「大 エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち」
会期: 3月18日(土)~6月18日(日)。休館日: 5月15日(月)。
会場: 森アーツセンターギャラリー(港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52階)。
主催: エルミタージュ美術館、日本テレビ放送網/BS日テレ、読売新聞社、森アーツセンター。
*
リブログ
5年振りのエルミタージュ展だ。
□ その他のエルミタージュ関連ブログ
NHK-BSP「ロマノフ秘宝伝説 栄華を支えた女たち」(2015-02-07)
世界文化遺産「エルミタージュ国立美術館」 (露Эрмитаж、英 Hermitage)。
「エルミタージュ」とはフランス語でHermitage(隠遁者・世捨て人)の部屋という意味である。小エルミタージュ・旧エルミタージュ・新エルミタージュ・エルミタージュ劇場・冬宮の5つの建物が一体となって構成されており、現在、本館となっている冬の宮殿はロマノフ朝時代の王宮である。この世界有数の美術館の所蔵作品は300万点を超える。
NHK-BSP「エルミタージュの猫たち~女帝と猫と名画の奇妙な物語」あらすじ(2012-09-19)
*
□ 東京展⇒名古屋展⇒神戸展と巡回する
名古屋展
会期: 7月1日(土)~9月18日(月・祝)
会場: 愛知県美術館 (名古屋市東区東桜1-13-2 愛知芸術文化センター10階)
神戸展
会期: 10月3日(火)~2018年1月14日(日)
会場: 兵庫県立美術館 (神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1 HAT神戸)
*
■ 見どころ
□ 進化を続ける、美の殿堂 ―エルミタージュ美術館―
いくつもの運河や川が流れる水の都サンクトペテルブルク。1712年からロシア革命後にモスクワへ首都機能が移るまでの約200年間、帝政ロシアの都として栄えたこの街で、一際、優雅で壮麗な姿を誇るのが「エルミタージュ美術館」。歴代皇帝の宮殿からなる建物は、100年以上をかけて次々に建設され、サンクトペテルブルクの象徴ともいえる今の姿になった。1764年にエカテリーナ2世(在位1762-96年)が取得し、美術館の基礎となったコレクションから、歴代皇帝が国家の威信を賭けて収集した美術品、個人蒐集家のコレクションまで、エルミタージュ美術館の所蔵品はおよそ310万点。そのうち絵画作品だけでも1万7千点に及ぶ。2014年12月には、創立250年を記念して新しい展示室が公開された。エルミタージュ前の宮殿広場を挟んで建つ旧参謀本部が大規模に改修され、印象派を始めとするフランス近代絵画の展示室となった。モネ/ルノワール/マティス/ピカソなど、これらの作品群は、ロシアの実業家シチューキンとモロゾフが集めたもので、エルミタージュが世界に誇るフランス近代絵画のコレクション。250年の歳月が作り上げた「美の百科事典」 = 「エルミタージュ美術館」の進化は、留まるところを知らない。
□ 絵画が語る収集の歴史 ―女帝のコレクションと、彼女を支えた収集家たち―
エルミタージュ美術館の創立は1764年、エカテリーナ2世がベルリンの実業家ヨハン・エルンスト・ゴツコフスキー(1710-75年)から317点の絵画を取得した年とされている。彼女は、親しい人々にこれらの美術品を見せる場所を作り、そこを“エルミタージュ(フランス語で「隠れ家」の意)”と呼んだ。これまでエカテリーナ2世は、ロシアの国力を誇示すためにこれらの作品を購入したというのが通説だった。しかし近年になって、これらは元々、プロイセン王フリードリヒ2世のためにゴツコフスキーが集めたものの、七年戦争(1756-1763)でプロイセンが敗北したことにより行き場を失い、ロシアとの巨額の取引に巻き込まれたゴツコフスキーが借金の肩代わりに女帝に売却した、ということが明らかになった。エカテリーナ2世が34年の治世の間に収集した絵画作品は、約2,500点とも言われている。