8/8(月)の朝、我が家の朝顔が笑っているかのようにブレイクした !!
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最近、大爆笑した?
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笑い声「ハ(8)ハ(8)ハ」の語呂合せで、日本不老協会が中心となって発足した「笑いの日を作る会」が1994年に制定した。
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私は、少年からシルバーに至るまで、ギャグやダジャレで、学校のクラス~職場の周りを笑わせることが好きで来ている。
もっとも下ネタが多いところが難であるが・・・(苦笑)。
リタイアしてからは、何分にも相手が妻しかいない。「古女房相手に連発してどうするの !?」と言われるばかりの日々で、大爆笑とは行かない。
一方、そのクセ凄く涙もろい。
従って、映画でもテレビドラマでも笑いとペーソス、悲喜交々のものが好きだ。
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■ 笑いに関する記憶
□ 「大宮デン助劇場」
昭和の浅草演芸場での芝居公演・・・浅草・松竹演芸場を拠点に自ら演出・脚本・主演・・・をそのまま放送したスタイル。1959~72年、NET(現・テレビ朝日)系列で放送。
「デン助のお巡りさん」(1959年)NET(現・テレ朝)テレビドラマ
「デン助のワンタン親父とシューマイ娘」(1959年)東宝
「デン助のやりくり親父」(1959年)東宝
「誰よりも金を愛す」(1961年)新東宝
「私は嘘を申しません」(1961年)新東宝
座長の大宮敏光(1913年4月13日~76年12月23日)
東京府東京市下谷区(現・東京都台東区)の入谷生まれ。第二東京市立中学校(現・都立上野高校)を卒業後、当時の大スター・田谷力三に憧れて芸能界入り。実家からは勘当され独力でタップダンスを習得。1939年(26歳)、一座を結成し各地で巡業を始めた。
その時々の話題・世相をネタに、風刺の効いたコントやショーを行い、決まり文句「オレにデンとまかせておけ」で締めて、大流行となった。
大きな目ん玉を剥(む)き、青い口髭(ひげ)を生やし、雪駄草履(ぞうり)履きで、見事なハゲ頭をユラユラヨイヨイと揺らしながら、東京下町に現れるオヤジ。ラクダ色のメリヤスシャツに背広をだらしなく羽織り、腹巻きに腰手拭いをぶら下げて。
□ 「てなもんや三度笠」
1962年~68年、大阪朝日放送(ABC)で制作、TBS系列で放送されたテレビ時代劇コメディの公開番組。
演出:澤田隆治、脚本:香川登志緒。
藤田まことが演じるヤクザ者「あんかけの時次郎」、相棒に白木みのるが演じるコジキ坊主「珍念」の珍道中。二人は江戸幕末期に、渡世の義理で様々な事件に巻き込まれる。
ミュージカル仕立てになっていて、芸達者でノドのいいのは二人だけでなく、脇役(香山武彦・財津一郎)も毎回のゲストも。
ギャグが抜群にいい。
CM商品名と掛けた「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」という口上で登場し、
「耳の穴からスッと手ェつっこんで、奥歯ガタガタいわしたろか」などは、当時の流行語を超えて社会現象となり、我ら中高校生に長く愛された。
脇役の写真師「蛇口一角」に扮した財津一郎のギャグ、「非ッ常にキビシ〜ッ!!」「許して…チョーダイ!!」なども流行語となり、後者は今でも竹本ピアノのCMに化けている。
□ 「渥美清の泣いてたまるか」
TBSテレビ、1966年~68年の日曜午後8時帯。
主に目黒区青葉台で撮影され、温かくもペーソスの漂う人間模様。
当時は東京五輪1964以降のカラーテレビ普及とテレビドラマ全盛期。
私は劣等高校生~大学受験に失敗したどん底の時期だったので、毎週、二重映しになって堪(こた)えた。
渥美清
1928年3月10日東京府東京市下谷区車坂町(現・東京都台東区上野7丁目)生れ~96年8月4日。
春日部の療養所生活を終えても肺病の後遺症で体力が厳しいにも拘らず、最終回の脚本を手がけた山田洋次が、彼の深くて物寂しい人間像と演技性に惚れ込んで、後の「男はつらいよ」の連続テレビドラマ化・映画化へと長く繋がって行った。
尚、1971年にはコント55号の坂上二郎の主演作もあった。
私は、このドラマのエンディングテーマ「泣いてたまるか」 (作詞:良池まもる、作曲:木下忠司、歌:渥美清、クラウンレコード)が最高に好きだ。
1.天(そら)が泣いたら 雨になる
山が泣くときゃ 水が出る
俺が泣いても なんにも出ない
意地が涙を・・・泣いて 泣いてたまるかよ~
通せんぼ
2.海は涙の 貯金箱
川は涙の 通り道
栓をしたとて 誰かがこぼす
ぐちとため息・・・泣いて 泣いてたまるかよ~
骨にしむ
3.上を向いたら キリがない
下をむいたら アトがない
さじをなげるは まだまだ早い
五分の魂・・・泣いて 泣いてたまるかよ~
夢がある
主な作品
1966年
4月17日 「ラッパの善さん」 脚本:野村芳太郎、監督:中川晴之助、出演:左幸子、小山明子、E・ハンソン
9月11日 「子はかすがい」 脚本:山田洋次、監督:飯島敏宏、出演:市原悦子、栗原小巻、矢野宣
