妻が好きな朝の番組---テレビ朝日の高田純次「じゅん散歩」で目白や下落合を訪れ、
「おとめ山公園」が良さそうだったことを話していたので、早速、訪れることにした。
JR山手線で上野駅⇒目白駅下車。
山手線の東口に近い「学習院大学」キャンパス (豊島区目白1-5-1) は一度も入ったことが無かったが、どの門も警備員が立哨(りっしょう)していたので諦(あきら)めた。愛子様が在籍しておられるからだろうか?
この近辺の「立教大学」(豊島区西池袋3-34-1)や「早稲田大学」(新宿区西早稲田1-6-1)、そして自宅から遠くない「東京大学」(文京区本郷7-3-1) などはかなり多く訪れて来たのに、残念。尤も厳密にはどの大学のキャンパスも見学には届け出が原則。
目白通り(都道#8)
⇒ 明治通り(都道#305) == 都電荒川線が沿う
⇒ 新目白通り(都道#8) == 神田川が沿う。
「区立千登世橋中学校」 (豊島区目白1-1-1) では運動会が行われていた。見学していると面白かったがキリが無いので、その場を離れた。
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山手線の西口側へと移動。
■「区民ふれあいの森」(別名「おとめ山公園」、新宿区下落合2-10)
目白台地から神田川を臨む南傾斜地に在り、湧き水が出ている(東京の名湧水57選)。古くからホタルの名所で今は養殖が行われていると言う。
歌川国貞(二代豊国)と二代広重の合作「書画五十三次・江戸自慢三十六景
#30落合ほたる」(1864年)
敷地内は起伏に富み、武蔵野の風景を留めている。公園の池にはカルガモが飛来し繁殖する。江戸時代の徳川家狩猟地で立ち入りが禁止されていたことから、「御留山」または「御禁止山」と呼ばれた。「乙女山」ではない。
江戸時代にはこの一帯が将軍家の所有だったが、明治時代には近衛家と相馬家が所有した。戦後は国有地として荒れ果て「落合秘境」と呼ばれていたが、1969年に公園として新宿区に移管され開園した。2.8ha。
地図
こちらもアジサイが盛りに入っており、粋な植栽となっている。
ホンアジサイ
ガクアジサイ/ ヤマアジサイ
園芸種
ヤマアジサイ
シモツケ
カワラナデシコ(赤紫/白)
セキチク
オカトラノオ
タイサンボク
土曜日でもあり、隣接の「区立落合中学校」 (下落合2-24-6) でも運動会が行われているようで、公園の人出は多かった。
■「東山藤稲荷神社」(別名「藤森稲荷」「富士稲荷」、下落合2-10-5)
927年、京都稲荷神社を勧請して東国源氏の氏神として祀った。境内に藤の大木があったことから「藤森稲荷」とも称された。
参道の民家のネコ
私ともう一人のカメラマンを警戒しているようで、毛が立っていた。
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新目白通り(都道#8)と妙正寺川と 西武新宿線が沿う(並行している)区間。
昨年1月「氷川神社」と「薬王院」の初訪問時のリブログ
■ 下落合の「氷川神社」(下落合2-7-12)
創建は伝・孝昭天皇の御代(紀元前5世紀)以前。江戸時代には、豊島区高田の氷川神社が素盞嗚命「男体の宮」、この新宿区下落合の氷川神社が奇稲田姫命「女体の宮」、合体して「夫婦の宮」と称されていた。
■ 真言宗豊山派瑠璃山「薬王院」医王寺 (別称「東長谷寺」、通称「牡丹寺」。下落合4-8-2)
鎌倉時代(正確な時期は不詳)の創建。江戸時代までは「氷川神社」の別当寺。1966年、本山の奈良「長谷寺」から牡丹の株を譲り受け、現在では40種類千株ほどに増えている。
山門に山号「瑠璃」をあしらった牡丹の彫刻。
左上にウメの実
六地蔵~本堂(観音堂)の崖下に牡丹園が続くが、シーズンオフに入った。
境内には水草が多い。
スイレン(ヒツジグサ)
メダカ
ホタルブクロ(紫と白)
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■ 妙正寺川 の落合橋/辰巳橋付近の散歩道
妙正寺公園 妙正寺池」(杉並区清水3-21)に源を発し、江古田川(中野区松が丘2丁目)を合わせ、「神田川 高田馬場分水路」(新宿区下落合1丁目)と合流する。
ガクアジサイの園芸種
シモツケ
クワの実が熟して来た。
ヒメリンゴの実は未だ青い。
下落合駅に向かって妙正寺川の散歩道を歩き始めると、橋の周辺で住民と警官の数名が騒いでいた。
ヘビが出没したそうだが見失って捕獲はできなかった。
おとめ山などはカルガモたちの繁殖地でもあるようで、川では番(つがい)が水浴びとグルーミングを繰り返していた。
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地図の出典はMapion
西武新宿線で下落合駅 ⇒ 高田馬場駅、JR山手線に乗り換えて上野駅。
今日のウォーキングは13,000歩の大台突破。
アップダウンも多く脚が疲れたし、しかも夏が近づいて虫の活動が活発になり数か所刺された。
もう虫除けスプレーや虫刺され薬は必携となって来た。