鳥飼ったことある?
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10月が手乗り文鳥の雛(ヒナ)が出廻る時期であることと、「て(10)に(2)し(4)あわせ」(手に幸わせ)の語呂合せから、10月24日は「文鳥の日」と制定された。
文鳥についての本の出版やグッズ販売を行っているライター・伊藤美代子さんが提唱&制定した記念日だそう。
出典 http://www.shend-trend.com/post-2234/
文鳥 (英名 Java sparrow)
■ 分類
スズメ目 Passeriformes
スズメ亜目 Oscines
カエデチョウ科 Estrildidae
ブンチョウ属 Padda
ブンチョウ種(学名) Padda oryzivora
■ 原産地と日本における繁殖
インドネシア(カンゲアン諸島・ジャワ島・バリ島)の固有種。
鳥類ペットの代名詞
・・・水浴びが大好きで、人懐(ひとなつ)っこく人の手に乗せることができる。
日本には江戸時代初期から輸入され、美しい鳥として盛んに繁殖が行われ、愛知県弥富市で発生(発祥)したハクブンチョウ(白文鳥)に人気が集まった。
戦前~1970年頃には、国内に約250人もの繁殖農家が存在し約5万箱の飼育箱があったとされる。
近年は繁殖農家が激減し、台湾から輸入している。
■ お題 「鳥飼ったことある?」
我が実家には鳥を飼う文化が無かった(苦笑)。
妻の実家の方は、義父が東南アジアへ軍属(医療事務)として出征していたからか?
白文鳥その他の鳥を飼っていたらしい。
*
■ 夏目金之助(漱石)・原作の短編小説「文鳥」
(大阪朝日新聞に1908年掲載、春陽堂・単行本「四篇」に収録)
美しいものの死を描いた作品とされ、文鳥の姿から主人公が連想した、金之助の養父・塩原昌之助の後妻・日根野かつの連れ子・れん。
彼女は金之助より1歳年上で美少女だった。1874年暮れ~76年5月頃までの間、義理の姉として同居し、浅草区寿町の第八番小学戸田学校(後の台東区立精華小学校⇒現在の蔵前小学校)に通った。
れんは初恋の女性だったと思われ、1885年(19歳)で職業軍人の陸軍中尉・平岡周造と内縁関係になったが勉強好きで高等女学校・東京師範学校女子部(現・お茶の水女子大学の前身)を卒業した。
彼女と偶然、御茶ノ水駅前の井上眼科病院で再会したが、自分の恋を打ち明けることができないまま(正岡子規には打ち明けていたが)松山中学赴任となった。
1896年に五高(熊本)に転勤、中根鏡子と見合い結婚。1902年に子規が病死。
日根野れんの方は瀬戸内海を隔てた夫の任地・広島に移っており、日露戦争時に赤十字看護婦として従軍し、1907年6月2日に42歳で病死(過労による肺結核)。
漱石は、その訃報にますます精神と胃潰瘍を病みつつ、れんを追悼する「文鳥」(1908)、「永日小品」(1909)、「道草」(1915)を書いている。
1916年12月9日湯河原の天野屋で逗留、胃潰瘍の末期症状で最期の内出血。「明暗」執筆途中に死去(49歳)。
「文鳥」の抜粋
夫れでも筆と紙が一所にならない時は、撮んだ顎を二本の指で伸して見る。すると縁側で文鳥が忽ち千代千代と二声鳴いた。筆を擱いて、そつと出て見ると、文鳥は自分の方を向いた儘、留り木の上から、のめりさうに白い胸を突き出して、高く千代と云つた。
中略
自分は又籠の傍へしゃがんだ。文鳥は膨らんだ首を二三度竪横に向け直した。やがて一団の白い体がぽいと留り木の上を抜け出した。と思ふと奇麗な足の爪が半分程餌壺の縁から後へ出た。小指を掛けてもすぐ引つ繰り返りさうな餌壺は釣鐘の様に静かである。流石に文鳥は軽いものだ。何だか淡雪の精の様な気がした。文鳥はつと嘴を餌壺の真中に落した。さうして二三度左右に振つた。奇麗に平して入れてあつた粟がはらはらと籠の底に零れた。文鳥は嘴を上げた。咽喉の所で微な音がする。又嘴を粟の真中に落す。又微な音がする。その音が面白い。静かに聴いて居ると、丸くて細やかで、しかも非常に速かである。菫ほどな小さい人が、黄金の槌で瑪瑙の碁石でもつづけ様に敲いて居るような気がする。
嘴の色を見ると紫を薄く混ぜた紅の様である。その紅が次第に流れて、粟をつつく口尖の辺は白い。象牙を半透明にした白さである。此の嘴が粟の中へ這入る時は非常に早い。左右に振り蒔く粟の珠も非常に軽さうだ。文鳥は身を逆さまにしない許りに尖った嘴を黄色い粒の中に刺し込んでは、膨くらんだ首を惜気もなく右左へ振る。籠の底に飛び散る粟の数は幾粒だか分らない。それでも餌壺だけは寂然として静かである。重いものである。餌壺の直径は一寸五分程だと思ふ。
自分はそつと書斎へ帰って淋しくペンを紙の上に走らしてゐた。縁側では文鳥がちちと鳴く。折々は千代千代とも鳴く。外では木枯が吹いてゐた。
中略
昔し美しい女を知つて居た。此の女が机に凭れて何か考へてゐる所を、後から、そつと行つて、紫の帯上の房になつた先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫廻したら、女はものう気に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄って居た。それで眼尻と口元には笑が萌して居た。同時に恰好の好い頸を肩まですくめて居た。文鳥が自分を見た時、自分は不図此の女の事を思ひ出した。此の女は今嫁に行つた。自分が紫の帯上でいたづらをしたのは縁談の極つた二三日後である。
中略
昔紫の帯上でいたづらをした女が、座敷で仕事をしてゐた時、裏二階から懐中鏡で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだ事がある。女は薄紅くなつた頬を上げて、繊い手を額の前に翳しながら、不思議さうに瞬をした。此の女と此の文鳥とは恐らく同じ心持だらう。
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10/24(月)早朝6時20分の雲と月
天頂に、下弦の月(二十二夜)
西南西の雲