彼女は、強大な財力と絵画への深い理解に加え、フランスの啓蒙思想家ヴォルテールや美術評論家など、国内外の目利きの助言を参考に精力的に収集を続けた。本展には、エカテリーナ2世の最初のコレクションに含まれていたフランス・ハルスの《手袋を持つ男の肖像》、息子パーヴェル1世(在位1796-1801年)が母のために購入したポンペオ・ジローラモ・バトーニの《聖家族》、さらに美術館の形成に多大な貢献をしたパーヴェル1世の息子アレクサンドル1世(在位1801-25年)やニコライ1世(在位1825-55年)が収集した作品も出展。絵画収集の歴史や、名画の裏側に隠された想い、皇帝の嗜好などを知ることも、鑑賞の楽しみの一つと言える。
□ エルミタージュ美術館の決定版 オールドマスターの傑作勢揃い
エルミタージュの1万7千点にも及ぶ絵画コレクションの中でも、特に充実しているのがオールドマスターの作品群。オールドマスターとは、16世紀ルネサンス時代のティツィアーノ/クラーナハなどから17世紀バロックのレンブラント/ルーベンス/ヴァン・ダイクなどを経て、18世紀ロココのヴァトー/ブーシェなどに至る巨匠たちを指す。サンクトペテルブルクの街を建設したピョートル1世(大帝、在位1682-1725年)は、オランダ絵画を大量に購入し、その後エカテリーナ2世は、オランダのフランドルを中心にヨーロッパ絵画の流派をほぼ網羅するコレクションを築いた。これらオールドマスターの傑作は、今もエルミタージュの所蔵品の中核をなすもの。
本展に出展される油彩85点全てがエルミタージュ美術館の常設展示作品、すなわち美術館の顔とも言うべき作品群。選び抜かれたこれらの作品を国別・地域別に展覧。西洋絵画の王道とも言える珠玉のコレクションは、まさにエルミタージュ美術館展の決定版と言えよう。
*
■ 作品紹介
□ プロローグ
ルネサンス時代、イタリアはヴェネツィアなどの経済的な繁栄と文化的な成熟を背景に、世界における美術の一大中心地として数多くの芸術を生み出した。本章では、ルネサンス時代の性格をよく伝えるティツィアーノの肖像画から、劇的な効果を強調して身近な現実を描くバロック絵画、さらには18世紀に活躍した「都市景観図」(ヴェドゥータ)の画家たちまで、西洋絵画の出発点たるイタリア絵画の世界を先ず見る。
01 ウィギリウス・エリクセン《戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像》1760年代
エカテリーナ2世の戴冠式は1762年、33歳の時で、以後30年以上の治世が続く。ロマノフ家の双頭の鷲をあしらった豪華な衣装に身を包んでいるが、モデルは女帝とあって画家の視点は低く、つまり下から見上げるように取られている。濃い赤の頬紅はロココ時代の流行であった。
□ 第1章 イタリア:ルネサンスからバロックへ
02 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像》1538年
モデルの顔立ちは有名な《ウルビーノのヴィーナス》(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)のそれに近く、かつてはティツィアーノの恋人を描いたのでは、とも言われた作品。白いダチョウの羽飾りのついた帽はボーイッシュな印象で、彼女はここで男性用の帽子を借りて男装を楽しんでいるとの説もある。
09 カルロ・ドルチ 《聖チェチリア》1640年代後半
11 ポンペオ・ジローラモ・バトーニ《聖家族》1777年
バトーニは「イタリア最後のオールドマスター」と呼ばれた18世紀の画家。色白のうら若い聖母と幼いキリストが、他の誰よりも明るく輝いている。キリストに手を差し伸べているのは聖アンナ(聖母の母)、聖母が左手で抱えているのが洗礼者ヨハネで、初老の父ヨセフは脇でこの様子を見守っている。
□ 第2章 オランダ:市民絵画の黄金時代
レンブラントやハルスといった巨匠たちが登場した17世紀オランダは、驚くべき質と量の絵画が制作され「黄金時代」と呼ぶにふさわしい充実した時代を成立させた。富裕階級だけでなく一般市民にも愛好され、平易で親しみやすい室内画や風俗画、風景画、静物画などの世俗的なジャンルが独立していったのも当時の特徴。
