜ飛ぶか』(岩波書店)で毎日出版文化賞。
1989年同大理学部長就任。1982年に創設された日本動物行動学会の初代会長に就任。1993年京都大学定年退官。1995年から滋賀県立大学初代学長。
2001年、総合地球環境学研究所初代所長(後に顧問)。
Amazonで購入
『春の数えかた』(新潮社)で日本エッセイスト・クラブ賞。
2007年京都精華大学人文学部客員教授。2008年叙勲・瑞宝重光章。
2009年11月14日、肺癌により死去。79歳没。