NHK-E 「知恵泉」
11/28(火) 22:00~22:45
「不寛容社会を生きる道しるべ 新渡戸稲造 真の武士道」
忖度(そんたく)に溺れる安倍総理夫妻。
暴力的なモンゴル出身横綱。
「真の武士道」「真の教養」には程遠いリーダーたち。
今の国際政治は、国際協調・平和外交手段よりも自国ファースト・核武装強化に動いている。
■ キャスト
□ 今回のゲスト
解説者:
拓殖大学名誉教授 草原克豪
新渡戸基金理事長 藤井茂
仕事人:
大手ビールメーカー「キリンビール」社長 ⇒ 食品・酒類老舗企業「明治屋」社長 松沢幸一
☆ 松沢幸一名言集
*数字目標は相当、現場をゆがめる。
*サッカーと会社は同じ。選手起用や作戦は監督が決めるが、ホイッスルが鳴ったら局面ごとに全て選手が考えて動く。
*チームとして解決に取り組むと、みんなの気持ちもまとまりプラスの効果が生まれる。
*業務の改善を進めるとき、いきなり大きな変化を起こすのは大変。コツコツと小さな変化を積み重ねていく「小変の積み重ね」が大事。
*職場で無駄話をしよう。1日30分でもいいから職場の同僚との直接対話を楽しむ。無駄話はムダではない。互いの意思疎通が豊かになり仲間への思いやりも出て来る。生産性や効率も上がる。ヘタな会議よりずっといい。
*成功が続けば続くほど会社は腐る。周りの変化に気づかず「これぐらいでいい」と思ってしまいがち。上に立つ人間は、そこに注意しなければならない。
*決断をする際には成功体験を引きずらないようにしている。たとえば10年前のことが今も通じるとは思えない。世の中の変化のスピードはものすごく速いから。
*お客様の方を向かなくてはいけない。童話の「ウサギとカメ」なら我々はカメでいい。ゴールだけを目指して着実に進む。
*競合他社に勝てば結果として売れる。そんな時代は去った。
*世の中はどんどん変化して行く。変化の中で努力を続ける以外に方法はない。努力は人生を楽しくするもの。そうすれば継続が苦にならない。
*いろいろな人と出会い様々な価値観を持った人の考えを聞くことが大切。価値観を磨くためには自分の考え方に固執するのではなく、いろいろな考え方の人と議論して他者に自分の考え方を晒(さら)して行くことが大切。
*努力の中に楽しみを見つける方法は人それぞれ。私の場合はニンジンがぶら下がっていると頑張るタチ。
*常に80%ぐらいの力で自然体で努力を継続して行けば、実力は自然に伸びる。
==以下、略==
□ レギュラー
タレント: 関根勤
三代目店主: 二宮直輝アナ
■ スタッフ
ディレクター: 山本充宏
リサーチャー: 髙村敬一、取材: 栞原拓真
ディレクター: 山本充宏
プロデューサー: 高橋才也、制作統括: 渡辺圭、猪俣修一
制作: NHKエデュケーション、制作協力: テレビマンユニオン
□ スタッフブログ
最近、「不寛容社会」という言葉をよく聞く。
他人の過ちや欠点を許さない社会を言うようだ。
確かに、そんなギスギス、カサカサした空気をちょっと感じないかな?
今回は、こんなカサカサ社会に潤いをくれる、リップクリームのような知恵を紹介。
「新渡戸稲造」(にとべ・いなぞう、1862年9月1日~1933年10月15日)・・・五千円札に描かれていた人物。
「不寛容社会」への特効薬、それは新渡戸が説く「真の教養」にあるのではないか!?
では、その「真の教養」とは何なのか!?
■ 新渡戸稲造の略歴
1862年9月1日、陸奥国岩手郡(現・岩手県盛岡市)に、盛岡藩の奥御勘定奉行・新渡戸十次郎の三男として生まれる。幼名稲之助。
1873年、東京外国語学校英語科(後の東京英語学校)に入学。1877年、札幌農学校に入学、卒業後、東京大学選科、同時に成立学舎に入学。
1882年、農商務省御用掛。札幌農学校予科教授。1884年、渡米し米ジョンズ・ホプキンス大学に入学。
1891年、米国人女性メリー・エルキントンと結婚。帰国し札幌農学校教授。
1897年、札幌農学校を退官。『農業本論』を出版。1900年、英文『武士道』(BUSHIDO: The Soul of Japan)出版。
1903年、京都帝国大学法科大学教授。1906年、第一高等学校長に就任、東京帝国大学農科大学教授を兼任。1917年、拓殖大学学監に就任。1918年、東京女子大学初代学長に就任。
1920年、国際連盟事務次長に就任。1926年、国際連盟事務次長を退任。貴族院議員に。
1933年10月15日、カナダ・バンフにて開催の第5回太平洋会議に出席し、ビクトリア市にて客死(71歳没)。
■ 番組のあらすじ
知られざる偉業の数々。
相互理解を誘(いざな)う「武士道」の知恵とは?