12月4日 「その一言がいえない」 脚本:橋本忍、監督:中川晴之助、出演:松本克平、永井智雄、稲葉義男
1967年
1月8日 「ある結婚」 脚本:光畑碩郎、監督:今井正、出演:久我美子、原知佐子、山東昭子
4月9日 「先生早とちりをする」 脚本:光畑碩郎、監督:飯島敏宏、出演:津坂匡章、名古屋章、沢田雅美、西田敏行
9月17日 「先生泣いてたまるか」 脚本:高岡尚平、監督:下村堯二、出演:串田和美、浜畑賢次、戸川暁子
10月1日 「兄と妹」 脚本:家城巳代治、監督:今井正、出演:原田芳雄、寺田路恵、浜田寅彦
10月15日 「ぼくのお父ちゃん」 脚本:光畑碩郎、監督:高橋繁男、出演:春川ますみ、吉村実子、殿山泰司
10月29日 「ある日曜日」 脚本:木下惠介、監督:大槻義一、出演:市原悦子、新克利、清水良英
12月10日 「ああ軍歌」 脚本:山田太一、監督:今井正、出演:小山明子、賀原夏子、永井柳太郎
1968年
1月21日 「まごころさん」 脚本:野村芳太郎ら、監督:中川晴之助、出演:ジェリー藤尾、武智豊子、賀原夏子
2月18日 「意地が涙を」 脚本:山根優一郎、監督:小山幹夫、出演:坪内ミキ子、関敬六、花沢徳衛
3月31日 「男はつらい」 脚本:山田洋次ら、監督:飯島敏宏、出演:小坂一也、前田吟、関千恵子、関敬六。
□ 「コント55号」
萩本欽一・・・1941年5月7日東京府東京市下谷区稲荷町(現・東京都台東区東上野3丁目)生れ。
坂上二郎・・・1934年4月16日鹿児島県鹿児島市生れ~2011年3月10日病死。
1966年、二人はお笑いコンビ「コント55号」を結成。
2011年、坂上二郎が脳梗塞のため栃木県那須塩原市の病院で死去。
彼らのギャグとアクションは魅せられた。
欽ちゃんの「なんで(ど~して)そうなるの!」、二郎さんの「飛びます!飛びます!」。
主な出演番組
「コント55号の世界は笑う!」(1968~70年、フジ)…公開番組。
「ウォー!コント55号」(1969年、NET)…公開時代劇コメディー。 萩本が殿様、坂上が筆頭家老、水森亜土が若殿、桂米丸・5代目春風亭柳朝・三笑亭夢楽が側用人、横山ノックが学者、赤塚不二夫が絵師で出演。
「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」(1969~70年、日テレ)…萩本扮するTVディレクターが、坂上扮する放送作家と共に裏番組を「ぶっ飛ばす」様な強力な番組を作るといったコンセプトで始まった。
「コント55号のなんでそうなるの?」(1973~76年、日テレ)…浅草松竹演芸場からのコント中継。
「ぴったし カン・カン」(1975~86年、TBS)…久米宏の出世作となったクイズ番組。
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□ チャールズ・チャップリン
Sir Charles Spencer "Charlie" Chaplin, KBE。
1889年4月16日イギリス/ロンドン/ケニントン地区/ランベス/イースト・レーンで生まれた。
~1977年12月25日クリスマスの朝、スイス/コルズィエ=スュール=ヴェヴェイの自宅で永眠。
1919年、配給会社ユナイテッド・アーティスツ(現メトロ・ゴールドウィン・メイヤー傘下)を設立。
ユナイテッド・アーティスツ時代の主な映画作品
何度観ても飽きない名作ばかりである。
1925年、「黄金狂時代」(The Gold Rush)
1928年、「サーカス」(The Circus)
1931年、「街の灯」(City Lights)
1936年、「モダン・タイムス」(Modern Times)
1940年、「独裁者」(The Great Dictator)
1942年、「黄金狂時代」サウンド版
1947年、「殺人狂時代」(Monsieur Verdoux)
1952年、「ライムライト」(Limelight)
第二次世界大戦が終結し、赤狩りを進める米国議会下院非米活動委員会の標的となり、1952年、国外追放命令を受ける。
1972年、アカデミー賞名誉賞に選ばれ授賞式に出席するため、20年振りにアメリカの地を踏む。
□ ローワン・アトキンソン
Rowan Sebastian Atkinson, CBE
1955年1月6日イギリス/ダラム/コンセット市生まれ。
英国風の皮肉屋を誇張した、Mr.ビーンによるイタズラの連続が小気味だ。
テレビ
「Mr.ビーン」(Mr. Bean)・・・テムズテレビジョン1990~95年
映画
「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(Never Say Never Again、1983年)
「彼女がステキな理由(わけ)」(The Tall Guy、1989年)
「フォー・ウェディング」(Four Weddings and a Funeral、1994年)
「ビーン」(Bean、1997年)
「Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!」(Mr. Bean's Holiday、2007年)
「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」(Johnny English Reborn、2011年)