13 カナレット (本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《ヴェネツィアのフォンダメンタ・ヌオーヴェから見た、サン・クリストーフォロ島、サン・ミケーレ島、ムラーノ島の眺め》1724-25年
ルネサンス以降、自然風景に限らず都市という人工的な空間もテーマとして描かれるようになった。都市風景がひとつのジャンルとして確立されるのは17世紀のオランダだが、その流れを引くのが18世紀のカナレット/ベロットなどに代表される本作のような「都市風景」(ヴェドゥーダ)である。
17 フランス・ハルス《手袋を持つ男の肖像》1640年頃
17世紀のオランダ絵画は「黄金時代」と呼ぶにふさわしく、肖像画、静物画など絵画ジャンルの専門化が進んだ。オランダでレンブラントに引けを取らない人気を博したのが、フランス・ハルスである。ここでは富裕な男性市民の誇りと自信に満ちた表情を見事にとらえている。
21 レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《運命を悟るハマン》1660年代前半
ハマンはペルシャ王クセルクセスの右腕だったが、ユダヤ人嫌いで、王妃エステルがユダヤ人だったことから王の不興を買い、極刑を科される。前面にいるのが自分の運命を悟り、観念したハマン、後方には彼を見送るかのようなクセルクセスと別の部下が描かれている。
28 ピーテル・デ・ホーホ《女主人とバケツを持つ女中》1661-63年頃
フェルメールに並び室内画、風俗画で有名なデ・ホーホによる戸外での日常生活のひとコマを描いた作品。心のどかな午後のひととき、画面中央に座る女主人と、今夜の食卓に乗せる魚を見せる女中が描かれている。巧みな遠近表現がなされている点もデ・ホーホらしい。
□ 第3章 フランドル:バロック的豊穣の時代
17世紀フランドルは、北方バロック最大の巨匠にしてバロック絵画の権化とも呼ぶべきルーベンスとその工房が圧倒的な影響力を発揮した時代。そこでは数多くの弟子たちとの工房制作によって、宗教画から肖像画、神話画に至る様々な分野の絵画が生み出された。
36 ピーテル・ブリューゲル(2世)(?)《スケートをする人たちと鳥罠のある冬景色》1615-20年頃
描かれるのはブリューゲルの祖国の典型的な農村風景で、厳寒に耐えながら、それに負けず、アイススケート/ホッケーなどを楽しむ民衆の姿が生き生きと描かれている。画面右手の枯れ木とその枝に留まった黒い烏はいわば冬の「季語」である。
40 ペーテル・パウル・ルーベンスと工房《田園風景》1638-40年頃
牧歌的とは田園の羊飼いの世界を思わせるのどかな世界を意味するが、同時に村娘とイチャ付くというニュアンスもある。ルーベンスのこの絵はまさにその光景を描いたもので、本来は教養ある都会人だが、フランドルの田園・農村地帯にも馴染んでいたルーベンスらしい作品の1つ。
42 ヤーコプ・ヨルダーンス《クレオパトラの饗宴》1653年
クレオパトラにまつわる伝説で特に有名な場面の1つ、「饗宴」が描かれている。クレオパトラの饗宴に招かれたローマの将軍アントニウスはその盛観に圧倒されるが、クレオパトラは世俗の財宝・富には頓着しないことを見せるため、高価な真珠の耳飾りを外してそれをワイングラスに入れて溶かし、そのワインを飲んだと言う。
47 ダーフィット・テニールス(2世)《厨房》1646年
魚をはじめ様々な食材が無造作に置かれ、奥には調理のための火も見えるが、ここはまた犬たちの天国にもなっている。画中の人物とも折り合いは悪くなさそうだが、いつ「悪さ」を始めるとも限らない。一見、写実的だが、鳥獣戯画的な面白さも兼ね備えた絵である。
□ 第4章 スペイン:神と聖人の世紀
17世紀スペインは、諸外国の影響から脱し、スルバラン/ムリーリョ/リベーラらによるスペイン絵画の「黄金時代」を迎える。対抗宗教改革の影響のもと、人々を禁欲的で敬虔なカトリック信仰に導く宗教美術が推進された。孤児や庶民に多く取材をしたムリーリョはその代表格で、市井の人びとに信仰の精神を伝えた。
50 フランス・スネイデルス《鳥のコンサート》1630-40年代