仰天! 東大生とのバトルで行商人が教えてくれた真の教養とは?
*
旧五千円札に描かれたものの日本人の認知度が低い新渡戸稲造。
しかし教育者・国際人など数多くの顔を持つ新渡戸の考えには、「不寛容」と言われる現代によく効く知恵が満載。
明治時代の1900年、日本人の内面を「武士道」という書籍で海外に紹介した新渡戸稲造。
『武士道』 櫻井鴎村訳、丁未出版社1908年3月。
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「ハラキリ(切腹)」など海外から野蛮なイメージを持たれていた日本。
それを拭(ぬぐ)い去るために書いたのが「武士道」だった。
新渡戸が唱えた武士道は、「死」を強調するものとは異なり、「異文化理解の架け橋」にもなるモノだった。
*
□ NHK-E 「100分 de 名著」#10「新渡戸稲造『武士道』」
・・・初放送2012年2月・・・のあらすじ
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武士は責任を取る時に切腹した。
新渡戸は「腹は魂と愛情が宿る場所」だと記している。
日本人は腹に魂があると考えて来た。
切腹とは、真心を示す意味もあった。
一方で切腹は、人の死を軽んじる傾向を生んだ。
また部下に詰め腹を切らせ、責任の所在を曖昧にしてしまうこともあった。
新渡戸は武士の勇気を称(たた)えるとともに、陥りがちな欠点も指摘、「いたずらに死を選ぶことは卑怯であり、真の名誉は天命を成就すること」と記した。
外国人にとって、日本人の行動には謎が多く、誤解を生じやすい。
新渡戸が生きた時代、外国人の間では「日本人が苦しい時に微笑(ほほえ)むのは鈍感だからだ」という指摘すらあるほどだった。
そこで新渡戸は、武士にとって、感情を剥(む)き出しにすることは、礼に反し、勇気のない行為に当たると解説。
苦しい時の微笑みは、自分の心の平衡を保つための手段なのだと記した。
新渡戸は、武士道の長所を述べるだけでなく、短所も的確に指摘した。
新渡戸の武士道に対する思いとは、何だったのだろうか?
元国連事務次長の明石康さんを招く。
明石さんはこれまで、国際協調に努めた新渡戸に大きな関心を寄せて来た。
明石さんは、グローバル化が進む中、日本人の原点を見つめ直したいという思いが、今の武士道の人気に繋(つな)がっていると考えて来た人物。
*
1906年、第一高等学校の校長に就任した新渡戸は、開口一番「社交性を身につけよ!」と訓示。
健全な肉体と精神によって、明晰(めいせき)な頭脳は作られる。
しかし、実社会に応用できなければ、何の意味もない。
そこで、ソクアリティー(社交性)が必要となる。
人の機嫌を取れと言うのではない。実社会で円満に活動できる人間になること。
<< 籠城主義==特権階級意識を排し、いろんな人と交流せよ。>>
学生たちから猛反発を受ける。
新渡戸は、現代にも通底する「教養のあり方」に異を唱えたのだ。
「一部のエリート」と「大衆」が分断している国家は大国ではないという考えのもと、「特権階級意識」に警鐘を鳴らした。
<< だがしかし、特権階級意識と長州軍閥主義が日本を大陸侵略へと導き、勝てる筈のない戦争による破滅をもたらした。>>
一般市民には自己啓発を誘う。新渡戸が「納豆売りの女性」から気付かされたという真の教養とはどういうモノなのか?
*
「武士道」の発行によって海外で有名になった新渡戸は、1920年、国際連盟の初代事務次長に就任。
国家間の対立など難解極まる国際問題を武士道精神で解決した。
不寛容と言われる現代にも応用できる「武士道」の知恵を見つめる。