それぞれの鳥を何かの楽器に見立てれば、鳥類の賑やかなホームコンサートである。同時にこれはバロック時代の自然に対する科学的なアプローチを反映して、鳥の生態を忠実に再現した鳥類図鑑の1ページのようにも見える。
53 フランシスコ・デ・スルバラン《聖母マリアの少女時代》1660年頃
スルバランは宗教画家として活躍したスペインの画家であり、徹底したリアリズムとカラヴァッジョ風の劇的な明暗表現による峻厳な聖人や修道僧の絵でよく知られる。それだけにこの作品に描かれる愛らしくも敬虔な幼いマリア像は、この画家としては異例とも言うべきもの。
55 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ》1660年頃
幼いイエス(中央左)と抱き合っているのは、後にイエスに洗礼を施す聖ヨハネ。その右で天使たちを仰ぐ子羊は、やがて人類の犠牲となって十字架につくイエスの、また、左手前の果物も楽園のアダムとイヴが犯した「原罪」と、これを償ったイエスのシンボルである。
□ 第5章 フランス:古典主義的バロックからロココへ
ルイ14世治世のバロックは、プッサンの古典主義様式に由来し、厳しい秩序と静謐(せいひつ)で安定した絵画世界を追求した。続くルイ15世の治世には、ヴァトーに代表される軽快で優美な遊び心や郷愁を特徴とするロココ美術が花開き、フランス美術は他のヨーロッパ諸国に対して圧倒的優位を誇る。プッサンからシャルダンまで、フランスの輝ける時代を彩る画家たちの作品を見たい。
62 アントワーヌ・ヴァトー《困った申し出》1715-16年
ロココ絵画の創始者ヴァトーは、「フェート・ギャラント」(優雅な宴)と呼ばれるジャンルを生み出したことでも知られる。フェート・ギャラントとは上流階級の紳士淑女の優雅な恋の場面を描いたもので、本作では「攻め」の男と、今ひとつ煮え切らない女性の微妙かつ軽妙な心理的な駆け引きが描かれている。
65 ジャン=バティスト・シメオン・シャルダン《食前の祈り》1744年
食事を前に手を合わせる妹(左)と、すでに祈りを済ませた姉、それを優しく見つめる母親という一般的な市民家庭の日常のひとコマを描いた作品。整理整頓された清潔な室内も彼女が良き母であり妻であることを物語る。ルーヴル美術館にほぼこれと同じ絵があるが、床に置いた卵料理のフライパンはルーヴルの絵にはない。
72 ジャン=オノレ・フラゴナールとマルグリット・ジェラール《盗まれた接吻》1780年代末
接吻を盗まれた女性は抵抗らしい抵抗もせず、むしろ青年の方に身を寄せている。彼女が気にしているのは、視線の先(画面の右隅)の隣室にいる人々に気づかれないかということ。フラゴナールと、彼の義理の妹で弟子だったマルグリット・ジェラールとの共作説が有力。ドレス等に見られる克明で繊細な細部描写はマルグリットによるものとされる。
□ 第6章 ドイツ・イギリス:美術大国の狭間で
16世紀、ドイツは宗教改革が引き金となった混乱の中、人文主義(ヒューマニズム)と宗教改革の影響を受けて活躍するクラーナハ等の北方ルネサンスの重要作家が登場。他方16、17世紀のイギリスは、清教徒革命などによる情勢不安が続き、絵画もフランドルなど他国の影響下にあった。しかし18世紀初頭、イギリス絵画の質は次第に向上し、ゲインズバラのような優れた肖像画家を輩出した。
80 ルカス・クラーナハ《林檎の木の下の聖母子》1530年頃
聖母の切れ長の目、ややとがった顎、長く美しいブロンドの髪などは、画家の他の聖母にも見られる特徴である。こちらを見ている幼いキリストはリンゴとパン切れをつかんでいるが、パンはキリストが「最後の晩餐」で自らの体と見たもの(「聖体」)であり、リンゴとともにキリストによる救済のシンボルである。
83 トマス・ゲインズバラ《青い服を着た婦人の肖像》1770年代末-80年代初
半ば開いた口元とともにその目は何かを語りかけるかのようであり、タイトルにある青い衣、白く透き通るような肌、赤みの差した頬などの色彩的なバランス、調和も傑作の名に恥じない。今日から見れば多少やり過ぎの感もある頭部の派手なファッションも当時の流行であった。